記事のテーマを「バスケ」にして書くなんて何年ぶりやろ(笑)。
でも、今日のこのタイトルで書ける日が来るのををずっと待ってました。
日立サンロッカーズ東京が、12日に天皇杯(オールジャパン)初優勝、そしてチーム史上初の日本一を果たした。
本当にこの日をどれだけ待った事か。
しかも、今まで試合会場で実際に見に行っても、今回のようにテレビ中継で見ても、俺が今まで日立の試合を見られた時はいつも負けだった。
チームもトーナメントやリーグで上位に行った事も過去にあるから、今まで勝った試合はもちろんあったけど、俺が見る時に限っていつも負け。
でも今回は初めて自分が見た試合で日立が買った。
天皇杯初優勝、チーム史上初の日本一のタイトルという、個人的にも日立的にも嬉しい初づくしで。
日立ライジングサンと日立大阪ヘリオスが統合する形で、日立サンロッカーズというチームが生まれたのが2000年。
高校の先輩にあたるミスターサンロッカーズこと菅 裕一先輩と、その裕一先輩と同学年で高校時代(能代工業)からその学年のポイントガードとしては日本で1、2位を争う半田さんがチームがルーキーとして入団したシーズンが日立サンロッカーズというチームの1年目のシーズンでもあった。
裕一先輩があの半田さんとコンビでしかも入団1年目から主力になるなんて、聞いただけでもすごいと思った。
2人ともユニバやのちにA代表にも選ばれるようにもなった。
同期入団には半田さんが高校3年の時の選抜で優勝した時の決勝の相手だった仙台の二戸さんもいた。
以降のシーズンでも、のちのアイシンの黄金期のメンバーになる小宮さんが移籍してきたり、
ルーキーも山形南高校時代に選抜準優勝や3回生ながらメインガードとして青山学院大でインカレ優勝に貢献した佐藤稔浩に、八王子高校時代に東京都選抜メンバーとして国体準優勝や佐藤トシと共に3回生ながらセンターフォワードのレギュラーとして青学でインカレ優勝に貢献した山田哲也。
北陸高校時代は選抜では準々決勝で市立船橋(準優勝)に惜しくも3点差で敗れたものの、そこまでの回戦で大濠や育英といった強豪校を破る快進撃を見せ(裕一先輩の母校でもある新田も1回戦で北陸に負けてた)、中央大では3回生ながらインカレ準優勝時の主力ガードだった五十嵐。
東海大四高時代にインターハイ準優勝し、中央大時代3回生時は4回生の五十嵐と共に3ガードの1各を担った柏木。
と年を追うごとに学生時代に全国的にも名を馳せたルーキーが入団するなど、若いチームだった日立には魅力的な選手が集まった。
しかし、とにかく最初の何年かはチームはリーグでは下位の常連チーム。
最下位になるなんていうのもざらだった。
しかし、2005-2006年のシーズンに愛知学泉大やトヨタ自動車アルバルクのヘッドコーチを務め、現役時代にも数々の名ガードを輩出した能代の伝説的なポイントガードとして、実業団では今は無き名門チーム住友金属の黄金期のメンバーで、日本代表でもポイントガードでもあった、小野秀二さんがヘッドコーチに就任して、日立は変わった。
さすがはスピードのあるガードが目玉の能代のOB。
就任1年目は五十嵐、柏木、そして裕一先輩によるスピーディーなオフェンスと、それからのチームの代名詞にもなるディフェンスで、初めてのプレイオフ進出を果たす。
裕一先輩が全国的にブレイクしたのが京都産業大2回生の時に準優勝を果たしたインカレで、そのテレビ中継の解説で「菅君は良い選手ですね。」とか裕一先輩がシュートが決まる度に「また菅ですね。」と言ってたのが、実は小野さんだった。
柏木もまたインタビューで「菅さんは小野さんのバスケットにマッチしてる。」と言っていた。
翌年からは柏木ら主力選手の退団ありながらも、学生時代からの小野さんの秘蔵っ子でもある上山が移籍してきたり、黄金世代でもある竹内譲次や酒井らがルーキーとして入団し、上位を狙えるチームとなり、リーグや天皇杯でも準優勝を果たす。
チームの看板選手であった五十嵐の退団もありながらも、その五十嵐とともにスピードと外角からの攻撃を武器とする裕一先輩はキャプテンとして、ミスターサンロッカーズとして、シューティングガードのレギュラーの座を張り攻守に渡りチームに貢献し、スポーツ記者団が選ぶ年間ベスト5や天皇杯のベスト5にも選ばれ、また東アジア選手権に向けての日本代表候補にも選ばれ、最終選考メンバーには惜しくも選ばれなかったけど、それに選ばれる寸前まで行くなど、選手としてもそれまでのキャリアで1番充実してたのではないかと思えるくらいだった。
しかし、その充実してると思えてた矢先に裕一先輩が引退。
衰えるどころか、ますます充実してたというのに。
それには社員選手だからという会社の大人の事情もあったのかもしれない。
五十嵐、柏木、三菱の梶山さんら日本代表クラスの選手も、ブログで裕一先輩の引退はその活躍ぶりを見ると早過ぎると惜しんでいた。
他の選手の引退時にはそこまで書いてなかったのに、裕一先輩の引退はファンのみならず他の選手の間でも衝撃だった。
裕一先輩の背番号だった11番はチームの永久欠番となり、今でもミスターサンロッカーズとして多くのファンやチームの後輩達にに愛されている。
裕一先輩に続いて、翌年には上山、さらにその翌年トシが引退。
トシの付けてた20番も永久欠番となり、彼もまたもう一人のミスターサンロッカーズとなった。
それにしても、トシはコートに出れば自分の仕事をとにかく果たす選手だった。
同じ日立にいたポイントガードでも五十嵐や半田さんや柏木のような派手さやスピードを持つ選手ではないけど、安定感のあるゲームメイクやディフェンス、確かなテクニック、絶妙なパスやポジショニング、ほしい時にバッチリ決まるシュート力などにおいての抜群のバスケセンスは、おそらくチーム史上ナンバー1クラスやと思う。
俺がもし「日本でバスケセンス抜群の選手といえば誰を思い付くか?」という質問をされたら、間違いなく真っ先に佐藤稔浩の名を挙げる。
ベテラン選手の引退も相次いだが、それと前後して西村、小林ら若手の選手がルーキーとして入団し、移籍組の中には柏倉や渡邉拓馬といった個人的に好きだった他のチームの選手が入団するというサプライズもあった。
西村や小林はそれぞれが入団したシーズンに新人王も獲得。
実は日立には過去には五十嵐、柏木、譲次という風に新人王を獲得した選手がいて、ひょっとすると最も多く新人王を輩出してるチームなのかもしれない。
しかし、一昨シーズンは負け込んだ時期もあり、ファンクラブサイトの掲示板ではファンも憤っていた。
やはり試合を見に行くファンによる書き込みが多く、せっかく応援に行っても負けるなんてというのが本当に多く、それは前述した通り自分が見た試合に限っていつも日立が負けてる俺もその気持ちはよく分かった。
そのシーズンを最後に小野さんがヘッドコーチを退任。
新しいヘッドコーチを迎え、またリーグ自体もJBLからNBLの新体制になり、チーム名にホームタウン名を入れて「日立サンロッカーズ東京」としての1年目の昨シーズンは再び暗黒時代。
とにかく負けが込んでた。
シーズンが終わると、拓馬、西村、小林ら主力メンバーが移籍のため退団。
新シーズンとなる今シーズンはどうなってしまう事なのかと思っていた時にヘッドコーチも代わり、和歌山からベテランの実力派ポイントガード木下が移籍。
この木下の入団は嬉しいニュースだった。
前年には和歌山の実質的な前身チームだったパナソニック(かつての名門松下電器)から広瀬も移籍入団していた。
4年前にパナソニックとの試合を見に行った時も日立が負けたけど、その時は本当にこの木下と広瀬にやられたという印象が強かった。
特に広瀬は本当に敵にいるのが憎らしいくらい厄介な選手だった。
この2人がいるなら、と思えた。
そしてこの2人が今年の天皇杯の決勝であの時のように、敵にいたら厄介で味方にいたら心強いプレイで勝利の糸を大きく手繰り寄せた。
改めて広瀬の能力の高さを思い知らされたけど、あの時のようにシュートだけでなく、今回はパスでもそれを感じさせてくれた。
そして木下は俺にとっての理想のポイントガード像でもある、自分も含めた味方を活かすのが上手いポイントガード。
試合終了のブザーが鳴った時にボールを保持してたのが日立の若手のポイントガードの伊藤。
伊藤はハッスルプレーが売りのポイントガードでもあるが、ベテランの木下のそれも若い伊藤にとってお手本は刺激になるのは間違いないだろう。
今回の試合は本当に見てて気持ち良かった。
どの場面でのどの選手のどのプレイがどうというよりも、自分の応援してるチームが優位に試合を進め勝っているという事がとにかく気持ち良かったし嬉しかった。
スラムダンクのセリフでもあるようにリバウンドを制する者はゲームを制するというように、インサイドだけでなくアウトサイドの選手もリバウンドで貢献していたのも勝因。
決勝の相手の広島ドラゴンフライズはまだ若いチームだが、コーチ陣にはヘッドコーチには佐古さん、アシスタントコーチには大野さんと、現役時代に日本のバスケ界を盛り上げた2人がいる。
JBLからNBLとなり新しいチームも何チームが増えたとはいえ、パナソニックから引き継いだ形の和歌山トライアンズやつくばロボッツのように経営が破たんしてしまったチームもある中で、広島のようにチーム創設1年目でここまで躍進したのは、FIBAからの制裁や国内チームの運営問題などで揺らいでる日本のバスケ界にとってもポジティブなニュースだと思う。
日立はチーム創設から10年以上は経ち、今では若いチームではなくなったけど、チーム初の日本一に輝いた事もまたポジティブなニュース。
表彰式で譲次が天皇杯を受け取り手にしたのを見て、ついに本当に日本一になったのを実感した。
そう思うと、テレビの前で見ていて泣いてしまった。
冒頭にも書いたけど、本当にこの日が来るのをどんなに待った事か。
裕一先輩が元祖ミスターサンロッカーズなら、新ミスターサンロッカーズは譲次かもね。
裕一先輩も、半田さんも、五十嵐も、柏木も、トシも、テツも、上山も、西村も、小林も、拓馬も、そして日立の歴史を変えたヘッドコーチと言っても良い小野さんも、もう今の日立サンロッカーズにはいない。
でも、彼らがチームの歴史に確かにいたからこそ日本一につながったんだと思う。
天皇杯が終わればリーグ戦が再開。
日立は今、イースタンカンファレンスの1位。
リーグ戦はまだまだ続くけど、このペースで行く事ができればプレイオフ進出。
日立の新時代、日立による新時代が来る。
そう信じたい。
今月下旬に何年かぶりに月刊バスケットボールを買おうかな。
GO!SUNROCKERS!