5月18日、新国立劇場でヴェルディの『リゴレット』(初日)を鑑賞した。

 

 

結論から言うと、非常に完成度の高い公演だった。

 

私は途中眠くなってしまうことが多いのだが、今回は仕事帰りで疲れていたにもかかわらず、最初から最後まで全く緊張が途切れず、全身全霊で聞き惚れてしまった。

 

出かける前は面倒になって、仕事帰りの平日の鑑賞は止めようと思ったのに、劇場の席について音楽が流れると、幸福感に包まれる。ましてや、今回のように最高レベルの公演に出会うと、ああ、やっぱり公演通いはやめられない!との思いを新たにするのであった。

 

 

実は、今回、仕事の関係で、残念ながら五分ほど遅刻してしまった。えーんえーん

 

しばらく1階で待機させられたが、程なく、3階最後列の通路側の席に案内されて、1幕は無事そこで聞くことができた。本来の席は3階サイド舞台寄りの席だったので、1幕終了後、30分の休憩を挟んで、2幕は本来の席で鑑賞した。

 

 

私は、音楽に関しては素人で、オーケストレーションに関して評価する術を持ち合わせていないのだが、今回は、その私ですら、なんだか、いつもと違うという感覚があった。

 

エッジが効いているというか、端正というか、隅々まで計算されているというか、非常に質の高い演奏で、リゴレットの劇的な効果を存分に引き出していた。

 

休憩時にパンフレットを見て、指揮者がマウリツィオ・ベニーニと知る。METのライブヴィーイングの常連なので、名前だけは知っていた。指揮者でこんなにも演奏の印象って変わるんだ、ということを初めて体験した。

 

 

招聘ゲストは3人とも皆素晴らしかったが、特に、ジルダを演じたトロシャンにはひたすら感嘆!! 

 

とにかく美声で、天から降ってくるような声。「慕わしい名よ」と歌うアリアなんて、金縛りにあったように聴き惚れてしまって、いつまでも聴いていたい〜!、終わらないで〜!、と思ったくらいだった。

 

 

マントヴァ公爵を演じたアヨン・リヴァスも非常に良かった。声量があって、幅も奥行きもある声。

 

まだ若いテノール。ペルー出身ということだが、同郷のフローレスに比べて、先住民族の血が濃い印象。

 

インタヴューで語ったところによると:15歳の時、フローレスのマントヴァ公爵を観たが、その時のリゴレット役がフロンターリだった、今回の公演でフロンターリと共演できて嬉しい!、というようなことを言っていた。

 

2幕で歌う「あの娘が拐われた」。容貌と相まって、妙な説得力があった。マントヴァ公爵って、案外、根はいいやつなんじゃないだろうか、真実の愛を知ったら、もう少しまともな人間になる可能性だってあったのではないか、と思わせる説得力があった。

 

 

今回の公演で、あえて難をあげれば、重唱があまり心に響かなかったこと。

 

特に、3幕の嵐の場面で歌われるジルダ、スパラフチーレ、マッダレーナの三重唱。雷が鳴り響き、緊張が絶頂に達する場面。昨年3月のMETライブヴィーングで観た時には、迫力満点で、今回の公演でも非常に楽しみにしていた、

 

のだが、期待が大きかっただけに、若干肩透かしを食らった感が否めなかった。。。これが世界レベルとの差ということなのであろう。

 

 

演出は、赤いシャンデリアが印象的だが、極めて簡素。このタイプの演出、私は特に嫌いではない。ただ、気になったのが、インタヴュー映像での演出家エミリオ・サージの次の言葉:

 

「最後は全て元に戻る。ジルダは死んでしまったが、公爵は相変わらずだし、リゴレットは城に戻って公爵に仕える。。。」

 

えええ!!!、そうなの? リゴレットは、愛する娘を失った後で、何事もなかったかのように公爵の元に戻るの?

 

良心の呵責に耐えかねてとか、娘を失った悲しみのあまり、自ら死を選ぶとか、自暴自棄になるとか、気が狂う、なんてことは考えないんだ。

 

いや〜、すごい解釈だな〜。

ある意味、究極のニヒリズムかも。。。

 

 

 

今回、初めて、生の『リゴレット』を鑑賞した訳だが、最初から最後まで印象的な旋律で満たされ、音楽とストーリー性が完全に合致した素晴らしい作品💓

 

少し前までのイタリアでは、タクシーの運転手さんがオペラの旋律を口ずさいながら運転していた、という話を思い出して、大いに納得させられた。

 

 

クローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバー

 

<スパラフチーレとマッダレーナの関係>

 

スパラフチーレとマッダレーナは兄と妹ということになっているが、この演出では、実際は、夫婦(愛人)関係にあるという設定。その可能性は十分にあると思う。

 

ただ、私の好みとしては、スパラフチーレとマッダレーナは、兄と妹であり、性的関係にはない、という解釈の方に惹かれる。なぜなら、その方が、「殺しはやるが、雇い主を裏切るような真似はしない」、というスパラスチーレなりの”正義感”が感じられるから。

 

今回の演出におけるスパラフチーレは、ただの薄汚れた殺し屋にしか見えなかった。

 

(5月27日:追記)

 

 

↓関連記事です。

 

クローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバー

 

指揮:マウリツィオ・ベニーニ

演出:エミリオ・サージ

管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

 

リゴレット:ロベルト・フロンターリ

ジルダ:ハスミック・トロシャン

マントヴァ公爵:イヴァン・アヨン・リヴァス

スパラフチーレ:妻屋秀和

マッダレーナ:清水華澄

モンテローネ伯爵:須藤慎吾