最近、私は、人は何のために生まれてきたのか

考えてみた。

そこで、“愛”というフレーズが浮かんできた。

子供が自死するまで、我が子を愛すると考えたことはなかった。

当たり前の存在として,生意気であり、少し可愛かったなあとは思っていた。

 

なくなって初めて、息子をこんなに愛していると知った。

そこで、息子は、私に、子育てを通して愛することを私に教えたのか。

そして、愛することを少し知ったのか(大学時代に付き合っていた人がいたらしい)

『人は愛することを教えるために,愛することを

知るために生まれてきた』と感じた。 

人は、その人になりの役割を与えたられて生きているという言葉を聞いたことがある。

我が子の役割の一つはもしかしたらこれかもしれないと思った。

 

なら、おまえは充分役割を果たしたよ。もう、よかったね。

でも、人の役割は一つではないらしい。もっと学ばせたかったなぁ。

 

五常または五徳という言葉があるらしい。

『仁』人を愛し守ること、人を思いやる心

『義』筋を通し、裏切らないこと

『礼』礼節を大切にする心

『智』知性を磨くこと、よく考えて判断する知恵

『信』人を引きつける魅力を持つこと、誠実に約束を守ること

言葉の意味は様々で、何が優先かは人様々で、いくつという定めはないと思う。

 

今の私は、愛です。仕事は感謝、人は感謝と慈しみ、

皆さんは、何が一番ですか。

 

今日は、思いついたことを職員に話してみました。気に入ったので、ブログにも

 

 

 

 

 

今年も我が子の好きな激辛食品を並べました。

今年は、私自身が本格的にはまり始めた、畑作業の作品を載せました。

西瓜(8月中旬以降ができ頃です。)なす、オクラ、トウモロコシ,キュウリ、ゴーヤです。

他に落花生(おおまさり)サツマイモ、里芋、マスクメロン、ブロッコリーなどが栽培中です。

 

今年は、4年目に入り、やっと、仕事以外で集中しているものが見つかったような気がします。

私の癒やしです。

子供に,できた作物を食べてもらいたいです。

「へぇー,お父さんこんなの作ったんだ。結構美味しいよ。」といってもらいたいなぁ。

 

夏野菜は,体にいい。よかったら食べてください。食べられる頃になったら、再度アップしますね。

最近、悲嘆の書籍を読んでいて、「死」と「生」を関連づけた言葉をよく聞くよ

うになり、自分も考えてしまいます。

そんな中、今日昼飯を食べているときにふっと思いました。

 

「生きる事は、大切な人を見送ること」

「死ぬことは,大切な人に見送られること」

 

あぁ、私も両親だけでなく自分の息子を見送ることが役割なのかと思うと

あんなに苦しんで自死した息子に思いが寄せてきて、ただ可哀想でならないこと、

助けられなかった後悔と、逆に今でも苦しんでいる親を見て、息子は望んでい

ないのではないかと思いが巡り、涙で目が湿ってしまいました。

 

更に、我が家は一人息子なので、見送ってくれる人はいません。

でも、見送るのは、現世での子供とは限らないじゃないかと。親しい親族も含みます。

また、先に旅経った息子もあの世で見送ってくれるかもしれません。

見送りではなく、お迎えかもしれませんね。

最近、ブログでもAIに聞くのがはやってるようなので、私もグーグルAIの

ジェミニに聞いてみました。

私の考えはおかしな考えではないこと、自分の考えをAIで再確認して納得し

ている自分がいました。

そして,AIはこのようにまとめていました。

「人類の歴史は,見送り、見送られ,記憶を繋げてきた歴史そのものであると」

 

 

2日前、30年来の私が参加している経営者の会(ちなみに私は自営業なのである。

今は事務員は一人になってしまった。)の親睦会に参加した。夜の飲み会は1年に

1~2回くらいである。古い仲間は上は私より10歳以上上の先輩である。その先輩達から

、誘いを受けた。呼びかけ人の先輩は私の事情を知って励ましながら心配して声をかけ

てくれた。

会合の中で、今のそれぞれの自己紹介の場でもあったら、どうしょうと考えたけれど、

いい答えは見つからない。泣いてしまうかもしれなかった。結果、そのような場はなかった。

 

今日は10年来の同年配の仕事仲間から久しぶりの心配の電話がかかってきた。結果50

分くらい話したが、疲れたので切らせてもらった。

昔からの仲間で,事情を知って心配しながら電話をくれる友達、先輩はとても嬉しい。

何故か心が落ち着く。

でも、親しいから、嘘は言いたくない。何で言えば今の心境を伝えられるのだろう。

最初「なんとか頑張っているよ」と話して、20分ぐらいして、今の確信にはなっていないが、

心に刻んでいる言葉を口にする。「人間は役割があるんだよ。私が死ねないのもまだ、

私には役割があってがあってまだ終えていないからなんだよ。うちの子も役割を終えた

から、旅経ったんだよ」

と自分に言い聞かせるように話をした。

「元気だよ。」「前を向いているよ」なんて言葉は言えない。

自分の今の心境をストレートに言う言葉が見つからない。

 

「最初の頃のように眠れない地獄は去ったよ。」4年目を迎えて、「最近、畑作りに関心を持つよ

うになり、仕事より優先して畑を覗くようになったよ。」

「普段の仕事に向き合っている時間帯は、集中できずにちょっと辛いが、休みの日に

(何もしない時間が辛いから),仕事に手を付けていると集中できて、落ち着くんだよ」

と訳の分からない話をした。

 人と話をしながら今の気持ちを整理しているような感じだ。当然、整理はできていない。

畑のことも、友と話をすることも今の私には「癒やしの時間」のように思う。

大切にしたい時間だ。長々と読んでいただき有り難うございます。

私の好きな時代劇小説を読んだときの一節です。

隠居した父親が、当主となった息子との会話、 

息子『死ぬな』と

父親『親として子に先立たれるのは,ご勘弁願いたい』

  『1日でも子が長生きしてくれてこそ、親は安心して逝けるのでござる。

  次代を残せたという誇りを持って』

息子『無言』

父親『親になればお分かりになりましょう』

 

     著作権に引っかかれば削除願いたい。

 

私は,息子と「死ぬな」という会話をしたことがない。

ほとんどの親はそうだと思う。まさか、息子が死ぬほど苦しんで

いたとは思っていなかったから

もし、一度でもそんな会話をしていたらと思う。今更ながらの後

悔である。

 「もし、辛いことがあったら、親に相談してくれ、まずは死ぬな、

そして、どうしても、どうしても生きるのが辛い、休みたいと思っ

たなら、お前の判断を尊重するよ。」 

本音ではないが、そう思うようにしている私です。

 

そんな会話をしたことがなかった、だから、私は諦めるしかない。

 

今頃、息子は「わかったよ。だから、いつまでも落ち込まないでく

れないかなぁ」

「お父さんの気持ちは痛いほど分かっているから」

父親「そうか、わかってくれたか」「たまに、連絡くれ」

 

朝のモーニングを飲みながら、小説を読んでいる最中の親と亡き子の

会話です。目頭がぬれた土曜日の朝でした。