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日々のあれこれを綴ります。
自己中心的な内容がほとんどですが、共感して頂けたら幸いです。

3/26 金曜日

 

 

 

仕事を終えて帰宅すると家が真っ暗。

 

 

 

息子は完全に生活周期が狂って睡眠中。

 

 

 

娘はママに送られてダンスのレッスン。

 

 

 

結局一人の晩御飯。

 

 

 

 

このところ、親子の在り方についてよく考える。

 

もちろん自分に置き換えて。

 

 

ワタシの幼少期はどうだったのか。

父はどのようにワタシに接していたか。

母はどんな存在であったのか。

 

 

 

ワタシの父は物心つくまでもなくサラリーマン。

元自衛官であり、元自動車の整備工でもあったみたい。

 

 

転職をいくつも重ね当時の職場についた様子。

しかも、ワタシが生まれたのを機に実家に戻ったそうな。

 

 

夕方6時には帰宅し、いつも一緒に夕食を食べてた。

遊んでもらったこともあったが、正直その時の記憶は6年生の部分しか覚えていない。

 

高校受験で志望校に合格した際も、褒めてもらった覚えはない。

無口な人だ。

 

だが、そんな父の存在がいつしかとても大きく見えた。

 

 

大学に入った時からだろうか。

 

 

困ったときはすぐに連絡して対処してもらうようになってた。

今考えれば親として当然なのだろうが、当時は頼れる大人は両親ぐらいだ。

そんな時にも、おそらく面倒なのだろうが、文句を言われたことはなかった。

感情を表に出すことをしない人だ。

 

 

ワタシが親になった時、どんな父親になるのか想像すらできなかった。

ワタシが親になることすら想像していなかった。

 

 

ただ、ワタシの親の手本は父でしかない。

だから、親父のような親父になりたいといつしか思うようになっていた。

 

 

 

寡黙な父。

 

 

そんな父を尊敬し、あの人のようにと父親業をしてきたつもり。

 

 

到底まだまだ追いつけそうにないが。

 

 

 

 

息子がもうちょっと年月を重ね、大人へと成長できた時、ワタシと同じように思ってくれるよう、これからも父親業を全うする。

 

 

 

環境も仕事も違えば、子供との関わり方も違い、子供の性格も異なる。

だから、同じようになるとは到底思えないが、

少なくとも、ちゃんと分かり合える、そして頼りになる存在であり続けたいと思う。

 

 

 

今でも親父と二人で話をする。

農業の話、子供の話、くだらない世の中の話。

どれ一つとってもワタシにとっては大切な時間。

まだまだ超えられない大きな存在の父。

 

 

 

これからも手本であり続けてもらう。

 

 

 

そして、息子にとってそういう存在であれるよう自分を磨き続けようと思う。

3/23 火曜日

 

 

2週間ぶりのお休み。

 

 

何をするかは必然的にしなくてはならないことで埋められ、

それを一つずつこなしていって終わっていく。

 

 

お昼になっても息子はまだ布団の中。

 

 

 

たまの休みなので、外食でもどうかと誘っても眠気が勝つ。

 

 

仕方なく高校生の娘を連れてランチへ。

 

 

 

実家に行って野菜をもらい、帰れば部屋の片づけや車のタイヤの整理などで時間を使い、気が付けば夕方。

 

 

 

休みなんてあっという間。

 

 

そんな中でも、楽しいことを見出すことで、自分の精神状態を安定させる。

 

 

 

息子や娘との会話やくだらないやり取りもその一つ。

 

 

 

本日も息子とウォーキングをしようと思って声をかけると娘も参戦。

 

 

親子3人でのウォーキング。

 

 

歩きなれた町内で1時間ほど。

 

 

町内に新しい公園ができて、これがまた良い感じ。

しばらくはここへ来ることが増えそうだ。

 

 

 

ウォーキング中はほんとに他愛のない話。

 

 

小学生の時に歩いたという通学路だったり、友達の家に行く近道はここを通るだったり。

 

 

 

不思議と、時間の経過がゆっくりになってる気がする。

 

 

 

仕事でなかなか向き合うことの出来ない環境下で、それでも声をかければついてくる子供たち。

楽しいのかどうなのかは本人たちの受け取り次第だが、親として、

やはり子供と触れ合うことは重要な価値を持つ時間のような気がする。

 

 

ワタシも自身の親とよく話をする。

もちろん、どうでもよいくだらない話。

 

 

 

ワタシは半分顔見せと調子伺いを兼ねているのだが、

親にとってはかけがえのない時間になっているのかなと感じる。

 

 

 

本音はまだまだ出てこないが、娘も息子も成長は感じる。

こんな時間を続けてもっと腹を割って話し合える関係を作れればと思う。

 

 

 

またこんな時間を作れるように、

明日からも仕事を頑張るつもり。

3/21 日曜日

 

 

 

相変わらずの日曜出勤。

飲食業であるが故仕方のないことではあるのだが、コロナ禍でも変わらぬ勤務体系は考え物だ。

 

 

 

まぁ、ワタシのことはさておき。

 

 

 

夕方までの現場を終えての帰宅が19時半。

真っすぐ帰ってきてその時間ってのも中途半端ではあるが。

 

 

 

夕食もちょっと中途半端に味見などをしているためすぐに食べる気分にならず…。

 

 

息子を見るとゴロゴロしながら携帯で何やら…。

 

 

 

息子の運動不足も気になっており、かといって運動できる時間でもなく。

いきなり激しい運動すればすぐに悲鳴を上げるし、落ちた体力がすぐに復活するわけでもなく。

 

 

思い立って、二人で近所をウォーキング。

 

 

…という名の「散歩」。

 

 

 

まぁ、運動不足解消もやはり建前で、

実際は会話の時間を作ること。

 

 

 

なかなか面等向かって話す機会など無く、二人の時間を作ることがまず先決なのかと。

 

 

 

もちろん、話すことで不安を解消してあげられることがベストなのだろうが、口ではわかっててもなかなか素直に受け入れられないのが思春期の性。

 

 

 

その相手が父親なら尚更。

 

 

 

本人的に、どう感じているのかは不明なのだが、これを続けることによってもっと息子の本心に近づけることが出来るのではないかと思う。

 

 

 

ワタシの帰宅が早い日に限るが、出来る限り運動不足の解消と、二人の時間を作るべく、このウォーキングを続けていこうと思う。

 

 

 

進学先はまだ決まっていない。

本人に焦りはないのだが、逆に不安要素が先に立って及び腰になっている様子。

 

 

高校に行っても続かないんじゃないか。

また高校に行ってもいじめにあうんじゃないのか。

 

 

そんな不安が受験を拒む要因になりつつある。

 

 

それを受験までに二人で話すことにより、少しでも解消出来るよう努める。

行かせたいんじゃなく、行ってみようと思わせたい。

 

自らの意思で一歩を踏み出せるように。

 

 

 

この先の人生の中で、自ら踏み出す勇気が必ず必要になる。

その勇気をこの受験という出来事を通じて得てもらいたい。

 

 

 

そのための二人のウォーキング。

 

 

続けることに意味があるから、明日も早く帰宅できるようにしよう。