バロック音楽(1):バロックオペラ
バロック音楽は、カトリック文化圏(フランス、スペイン、ウィーン、イタリア)における、絶対王政時代の音楽である。
絶対君主が主宰する、とてつもない規模の祝祭のための音楽。王侯貴族は、常に祝祭を催したので、BGMとして大量に作曲され、消費された。
この祝祭の規模は、我々の想像の域をはるかにはるかに超えているという。国中の富を、宴会祝祭のために費やすって。。。
映画「宮廷料理人ヴァテール」は、現代の価格でいうと、何兆円という金を、ルイ14世の歓待のために使った貴族の話らしい。(私は観ていないので。映画の説明を読みました)
「兆」に達する規模の祝祭。そこで、大量に消費された”BGM音楽” それが、バロック音楽の持つ側面である。
オペラが誕生したのもこの時期。モンテベルディの「オルフェオ」(1607年)をもって、オペラというジャンルが確立する。
オペラは祝祭のなかでも途方もない浪費文化であった。
そして、現在でも、この”祝祭性”と”浪費性”は、オペラを特徴づける重要な要因である。
岡田暁生『オペラの運命』、その他、を参考にしました。
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バロックオペラを語る上で、避けて通れないのが、カストラートの存在である。
彼らは、バロックオペラのまさにスーパースター。
男、女、子供の声質のすべてを兼ね備え、両性具有的で怪しげな魅力を放つ、超自然的な存在。歴史初の汎ヨーロッパ的な大スターであった。(ただし、フランスは除く。フランスはカストラートを使わなかった)
DVD「カストラート」を観賞した。稀代のカストラート、Farinelliを描いたもの。
カストラートは、教会が、女性が歌うことを禁じたことから、音域的に高いパートを男性が担うために生まれた。
カストラートとして成功すれば、王侯貴族に匹敵する暮らしができたことから、主に、下層階級が一獲千金を夢見て、歌のうまい子供を去勢し、カストラートにしようとした。
去勢と言っても、中国の宦官とは異なり、睾丸のみを摘出したもの。従って、性行為は可能(ただし、もちろん子供は作れない)。
背格好や、声量、肺活量は、男性並み、音域は、ソプラノの超高音域も出せる、という、まさに”超人”。
Farinelliは、なんと、3オクターブ半!!もの音域を出せたという
さらに、徹底的な訓練によって、超ロングブレス(1分以上)や、超絶技巧のコロラトウーラも朝飯前。
スーパースターであるカストラートの技量を十二分に発揮するための曲、それが、バロックオペラ。
今聴くと、バロックオペラは、単調に思える。
アリア→レチタティーボ→アリア→レチタティーボ→アリア、というのが延々と続く。重唱もなければ、合唱もない。
しかし、映画「カストラート」を見て得心した。
物語の筋なんて関係ないんだ、レチタティーボなんてどうでもいいんだ。ひたすら、お目当のスーパースターの妙技を聞くために、聴衆は劇場に集まる。
カストラートが響かせた、子供の声の清らかさ、
男性的な声量とロングトーン、女性的な艶やかな高音。
性倒錯的な官能性、
失神者が出るほどの劇場の熱気と興奮。
それらすべての集合体として、バロックオペラは存在した。
現在は、カストラートのパートをカウンターテナーかメゾソプラノが歌う。
私達が聴く”いわゆる”バロックオペラは、残念ながら、かつてのバロックオペラの上澄み、あるいは、残滓に過ぎないのだ。。。
ちなみに、映画のカストラートは、カウンターテナーの声とソプラノの声を合成し、人工的に作り出した声である。
(「カストラート」のDVDに付属しているリーフレットの説明、その他、を参照しました。)
今、当時のカストラートの技量を味わうには、この人をおいて他にいないだろう。
チェチェリア・バルトリ。
映画と同じ、「Son qual nave」が歌われている。
でも、映画の中のアリアと何だか違う!!
つまり、バルトリの超人的な技量が、映画の中で使われた、カウンターテナーとソプラノの歌手の技量を上回っているということ。
そして、当時のカストラートの技量は、バルトリをさらに上回っていた可能性すらある。
もう、完全に、想像を絶するレベル。。。
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<バロックオペラ関連記事です>
・オペラの歴史(バロックオペラ)については、こちら
・ヘンデル「セルセ」(二期会):公演の感想はこちら。
・フランスのバロックオペラ「みやびなインドの国々」(NHKプレミアムシアター):感想はこちら