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日々のあれこれを綴ります。
自己中心的な内容がほとんどですが、共感して頂けたら幸いです。

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4/11 日曜日

 

 

 

更新が停滞中。

 

 

なかなか時間が取れない日が続く。

 

 

 

もっとも、昔から時間の使い方があまり上手ではないので

そこら辺はご愛嬌ということで。

 

 

 

本日、晴れて息子が高校入学。

 

 

 

通信制ではあるが、れっきとした高校生。

 

 

 

娘の高校入学より感慨深い。

 

 

 

子供同士を比較するつもりもないが、

やはり進学も含め親子で戦った進学は勝ち取った結果もひとしお。

 

 

 

手がかかったといえばそうなのだが、

世話が焼けるという部分では娘も息子も大差ない。

いくつになろうが子供は子供で、いつまで経っても世話が焼ける。

 

 

 

本当に息子が高校生になれるのか、

 

正直一年前までは不安で仕方なかった。

ワタシの考えとして、正直高校へ行かなくとも大きくなり大人になれると思っている。

だから強要だけはしたくなかった。

ただ、逃げることもさせたくなかった。

 

 

 

親としてできることは、子供の背中を押してあげること。

それが優しいのか厳しいのかは別の問題で、

自発的に動くように誘導して行きたかった。

 

 

 

その自発的が息子にとっては難しい。

何より、学校に対しての嫌悪感が強い息子に対して、

学校に行くという行動を起こさなければならない。

 

 

だから、話し合い、向き合い、行動をともにして

自分から行動できるよう筋道を教えてあげたり。

こんな気持ちのとき、どう考えて進めばいいかを一緒にシュミレーションしたり。

 

 

 

良い方向にまずは一歩を踏み出せた。

それが大きな進歩。

 

 

 

その先、ひょっとしたら挫折を味わうかもしれない。

やっぱり合わないとやめてしまうかもしれない。

 

 

 

でも、そこはまた否定をしないでおこうと思う。

無理せず、本人の意志に任せてみたいと思う。

 

 

もちろん、何事も続けることが一番難しく、大変であることは伝えながら。

 

 

 

先の話ではあるが、車が欲しいと中古車サイトの車をワタシに見せてくる。免許すらないのに。

 

その熱量を他にも分散して、いろんなことに目を向けてくれるように、

高校生の息子と卒業まで向き合う覚悟だ。

 

 

 

 

兎にも角にも。

 

 

高校入学おめでとう。

 

 

楽しい仲間に出会えるように、充実した高校生活が送れることを

父として心から願います。

 

4/1 木曜日

 

 

 

先日、息子が高校を受験した。

 

 

もちろん、この時期の受験なので、全日制ではない。

通信制の公立高校。

 

 

 

親として、それにあたり何を伝えるのか。

そもそも、本人に意思はあるのか。

不登校から再び学校に通うということは本当にできるのか。

 

 

 

様々な思いや葛藤がうごめく中、

半ば強制的に父親の威厳を使い受けるだけ受けてみろと。

 

 

 

受かるかどうかもわからない。

それこそ、続くかどうかもわからない。

 

 

 

ワタシが求めたのは「挑戦」。

 

 

 

何でもいいからまずは動いてみること。

何か不安なものに対して自ら動いてその先の状況を知ること。

例えそれが失敗でも、その失敗をどう変換すればいいか。

成功したとき、どんな感情が生まれるのか。

なってみないとわからない感情もある。

 

 

机上の空論とはよく言うが、絵空事で正論は語れない。

だったら、ホントに体感すべきだと。

 

 

 

いやいやながら、父に行くといった手前、行かなくてはいけない状況になって、腹をくくれた模様。

 

 

 

で、本日合否が発表。

 

 

 

見事合格。

 

やればできるというか、内心当然の結果というか。

 

 

息子に対しての評価ではあるが、

一番褒めるべきは、合格したことより、挑戦したこと。

 

 

 

受験をして感じたこと。

もちろん本人にしか知りえない苦悩もあったろうし、不安もあったろうと思う。

だが、受けてみての感想は「手ごたえがあった」と。

 

 

 

その感想で、まぁ合格は確信していた。

恐らく学校の先生方も同様の評価なのだろうと思う。

 

 

 

特殊というと語弊はあるが、事情を含む志願者が多いであろう通信制の最大の考査とは「やる気」なのではないだろうか。

 

 

 

少なからず、息子にとって非常に価値のある挑戦で、最良の結果になったことは言うまでもなく。

親として、この先の息子の状況も多少変化が生まれるのだと確信している。もちろん良い方向へ。

 

 

 

桜満開のこの春を、一番喜んでいるのはママだと思う。

すべての苦労が報われたのではなかろうか。

 

 

まだまだ息子と向かう日々は続くが、ひとまずは非常に大きな一歩を踏み出せたことを純粋に褒めてやった。

 

 

 

早く大人になりたがる半面、いつまでも甘えることをやめない息子。

 

 

 

これから社会にも触れて、少しずつ、小さくてもいいから一歩一歩をしっかり刻んでいってもらいたい。

3/27 土曜日

 

 

 

朝から息子の癇癪によって目が覚める。

 

たまに現れる自己否定。

 

 

 

布団の中でママとのやり取りを聞きながら、ここで起きてしまえば怒鳴り散らし、もれなく良い結果が生まれないと判断して寝たふりをする。

 

 

 

怒鳴り散らしてしまえば、更に悲観的になることは間違いなく、

ワタシ自身も自己嫌悪に陥る。

 

 

 

何より、今までの苦労も水の泡になる。

 

 

 

他力本願ではないが、ママでないとこの場は取り繕えない。

 

 

 

帰宅後、やはり一日大変だったようだが、さすがママである。

ママには敬服するばかりである。

 

 

 

昨日記述した父親。

寡黙な人なのだが、逆に母は驚くべくよく話す人。

 

 

どうして相いれない二人が一緒になったのかは深く聞いてないが、若くして嫁いだ母は、やはり気丈な人だ。

 

 

 

若くて自慢の母であった。

どこに行っても明るく、コミュニケーション能力も抜群。

大らかさは息子ながら感心した。

 

 

 

そんな母と幼少期にはけんかもよくした。

もちろん私が一方的に悪いわけだが、無口な父を盾に、

「お父さんに言いつけるよ」

の一言で一蹴。

 

 

もはや息子の敵ではない。

 

 

 

そんな母が、元気で明るい母が、

ワタシが大学1年の時、乳がんに襲われる。

 

 

 

そんな時も母は誰より気丈であった。

 

 

 

電話越し、いつもと変わらぬトーンで

「お母さんガンだったから、明日入院して明後日手術だから」

と。

 

 

 

深刻度合いが全く伝わらないワタシは、まるで旅行にでも行ってくるぐらいの感じでしか受け取れなかった。

 

 

 

おかげさまで手術は無事に成功し、術後も良好。

 

 

 

このころ、母の偉大さにも感銘を受けた。

 

 

息子に病気であることを伝える母の勇気と、

そこに立ち向かう姿勢。

その気丈さに息子ながら頭が上がらない。

 

 

今でも定期的に顔を見に行き、二人でランチをしたり、他愛もない話をしたり。

とても大切な存在。

 

 

 

数年前、今度はもう片方の乳がんが見つかる。

さすがに震えた。

神様は本当に意地悪だと。

どうして母に2度も同じ苦しみを与えるのだと。

 

 

 

それでも母はこの局面すら乗り切った。

 

 

放射線治療も大変だった様子だが、

弱音を吐いたことすらない。そんな姿見たこともない。

 

 

 

どこまで気丈なのだ。

 

 

 

今こうしてガンに打ち勝って、普通の生活を送れていることを心から喜んでいる。

 

 

 

先日70歳を迎え、終活の話をしていた。

「お父さん残していったら、とんでもないことになるから」

と、どこまでもたくましく、そして優しい母。

 

 

 

まだまだ元気で過ごしてくれている。

その間にもっともっと親孝行して感謝を伝えたいと思う。

 

 

 

そんな母を間近で見ているうちのママは、ちょっと母に似てきている気がする。

決して強くはないが、家族思いの優しい母に。

 

 

 

ワタシは家族にとても恵まれているんだと実感する。