生きる事
それは日々を告白してゆくことだろう
尾崎 豊
シンガーソングライターであり、ロックンローラーであり、ライブパフォーマーであった尾崎 豊さんが26才の若さでこの世を去ってから、今日で18年。
OZAKIのファンには亡くなってから知ったというファンも少なくないが、俺はその後追い第1世代。
彼がこの世を去った時、俺は彼の存在を知らなかった。
彼がこの世を去ったのも、俺が「I LOVE YOU」を聞いて初めて彼の存在を知ったのも中学2年の時。
3年生になりテレビやラジオでも彼の曲を何曲か聞いた事もあり、「15の夜」の“盗んだバイクで走り出す”というサビの歌詞がやたらインパクトが強かったし、「OH MY LITTLE GIRL」がドラマのタイアップでリバイバルヒットしたのもこの頃やった。
高校生になったばかりの頃、クラスの周りは見知らぬ人ばかりで中学の頃から知ってる奴は3人しかしなくて(それでも他のクラスにいた奴に言わせると“3人”もいるだけまだマシとの事)、この先の高校生活がどうなるのか、何をどうしていけばいいのか不安でいっぱいやった。
そんな時「DRIVING ALL NIGHT」のシングルを買い、カップリングの「SEVENTEEN'S MAP '85」(「十七歳の地図」の大阪球場でのライブ録音)を聞いて背中を押された。
それからデビューアルバムでもあり今もなお語り継がれてる代表曲揃いの「十七歳の地図」を買った。
美術の授業で無地のパズルに自分で絵を描く課題があり、俺はこのアルバムのジャケットを描いた。
俺が高校生の頃に買ったOZAKIのCDはその2枚だけ。
人から他のCDを聞かせてもらったり借りたりする事もなく、あとはたまに部屋で聞いたりカラオケで歌ったりする程度やった。
27才の時、何故だか急にまだ聞いた事の無かった2ndアルバム「回帰線」が欲しくなり仕事帰りにブックオフで買って帰った。
「十七歳の地図」と並んで人気が高く、「卒業」や「シェリー」といった代表曲も収録されているこのアルバムを聞いて、再びOZAKIにはまるきっかけになった。
それも彼の歌に最も共感しやすい時期と言われてる高校生の時以上に。
10代の共感を呼ぶ曲達も年齢関係なしに純粋に共感できたし、自分も大人になってたせいかそれ以上に彼が20代になってからの曲に共感するようにもなっていた。
10代の時のような気持ちと大人になってからの気持ちの両方でOZAKIの歌が心に響いた。
一般的に人生における多感な時期というのは10代の頃を指すけど、俺の場合ここ数年が今まで生きてきた中で最も多感な時期となってる気がする。
それには、27の時からOZAKIにハマるようになり彼の歌を感じるようになった事も一因していると思う。
今日は、生前にレコーディングされたが、リリースを待たずこの世を去ってしまい遺作となったこのアルバムを聞いてます。
詞の内容、彼が十字架に横たわってる姿のジャケットが故に、あたかも彼の最期を予感していたかのようなアルバムとも言われています。
尾崎 豊「放熱への証」