何十年かぶりのカウンセリング体験。

正式に申し込んで受けるのは今回が初めてである。

 

大きく、有名な団体。

専門のカウンセラーが向き合ってくれる。

 

どんな悩みで?

フッフッフ、それは次回に記する事にして、今回は面談までの やり取りを紹介したい。

 

まず、メールで申し込み。

去年の12月25日に、今年の2月15日 (木)、午前10時の枠を希望、と送った。

当日、事務局より 仮予約したので了承の返事をもらいたいとメールが届いた。

 

あれ?  2月15日(水) とある。

水曜になったのか、木曜なのか。

あえて訂正せずに、2月15日(水)、10時に伺うと返信した。

 

曜日を間違えていた、と再度メールが。

2月15日(木) 14時15分になっている。

 

あー、そうなんだ、時間変更になったんだ。

受けたい人一杯いるもんね。

そして、やはり曜日 間違っていらっしゃったんですね。

2月15日(木)、14時15分に伺います。 と返事を送った。

 

間違えていらっしゃったので、わざわざ その枠を組んでもらえたんだ、嬉しいなーと思っていた。

契約 成立。

一週間前に封筒が届き、申込書が入っているので 面談日に持参するようにとの内容付きで。

 

2月に入り、面談日が近づき楽しみにしていた。

一週間前の8日に封筒が届いた。

流石、本当に一週間前だわ、感心していた。

 

どんなのかしら~、封を切る。

地図と申込書。

 

えっ、ちょっと待って。

2月15日(木)、10時になっている。

どうして?

私、14時15分に面談予定 入れているよ。

ちょっと、ちょっと、、 これ よろしくないんじゃない?

 

早速 電話する。

「はい、乾さん 2月15日、木曜の10時に希望されていたので」

 

あのね、と今回の申し込みのいきさつ、順を追って説明する。

メールの担当、Nさんという方と やり取りさせてもらったんですが。

私がNです。

 

貴方がNさんですか、

12月25日、曜日を間違えていたからと、2月15日(木)の14時15分に枠を取りました、とメールを頂きました。

だから、私は その時間をわざわざ組んでもらえたのだと思って喜んでいたんです。

そして、その時間に伺うと返事を送って、その後 訂正が無かったから 10時には予定を 既に入れてしまいました。

 

彼、メールを 確かめたのだろう。

あっ、と。

私は、どちらの時間に伺えばいいんですか?

 

それは、、どう されますか?

 

なんて、なんて、、。

開いた口が塞がらない。

 

これ、私が元気な人間だからいい。

カウンセリングを受ける方は、通常 心が傷つき弱っている方が多い。

そんな方に こんな対応したら どうなる?

 

しかし、何となく感じる。

おそらく このNさん、そういう事を感じ取れる側の方では ないのだろう。

 

まぁ、しゃーない、 初志貫徹。

10時でいくか、個人的な予定、ずらす事は出来る。

 

大丈夫ですね?

10時、他の方と重なっていないですよね?

念押しし、電話を切る。

 

 

待ちに待った2月15日の木曜日、10分前に来て下さいとの通り、10分前に 扉を開ける。

若い女性スタッフが すぐに出迎えてくれ応接風の場所に案内してくれる。

笑顔に機敏な動き、気持ちがいい。

 

椅子に腰かけようとすると、奥に机があり男性が立ち上がり 「乾さん、この度は すみませんでした」

 

貴方がNさんですか?    はい

 

謝り方も軽い、社交辞令的である。

 

色白・目力なく、眠そうな眼。

太り気味の身体からは緊張感 全く感じられず、スーツまで 緊張感がない。 (やや、だらしない着こなし)

スーツも こういう人に着られたら可哀相だよなって、私ごときが思ってしまった。

 

待ち時間、彼を観察していたが、パソコンを眺めているだけ、ただ それだけ。

いくらパソコンに弱い私でも、それで仕事をしているか どうか位は分かる。

こんなヒマで、なぜ間違う?

 

今回のミス、私が初めてなのか 多々ある事なのか それは分からない。

彼には他に優れた能力があるのかもしれないが、人選を間違えると信用問題につながるのではないか。

「適材適所」 その 言葉が浮かんだ。

 

そんな事 思っていると、

「乾さん、お待たせしました」

 

カウンセラーの先生が迎えに来てくれた。

柔らかな笑顔と共に。

 

 

さあ、いよいよ始まるぞ、カウンセリング。

楽しみにワクワクしながら 後について行った。

 

この1週間で3つのセミナーに参加した。

題目が変わると受講する人達もニオイが変わる。

その題目を要している生き方を 今している人達。

 

1つは関西を元気にしようという起業家達が集まるもの。

ネット販売の起業家。

IT関係者。

金融関係者。

皆若い。  

20代、30代といったところだろうか。

 

講師は、元問屋さん、今は問屋をたたみネットで成功を収めマスコミからも注目されている社長さん。

現代の波に乗りながら未来のアイディアを考えていらっしゃる。

 

「どれだけ読めるか」

 

その力の差異が "未練" を断ち切る近道なのかもしれない。

 

 

次に、講師交流会。

英会話・マナー・話し方教室・そろばん教室・笑顔教室 等々。

その道で生徒さんを導く専門家の方々。

 

 

「講師」って何だろう、、。

下書きの手を止め、 "講" の字を眺め辞書を引く。

「話をする」 が一番目にきていた。

"師" は、  えっ?  「軍隊」が一番にきている。

「先生」 は二番目。

これは気持ち悪い。  検索をして納得。

 

 

"講" を眺めていて アッ となった。

「言」 が前に来ているのは分かる。

しかし、これ、、言い方間違え相手を傷つけてしまったら泣かせてしまう事もある。

サンズイ、水、、、相手に水、、涙。

関係性 壊れてしまう事もある、溝が出来てしまう。

 

そうかぁ、、。

講師は一歩間違えたら、、その言葉に責任を持てない時、"溝"

を作ってしまうんだ。

 

"講師" という職業の重み、再確認させられた思いである。

 

そして、放ったらかしにしている 「エキテン」

何故?  分からないから。

私ではなく卒業生のKちゃんが全てしてくれた。

私は ただ申し込みの対応だけ。

 

ほぐし部門の "ほぐし庵・南風" において。

 

幸運にも抽選で選ばれ午後の部に。

少しでも現代に触れたい。

10分前に着いたのに、ほぼ全席埋まっている。

みんなの真剣さ 背中から伝わってくる。

 

第一部はフェイスブックで集客。

雰囲気が良く分かるもの、写真が大事。

そして、写真以上に動画が大事。

もはや それが主流であると。

 

いくら詳しく書いても、文字は今や読んでもらえない。

スマホの人達は、せいぜい長くても1分半。

興味がなければ一瞬で消されてしまう。

 

ガーーン。

私は一文字入魂の精神で書いてきた。

長い下書き、何度も書き直し、読み直し、パソコンに書き上げた後はグッタリ疲れてしまう。

 

 

聡明な皆様方は、もうお分かりだろう。

私のフェイスブック、昨日から写真が入っている。

Mちゃんの指導の下、Sちゃんに助けられ、何とか写真を載せられるまでになった。

 

 

休憩を挟んで第二部、ラインで集客。

分かる、以前の問題である。

横文字の羅列、意味が分からない、何の事か さっぱり分からない。

専門用語、何? それ まず日本語に直して、、。

 

分からない、ついていけない。

退屈、、、時間が異常に長い。

もう10分経ったかな、時計を見ると、うそ~、まだ2分もたっていない。

 

分からない事は、辛い、しんどい、長い。

1時間のセミナーが半日位の長さに感じる。

 

けど、気づいた。

「心」 も同じじゃないか。

 

今 自分の解決法が見つからなく 心が しんどい方達、こんな想いで毎日 過ごされているんじゃないか。

気の遠くなる位 一日が長いんじゃないだろうか。

 

それ、辛過ぎる。

 

カウンセリングで、ほんの少しでもラクになってもらえたら。

少しでも役に立てるのなら。 

 

 "しっかり聴く" と言う事を肝に銘じ、気を引き締めないと、と当たり前の事を 今更ながら感じた。

 

 

そして、今一度 自分に問いかける。

 

私がクライエントなら 今の私をカウンセラーに選ぶかと。

 

と、硬い事を書きながら傍らで サンズイ (世間では水割りと呼んでいる) を啜っている。

 

 

常日頃より とてつもなく大きな人、何をどうしても敵わない人に出会いたい、と思っている。

 

自身の あまりの凡庸さに厭き尽くし、時に内に向けた怒りで潰れそうになる。

故に その想いをぶち抜いてくれる程の とんでもない人を探し求めている、ようなところがある。

 

 

彼。

その人生、私は勝手に三部構成に仕立て上げている。

1. 借金返済の章

2. アフリカ放浪の章

3. 「今」からの章

 

私が食いつくような紹介のされ方を7月に受けた。

「話を聞きたい!!」 強く思い、8月に実現した。

 

子供の頃から動物が大好きだった。

職業を決めたのは小学校2年生の時。

子犬を拾い家に連れ帰り 「ポチ」 と名付けたその日、"飼育係になろう" と。

「ポチ」 は その時から彼の夢の象徴になった。

今 尚 彼の中で鮮明に生きている。

 

"出会い" が一生を決める事がある。

人生を変える きっかけ となる事がある。

後は、それに沿った行動をしていく事が必要となるが。

 

彼、借金返済の章。

 

父親が4億3千万円の借金を残して他界した。

夢に向かって進もうとしていた時に。

借金自体は彼の関係しないところである。

彼が背負う必要はない。

が、彼は夢を先延ばしにし、父の授業を引き継ぎ返済していく道を選んだ。

 

処分出来る物を全て処分し、残り 得意先に関して迷惑かけられないと、仕事の売り上げから返済していく約束をした。

 

その姿勢に 得意先から 「商品引き取るから それで返していったら?」 の声がかかったという。

ありがたい話ではあるが、 そんな事は出来ない と男気のある彼、自らの力で返していく、その道を取った。

 

16年が過ぎ、無事返し終え会社を辞めた。

会社自体は きっと業績を伸ばし黒字になっていただろう。

だが、そこに彼の夢はない。

 

念願のアフリカへ。

納得するまで、気の済むまで旅したい。

戻るまで1年の日々。

 

サバンナで間近に見る野生動物、植物。

 

ナミビアにあるナビブ砂漠。

夜、光も音もない真の暗闇。

砂丘に寝転がって夜空を見上げると満天の星、次々流れる流れ星。

この時間が、一番良かった、また体験したい、そう話してくれた。

 

なんて 、なんて 贅沢な!!

そんな世界に彼は触れたなんて!!

 

最高の水割りが飲めるじゃない!!

あまりに悔しいから、水割りを飲みながら これを書いている。

 

大自然に対する畏敬や美しさと同時に危険も味わった。

貧しい国々、金目の物は何でも奪おうとする。

銃弾の中、走って逃げる事も。

 

彼曰く、銃そのものは怖くはなかった、過去に体験した(撃たれた)事が無かったから。

それよりも刃物の方が、指を切って痛い思いをした事があるから、そっちの方が怖かったと。

まぁ、これは彼独自の感覚であろう。

 

けど、「身体の記憶」 は、面白いものである。

 

日本に戻り8年が経ち、彼の進行中の夢は、「水瀬の山 (大阪府三島郡) そのものを動物園にしてしまいたい」 である。

山に生息している動物を見て回る、そんな動物園。

その案内係をしたいと。

 

鹿・狸・狐・熊・猿・ハクビシン・蛇・野鳥・川辺には小ミミズク、等々。

結構 いるもんである。

 

野生故、出会えれば幸い、出会えなくても仕方ない。

その時は、山そのものを楽しんでしまえばいい、んじゃないかと 私は思っている。

 

構想から、生息数調査へと。

夢が現実になるのも そう遠い未来ではないだろう。

 

 

彼は言う。

「何故、僕に興味を持ってもらったんですか?

僕、普通ですけど」

 

彼にとっては、ただ自分の思うまま、したい事をしている、その何が変わっているんですか? と。

 

気負いも何もない。

好きな事を楽しんでいる。

時間に追われる切迫感もない。

彼の時間は 大らかで優しいものである。

時を共有すると、ゆったり感が伝わってくる。

 

「いい生き方をされているなぁ」 久々に思わせてくれる人であった。

私は よく 男女とわず尋ねる。

「もし、今 貴方が異性なら今のあなたに惚れますか?」 と。

 

すぐに首を縦に振った。

 

彼との会話の中で、

「僕、堂々と前を向いて歩けます」

その言葉が強く残っている。

 

 

彼の全部を理解出来たわけではない。

しかし、私にとっては気持ちいい人である。

今のところは・・・。

 

 

おっと、指が浮腫んできた。

そろそろ、私の水割りの旅も終わるとするか。

 

 

すくすく、すくすく育っている。

葉の大きさ、握りこぶしを もう超えようとしている。

萌黄が上に上に伸びてゆく。

 

その 釣り合いの美しさ、見事である。

光に向かって進んでいこうとする姿勢、生命力は逞しい。

 

「育む」 を邪魔しない環境は、それが持つ本来の可能性を限りないものにしている。  ように思える。

 

隣では二年前に当校に やって来てくれた観葉植物、鉢を変えるやいなや、どんどん、どんどんと。

新芽が若葉へ。

若葉が完成葉へと姿を変えていく。

 

美しい。

 

都会の自然の少なさは息が苦しくなる。

光の入る場所、それは嬉しい。

しかし、集合住宅。

全面 灰色の物干し場、落下防止用の黒い鉄柵。

 

水田を原風景に持つ私としては、あまりに物足りない、落ち着かない。

 

「何も置いてはいけない」 の賃貸契約ではあるが、抑えきれず、上記したように、観葉植物を置いている。

 

ほんの少しの緑達ではあるが、光を反射させ葉っぱが歌うように揺れている。

その木漏れ日が、幼かった頃、時間に追われていなかった頃の自分を思い出させる。

落ち着く・・。

眺めているだけで五分。

 

今や私の背丈を優に超した観葉植物、鉢を変え伸びに伸びてはくれるものの、どうやら この鉢も小さかったようだ。

葉が樹液のようなもので粘つきだした。

「私は これ位の器ではないぞ」 と言っているように。

 

検索から得た情報では一回り大きなものを、と なっているが、うーん、一回りでいいんだろうか、二回りでは大き過ぎる気がする。

 

 

ユング (心理学者・精神科医) は言っている。

あれか、これか迷った時は あれも、これも、と。

 

よっしゃ、二つ用意しよう。

他の植物クン達にも回せるし。

 

今、こうして下書きをしている間も、夏の夕方前の光が植物クンの葉っぱを輝かせている。

 

美しい。

時を止めたい。

 

おっと、見とれている間に もう四分過ぎた。

 

冒頭に記した、萌黄豊かな葉っぱクン、これ 実は食用に購入したさつま芋。

すぐ食べる予定だった。

故に新聞に包まず、冷蔵庫に入れず。

さあ、お料理しましょうと見たら、、。

袋の中で育ち始めているではないの。

四本とも、ご機嫌さんで。

 

あーあ、勿体ない。

暫く手に取り見ていた。

見ていたとて、時間が戻るわけでもなく。

 

育ち始めた命。

捨てるには、なんか罪の意識が、、。

よし、味覚を逃したのなら、視覚で楽しませてもらおうぞ。

 

という流れで、ここ十日ほど朝に夕に視覚を美味しくしてくれている。

 

食す時期、 ”間” を逃してしまった。

しかし、 ”まぬけ” からこそ おまけが手に入った。

「塞翁が馬」 とまで言えば大袈裟だが。

 

 

眺めていて思う。

私も、日に日に伸びていきたい。 

そのためには、何号の鉢を用意すればいいのだろうか。

 

 

余談ではあるが、、。

 

今回、この文章を記するにあたり、私なりにある挑戦をした。

書き終わるまでに、どれだけ辞書のお世話になっただろう。

「現代」 とは、そういう時代なのだ、如何に それらの中で生きているのか、を再認識した時間であった。

 

 

私が何に挑戦したのか・・。

お分かりになりましたでしょうか。

研修会に参加した。

講師は とある中学の教師。

彼の話を聞くのは これで3回目。

 

日々、笑顔を大切にし 「褒める」 と言う事を積極的に取り入れていらっしゃる。

見るから健康的で、その活力の高さは "近畿の富士山" と呼ばせて頂きたい。

 

「教師」という職業も お好きなのだろう。

それ以上に 生徒が好きで仕方ない というのが伝わってくる。

生徒の話をされる時の表情、嬉しさであふれている。

 

 

今回の課題は 原田メソッド。

やる気のない生徒達に どうしたら やる気を持たせる事が出来るのか。

資料を基に話が進んでいく。

 

途中に ご自分の体験談も加え。

 

こういう事があったと。

荒れた中学、中でも一人の男子生徒が後ろ向きに座り 背中を向けたまま授業に出ている。

いくら前を向くように言っても聞く耳を持たない。

どうしたら前を向かす事が出来るか、そういう授業が出来るのか考え続けていたらしい。

 

ある日、何かの拍子に横向きになった。

すかさず傍に行き、 「やったら出来るやん!!」

「やれば出来るねんやん!!」

思いっきり褒めた、と。

 

思春期の男子、照れくさそうにしながらも 「褒められた」 事を喜んでいた。

続けて説明が続く。

褒められた経験がない子達は、何でもいいから とにかく褒めるように、と。

 

彼を貫く その信念、最低3つは褒めるものを見つけて伝えているらしい。

「おっ、元気な声やな」

「いい消しゴムやな」

 

自分から近づこうとする努力、彼の経験の賜物である。

いかにも教師らしい。

参加者も皆 すばらしい というように頷いている。

 

 

けど、ハッキリ書かせてもらおう。

その程度で喜んでいるようなら、屈折度は まだまだ初心者である。

お分かりであろう。

私が生徒なら、、、

「何?  今 何言うた?   やったら出来る?   何を偉そうに」

「"やったら出来る" は そんな時に使う言葉か?」 と。

 

それは褒めているのではなく、評価を下しているに過ぎない、その事に気づいてもらいたい。

 

背中を向けている、その姿勢は 「出来ていない・アカン」 という二重メッセージになっている事を。

 

それは、紛れもない自己表現ではないのか、彼なりの。

 

背中で真実を聞いている。

見えないからこそ、音として入ってくる言葉の矛盾・ウソを見抜きやすい。

表情に惑わされない分、それは最強であるような気がする。

 

 

そもそも、何故 前を向かさないといけないのか。

 

自分の やりやすさ を優先しているだけではないのか。

道徳・常識というものに従わそうとしているだけではないのか。

 

あっ、それが教育なのか、

学校での躾というものなのか。

 

当たり前の事から外れている子に 「前を向け」 と当たり前の事を言っても何も響かない。

 

当たり前ではない 「何か」

それでいて 「ハッとするような何か」 を届けなければならない。

言葉にして。

 

 

さあ、そこで、、。

今まで これを読んで頂いて ありがとうございます。

 

アナタ にお尋ねしたい。

アナタなら、どう お声かけ されますか?

 

私は既に声掛けしました。

イメージの中で・・・。

 

 

(追記)

 

私は以前、その笑顔爽やかな教師の彼に、

自分の願望を込めて、と前置きしながら

「一歩 何かが違ったら猟奇的殺人が似合いそうな気がする」

と 伝えた。

 

一瞬 顔が引きつりながらも

「それは 絶対にないです」

そう答えが返ってきた。