今日は俺が5才の時に亡くしたおふくろの命日。
29年前の俺の誕生日から4日後の事でした。

小学校を卒業するまでは、月命日になるといつも親父と一緒にお墓参りをしてた。
今日は命日やから仕事に行く前に親父と一緒にお墓参りしてきた。
命日に一緒に行くのは多分4年ぶりかな?
その間は俺が行けなくて、親父が一人で行ってた。

今でも親父にとっておふくろはただ一人の人で、あれから29年経っても誰とも再婚しなかった。
その事で親戚からも色々言われてたみたいやし、親父も俺に「(再婚しなかった事で)お前には可哀相な事をしてしまった。」と言った事もあった。
幸い父方の祖父母と一緒に住んでたし、小学校4年の時に今の家に引越してからは、同じビルに親父の妹さんの家族も住むようになり、ばあちゃんとおばさんが母親代わりになってくれてたから、ある時期から慣れたというか子供なりにどうしようもない現実を受け止められるようになってた。
おふくろが亡くなってからも母方の祖父母にはとても良くして貰ってた。

亡くなったのが俺が5才の時やったから、おふくろの人となりの事は俺は直接知らないけど、親父の話を聞くにはきっと聡明な女性だったのだと思う。
確かにおふくろの家系は頭が良くて学歴が高かったけど(俺はそれを崩してしまった親不孝者です)、そういう学力的な事ではなく人としての聡明さだったのだと思う。
親父との馴れ初めから結婚までの事(ここでは敢えて割愛させて頂きます)を聞いたらそう思えた。
おふくろは独身の頃から読書好きの文学少女で、今でもおふくろの持ってた本が家に残ってます。
読書は心を豊かにするとよく言われていて、きっと聡明な女性であったであろうおふくろもそうだったのだろう。
俺が数年前から読書好きになったのも、母親譲りなのかもしれない気がします。

読書好きの文学少女だった母親を失ったあの時の幼な子は、あれから30年近く経った今、なんちゃって読書家で“文系ロックアーティスト”を目指してます。