我が家にとってこの年は、公私ともに慌ただしい年になりました。

亡き一人息子の3回忌、義父の3箇月の闘病の末の逝去がありました。

 

仕事の方では、

職員の大病の発見、他の職印の解雇、業務の見直し、業務縮小など決断

が迫られた1年でした。

結果、慌ただしかったですが、最終的には業務上のストレスが軽減され

たように思います。

仕事をする上での眠気も急変した業務の変化のために消えたように思います。

 

特に、私の睡眠上の辛さが少し改善されたような年でした。

それは、私は、朝は6時15分くらいに起きて、ラジオ体操後は7時に再度8時まで

仮眠する習慣がありました。

子供が亡くなる前からのルーティーンです。

しかし、5時過ぎに目覚めるとその後眠れなくなり、この戦いが辛いものでした。

その後の仮眠も長く続かず、眠らなくちゃいけないという私の思いが縛られ

て辛い思いをしていました。

9月頃より、「その決まりはどこにもないんだ。5時過ぎは眠れないならば、それは

それでいいじゃないか」と思うようになりました。

自分で自分を縛っていた決まりからようやく解き放されたような気がしました。

ちょっと大げさですが。

そのあと、こんな気づきはもっとないかと探してみましたが、ありませんでした。

ただ、こんな小さなことも、毎日毎日の子供との思考の末に生まれてきたものだと

私は信じています。

 

そして、来年も何か一つ、新しい発見を目指して息子と語り合う毎日を続けてい

きたいと思います。

今、紅白で唯一聴きたかった福山雅治氏の「クスノキ」を聴き終えました。

皆さんにとっても、来年は一つでもよい年でありますようにお祈り申し上げます。

今年一年におやすみなさい。

 

年末年始の行事は、それぞれの家族にとって、欠かせない行事があると思います。

私の場合は、年末大掃除は、家族全員で行っていました。多分小中高校大学と続

いていたと思います。

 

最後の2年間くらいは、寮生活でしたが、年末には帰ってきたので、忘れられない

行事です。口数は多くありませんが、最低限の会話はしたとおもいます。

亡くなっても、家族の大事な思い出がよみがえりますので、止められない行事です

。一緒に掃除している感じになりちょっと嬉しいです。

 

また、亡くなる年に我が家の金柑取りを一緒にしました。それを私が甘露煮を作りました。

子供との最後の行事だと、今年も止められません。

 

正月も、兄弟及びその子供孫達も母屋に集まりますので、避けられません。

亡くなった翌年もコロナ渦のときも細々とやりました。

ただ、甥っ子の子供達(女の子)が遠方からくると少しつらいです。その当時はその

子達は思春期(受験期)だったので、いまだ伝えていません。遺影も外します。

●●君はどうしたのと聞かれることのないように、祈るばかりです。

 

来年も我が子の思い出を踏まえて、1年を頑張れるようにしたいものです。

毎年、年末に亡き子供に手紙を書きます。子供との思い出を文字化することは

心の中に我が子の碑を立てることだという自死遺族の話を聞きました。そして、その人に

とって癒やしになっていると

私も気持ちは同じです。

ちょっと早いですが、皆さんにとっても良い年になりますように

私は、毎日BSの中国時代劇ドラマを4本録画している。

その中で、朝4時から放映している「琅邪榜」は秀逸である。

抜群の復讐劇である。

5年くらい前に一度見たが、事後は2回目の再放送である。

今日の放送は、クライマックスの場面になっている。

ここ二週間くらい、昼飯時に15分くらい録画を見るのだが、

毎回何故か涙ぐんでしまうのが自分でも不思議なのである。

1回目は泣くことなど全くなかったが、原因は分からない。

ドラマの内容も息子の自死とは全く直結していない。

 

あえて、理由を探すと、共通点らしきものが1つありました。

それは、主人公が「人は定めがあり、その定めに抗えない」

の台詞がありました。えん罪となり、それを晴らすために

地獄の苦しみを超え、残り少ない命を受け入れ、えん罪を

晴らすだけが糧として生きているドラマである。

息子には、どんな定めがあったのだろうか、25歳という若い

壽命に、何を思い、今、魂として何を頑張っているのだろうか。
まだ、浄土には行っていないのだろうか。
あれ以来、音楽を聴き、ドラマを見て、なにか自分の現状

と共鳴するものを探しているのかもしれない。私は死ぬまで

、子供の気持ちに近づきたいと願って生きていくのだろう。
 

それにしても、ドラマは最終回の1つ前が一番面白いですね。

 先日、諏訪方面に車で夫婦で旅行に行ってきた。昨年の出雲の宍道湖に続き、

湖からの景色に憧れている。亡き子供とは、オートキャンプに80回(千葉中心)、

中学から大卒まで毎年必ず年1回旅行に行っていた。当然、中央道も5.6回利用

している。(富士五湖、白川郷、上高地、清里、明野キャンプ)

 

今回、調布あたりを走っていると、途中、8年くらい前に息子が大学入学のため

のオリエンテーションに家族で車に乗って大学まで行ってみようと思い、府中ま

で行ったことを思い出された。何故か、強く思い出されて、車中でも涙が

止まらなかった。何故か、子供が生きてきた証の場所だからか。その後、大学

キャンパスへは入学式、学祭といつも電車であった。
   あちこち旅行しているので、どの道も使っている。事後の何度かの旅行先も

何故か子供と関連するエリアがおおい。そしてこれからも、息子を思い出す旅

となるだろう。息子と行った場所、息子だけが行った場所(是非行ってみたい

と思います。)、息子も私もいったことのない場所(新しい場所に息子も連れて

行きたいのです。)行ける場所がもう、何カ所もない。でも、体が動く限り、親

 

 

3人で現世の旅行を楽しみたい。喜んでくれるかなぁ

 

。冥土の土産になるかなぁ>

 

 

諏訪大社は4社あるが、それぞれ違う顔(雰囲気、

神社前通り、施設の感じ)があることを言ってみて初めて知りました。

人間は生まれるとき、生きるとき、死ぬときも一人なのか

   『人間、生まれたときも一人、死ぬときも一人である。』一遍上人語録より

   こんな言葉をよく聞く。  他の人と協力関係を持って暮らしていても一人

てある。たとえ、夫婦として一緒に暮らしていて死ぬときは別々である。

 

    逆な考え方もある。『人間は一人で生まれて来れないし、一人で死ねない。』
  私はどちらも正解だと思う。視点が違うだけである。
          
ここからは私の勝手な思考である。
【生きていくのは一人なのか】
では、今現実に人間は一人で生きていくものなのか。(尚、この場合の一人

とは、周囲に友達も、親戚も知人も誰もいないというという意味ではない。)

【我が子の成長を振り返って】
特に子供の時は、生まれたときから自立するまで一人では生きていくことはできない。
しかし、成長の過程で、少しずつ自我が目ざめる。でも、周囲の助けはまだいる

。その中で、自分が成長し、努力し、勉強に、スポーツに励んでくると、物事を

自分で決めて行動するようになる。(中学、高校からかなぁ。)当然、何をするに

も一人で決断し、行動する機会が増えてくる。でも、たまに親に相談する。特に

お金、進学については。
一人で決めなくては前に進めないことも覚えてくる。その過程では、人とふれあう

こと等で、いいこと(楽しいこと)も辛いことも本人の心にのし掛かってくる。

逆に自分一人で対処できないこと、悩むことも増えてくる。(中学、高校、大学)

でも、人に頼ることをヨシとしない自我が目覚めてくる。(少し生意気になってき

たなぁ)また、人に相談できないことがあることも学ぶ。当然、心身共に未成熟

な時は、揺れ動く気持ちに精神的に不安定な心持ちとなる場合もあると思う。
それでも、まるで一人で生きてきたかのように振る舞う(高校、大学時代かなぁ)。

日常生活では、自立していなくても自分で決断する、自分で決めることが当たり前

という気持ちがどんどん芽生えてくる。
  そんなとき、苦しんでいるのに(周囲に相談できないと決めてしまうような悩みの

遭遇するのか)、周囲の助けを求めずに自分で決めてしまう場合がある。
  それが自死という形に表れるのか
    親しい人への感謝、心配かけまいとする心配りはあるけれど、過剰な自我は、自分

の命をかけた戦いに一人で望んでいくのだろう。
そこに親の事後の哀しみは見えない。もう、病の領域に入ってしまったのだから。
(我が子のことを勝手に妄想しました。)

【一人で生きていくときとは】
   人間は、一人で生きていかなければならない場合もある。
自分に降りかかってくる苦しみ、悩み、喜びは他人には分かち合うことはできないも

のがある。病の苦しみ、精神的な苦しみどちらも自分しかわからない。だから、相談

できない。成長期がさらにそうさせるのだろう。
物事を自分で決めるとき、其れは一人で決断しなければならない。そういう繰り返しで、

人間はいろんな思考を育んでいくものなのか。そこに年齢は関係ない。いくつになって

も苦悩は繰り返される。
ちょっと関係ないが、60,70代になっても親、妻、兄弟に言えない秘密はみんな抱えている。
 多分、生き死には関係のない悩みかもしれない。
 

【2つの世界】
 私は、生きて行くには、2つの世界があるように思う。
  1つは、一人で生きていく世界
   もう1つは、助け合い、寄り添っていく世界。

    今の私は、苦しむときは、私一人。かみさんとは哀しみの原因は同じでも、

直球で語り合うことはできない。でも、そばにいるだけで、助けられること

がある。妻以外の友人、兄弟にも助けられている。

  この2つが共存、混在して生きて行くことに繋がるように思う。
 

【今の私】
  たくさんの人との関わりが、今の自分を助けてくれていることがわかる。

其れが生きるということなのか。それを得るために人間は生まれてきたの

か。それを学ぶために生きているのか。それは人を愛すること(愛を与え

ることと愛を受けること)を知る為に生きているのかさへ思う。

(ちょっと話を無理矢理つなげています。結論を先に持ってきてい

る感じがあります。理解しにくいのは当然です。)
    我が息子も、この2つの世界の中でいきて、友達にも十分に恵まれ、親への

感謝しながら、未熟ながら自分で決断したのである。
他人から見たら、間違っていた選択かもしれないが、やむにやまれぬ決断を

した息子の尊厳を認めてあげたい。守ってあげたい。たった一人の父親だから。
  それが、生きている間にしてあげれなかった子孝行と信じ、供養と信じて私

は生きていきたい。
 

この投稿は2日がかりです。ちょっと仕事中にも考えてました。レポート用紙

3枚になりました。ブログで挙げる内容ではないと思いましたが、吐き出す場

として投稿させてもらいました。最後まで読んでいただき有難うございました。