10月3日未明、祖母が永眠しました。
88才でした。
家族葬という形をとりましたが、昨日の通夜、今日の葬儀でばあちゃんと最後のお別れをしてきました。
俺は5才の時におふくろを亡くし、親父もおふくろ以外の女性を愛したくないと再婚する事が無かったから、それ以来ばあちゃんが俺の母親代わりで育てたくれた。
本当にばあちゃんの思い出がたくさんあります。
小さい時はそごうにばあちゃんが買い物に行く時は大概付いて行って、帰りは地下1階のくるくる回る所のお菓子(高島屋になってからもあるんかな?)とアイスクリームを買ってもらうのがお決まりやった。
小学校3年の時、土曜日に学校から帰ってきたら、何故か決まってばあちゃんがおむすびを作ってくれていて、それを食べてから友達の家に遊びに行くのが、当時の俺の土曜日の恒例イベントのような物やった。
高校生の時は、いつも朝早く起きて弁当を作ってくれた。
19才の時、車の教習の卒検で落ちて凹んで帰ってきた時、ばあちゃんがその補習代を自分の年金から出してくれた。
もちろんその補習を終え、卒検も合格し、勝岡の免許センターの学科試験も1発合格し(当時は月曜が問題が優しいという噂があり、月曜に受けに行った)、家に帰ってから誰よりも先にばあちゃんに免許を取れた報告をした。
それから少し後、当時はまだインディーズだったDir en greyがテレビに出てるのを見て、自分の孫もそういうのに準ずる部類という事を知らず「この人らすごい格好しとるねぇ・・・」と言ってた事もあった。
22の時に失業してた時、その時間を利用して俺が手料理をしようと、グラタン(冷凍庫にあったラップで包んだシャケを入れた)を作って食べさせてあげたら、そのシャケが塩揉みしてた奴でめちゃめちゃ塩辛くて、ばあちゃんに「これは塩辛すぎるで」と言われた事もあった(ばあちゃんに言われるという事がよっぽど塩辛かった証拠・・・)。
7年前にじいちゃんが亡くなった時、通夜の晩は俺とばあちゃんの2人で葬儀会場の控え室で泊まった事もあった。
じいちゃんが亡くなったのは本当に突然やったけん、ばあちゃんも日常みたいに「こら!じいさん、起きんかな!」って言ってたなぁ(笑)。
これだけでは語りつくせません。
なんでもばあちゃんは若い頃、手相見の人に「あんたは若いうちは苦労するけど、年をとったら楽するで」と言われたらしく、本当にその通りやった。
楽をできるようになってからも、家の事はほとんどしてて文字通り縁の下の力持ちで、疲れてるのかテレビを見てる時もいつの間にかうたたねしていびきをしてた(これがまた隣の部屋にまで響く)。
だんだんと俺から手が離れ、じいちゃんも亡くなってからする事があまり無くなってからは、そのいびきをかくほどは疲れなくなった。
でも、そうなると逆にだんだんと物忘れをするようになりだし、ここ数年では1人で歩いてるとこけてしまうから、目を離せなくなるようにもなりだした。
ここ最近では意志の表示や疎通も難しくなり、ご飯もあまり食べないようになった。
先週の頭頃に容体がおかしくなり、夜中に救急車を呼んで入院。
その時からお医者さんからも持って一週間と言われ、そして3日の未明に亡くなった。
正直今でも実感が湧かない。
今でも隣の部屋でいびきをかきながらうたた寝をしたり、猫に餌をあげたりしてるような気がしてしまう・・・。
しんみりする話になりましたが、また明日からいつもの日常が始まります。
31日のseedでのライブ“ノスタルジーの旋律”では俺は演奏での出演はないけど司会を担当します。
通夜と葬儀だけでなく、うちで法事をする時もいつも来てる坊さんのいらん長話(葬儀屋の人も「あんなのは初めてですね」と呆れていた)みたいにならないように反面教師にします(笑)。
フライヤーもそろそろできるはずです。