昨日、仕事中にちょっと気分が落ち込んだので、庭に出てみたら、
子供の亡くなったことをまだ受け入れてないのではないかと
頭に浮かび、急に涙が出てきました。
そうしたら、感情がどんどん高ぶり、今、亡くなったことをとてもではないが、
受け入れられるはずがないじゃないか、と思いました。
PS.11/7追記
今日は受け入れなくてはいけないと思いました。なぜなら、子供が悲しむから、
無理してでも前をむいていきなくちゃと思いました。
いつかは涙をださずに思い出すことができる日が来るのだろうか
私はもう、1年と10箇月が経ちました。なのに---。
悲嘆の書籍をよく読みますが、まず、亡くなったことを受け入れること
から始まると言われています。
私は、もう、とっくに受け入れていると思っていたのですが、感情が
戻ってしまったのかもしれません。
悲嘆の最終段階は、故人のことを悲しまずに思い出すことができるか
が目安だそうです。
受け入れるという言葉は、その時々で揺れるのかもしれません。
売れ入れているつもり、そして今混乱している時期、そして明日への希望
を模索している時期と自分では思っていたのですが、何なんでしょう。
でも、正面から向き合っているつもりではあるのですが。
悲嘆の感情が落ち着いた人の話が聞きたいですね。
悲しんでいる状態は、子供は望んでいないのですが、息子に「ごめんね。
でも、頑張っているからね。」と許しを乞うています。
ちょっと混乱していますね。