METライブヴィーイングの5作目、ワーグナーの『ローエングリン』を鑑賞した。
17年振りの新作とか。
幕間のインタビューでは、演出家が『ローエングリン』解釈の変遷に関してコメントしていて、大変興味深かった。
初めは、
ドイツの民話という点に焦点を当てた
「国民オペラ」的な解釈 に始まり、
ついで、白馬の王子様が現れる
「 メルヘン的要素」が強調され、
現在は、
夫の名を明かされないエルザの疑惑と苦しみという
「精神的、且つ普遍的な要素」に焦点が当たっている
といった説明だった。
(記憶があやふやなので、演出家の言葉そのままではなく、私の解釈が含まれています)
確かに。。。
私が、ストリーミング配信で、前演出の『ローエングリン』を見た時は、確か、白鳥の羽がついた白いマントみたいなのを羽織っていたような記憶がある。
今回、ピョートル・ペチャワが演じたローエングリンは、白のワイシャツに黒のズボンという超シンプルな出立ちで、他の出演者が時代に即した衣装を纏っている中で、現代性と抽象性を強烈に印象づけていた。
舞台は、地下。
頭上にポッカリ空いた空間から、ローエングリンが登場するという趣向。
闇の世界を象徴しているのは、オルトルート役のクリスティーン・ガーキー。歌の出番がない時でも、舞台に登場し、悪のオーラを全身から発していた。
幕間のインタビューで、”悪役大好き”と答えていたが、『マクベス』のマクベス夫人なんかも似合いそう。。。、今回の公演で一番存在感があった。
一方のエルザ。こちらは清純の象徴。
しかし、オルトルードの奸計によって、心に疑念が生まれ、夫に対して、ついに禁じられた問いを発してしまう。
「あなたは誰なの?」
ローエングリンは、王の前で、自分の名を告げ、聖杯の騎士であることを宣言し、掟に従って、ブラバンド公国を立ち去っていく。泣き崩れるエルザを打ち捨てて。
エルザは真実を求めた。
真実に到達する最初の出発点は「疑問」を持つこと。エルザは、オルトルードという悪の象徴によって「疑問」という禁断の果実(=知恵)を得た。この辺り、旧約聖書の”イヴと蛇の誘惑”を彷彿とさせる。
エルザよ、あなたは、真実を知らず、問いを発しないままの「幸福」を望みますか? 「無垢な」とか「疑うことを知らない」というのは、言い換えれば「羊の幸福」とか「奴隷の幸福」ということなのですよ。
エルザは、禁断の「問い」をぶつけることで、初めて、子供から大人への変貌を遂げたのだ。今までの「夢」に生きていた状態から、「疑い」を持つことによって、辛い現実の世界に覚醒した。
今後は、魔法が溶けて白鳥から元の人間に戻った弟と共に、悩み苦しみながら、ブラバンド公国を治めていくことだろう。
最後は、総立ちのスタンディング・オペーション。素晴らしい歌唱とオーケストレーション。上階から紙吹雪がたくさん舞っていた。
知恵を身につけるということは、「疑い」を持つということと同義だと思う。
私も以前、世の中の動きに対して、「疑い」を持たず、「羊の幸福(=知らぬが仏)」状態だった。このコロナ禍で、初めて「疑い」を持ったことで、「お花畑」状態からやっと覚醒することができた。
日本が置かれているあまりにも厳しい現実に、時に絶望することもあるけど、知ってしまった以上、以前のお気楽な「羊」状態にはもう戻れないな。。。
『ローエングリン』の泣き崩れるエルザを見ながら、そんなことを考えていた。
指揮:ヤニック・ネゼ=セガン
演出:フランソワ・ジラール
ローエングリン:ピョートル・ペチャワ
エルザ:タマラ・ウィルソン
オルトルート:クリスティーン・ガーキー
テルラムント:エフゲニー・ニキティン
ハインリヒ:ギュンター・グロイスベック