夜の散歩に出かけたら、何故か大粒の涙がこみ上げた。

 

生前の彼への思いは、さまざまだ。

日常では、あまり腹を割って話すことはない。

といって、常に反抗的な態度を取るわけではない。

たまに帰ってきたときは、食事に誘うとついてくる。

25歳まで毎年旅行などに誘うと、何も言わずについ

てくる。

たまに会話すると、ちょっと反抗的な態度も見せる。

そんな彼に対し、父は彼の人生に必要ならば、親として

精一杯の援助と手伝いをしてきたし、今後もする予定

でいた。その対象がいなくなったのが寂しいというこ

となのだろう。

 

3年前のその時から、親子の歯車が止まってしまった。

彼が父のいる世界から旅立ったあとに湧き出る感情は

様々だ。

怒り、悲しみ、苦しみ,謝罪、感謝は強く、深く際限が

無い。

 

生前は考えもしなかった彼への愛情が沸いてきた3年間

生前は考えもしなかった彼への愛しさ増している3年間。

そのことに吃驚している父がいる。

(こんなに俺は息子を愛していたのか)

 

夜の散歩で彼のことを考え、その思考が夜空を埋め尽く

し、じっくりとこの空間に浸っている。

このひとときがいまの父の癒やしの時なのか。あふれる涙に

こみ上げてくる感情が何か訴えているのだろうか。父にはわ

からない。

 

このまま,父が死ぬまで彼への愛おしさが増していくのが怖い。

心穏やかに自分の寿命を全うすることはもう叶わない定めな

のだろう。

 

ならばそれを受け入れよう。

少し年の離れた親子だが、共に生きよう。死も生きる事の一部

なのだから

 

ちょっとポエム調な父でした。

昨日は、うちの息子の3回目の祥月命日でした。

 

子供の最後の様子を話しますので、辛い方は読まないでください。

いつものように、子供が亡くなった場所のそばに行き、花を供えました。

近くのレストランで少し贅沢をして夕食を取る予定でしたが、かみ

さんが、す●家に行こうといいました。

 

最後の日のことをクレジットをたどると多少わかりました。

前から多少は聞いてしたのですが,息子が亡くなった日の行動が,クレ

ジット会社への問い合わせをして、更に事情を説明して、利用明細を

出してもらいました。それをみると、多分最後の食事が、駅前のす●家

だったのです。昨日初めて知りました。

(ちなみにその周辺は、松屋も吉野家もあります。私は吉野家が好きです。)

 

子供が亡くなったことは、もう事実として受け入れているつもりでした。

それをかみさんから聞くと、1日何を思っていたのか、喫茶店で六杯く

らい珈琲を飲んでいたそうです。

そのことをいつ決断して、最後の日を迎えたのか、それを思うと、とても

受け入れられません。アパートに帰らず、その1日は何を思っていたのか、

生きる事か、死ぬことか、最後の決断をおもうと、可哀想で、可哀想で。

 

最後の日の思いは、ふだんは、蓋をしているつもりです。いつかは、様々

な感情を私の心にしまって、受け入れて上げたいと思います。

注文したメニューが悪かったのか、あまり美味しく感じることなく、せっ

かくなので、タリーズにも寄りたかったのですが、今閉店中なので、他の

喫茶店によって帰りました。

 

この日の前後に2人の女性が、自宅にとてもきれいなお花を手向けていただ

きました。

1人は、事前に寄りたいと連絡がありました。もう一人は,うちの職員で朝

、仕事場に花を持ってきていただきました。

直前で花をもらうと、予期しないことなので、吃驚して、涙が20分くらい

涙腺に溜まりっぱなしでした。

私は、こういう連絡のない,吃驚する、嬉しいことはとても好きです。

長くなってすいません。

朝、トリノオリンピックのフィギアペアでりくりゅうペアが金メダルを取りました。

かみさんから聞いて、テレビを見て、涙が出ました。

オリンピックで涙が出たのは初めてです。 

参加された方、全てが素晴らしいのですが、私にとってこのオリンピックNo.1です。

最近,アクロバテックな競技が脚光を浴びる機会が多いのですが(それはそれで素晴

らしいのです。)、最近、数少ない美しさを争う競技だと思います。特にペアは2人で

助け合い,成し遂げる美しさです。ここまでに至る苦労を想像すると2人の苦労が実を

結んだことに思いが深くまります。

世界最高得点です。たぶん、伝説の競技となるでしょう。

 

何故か、ここで息子のことがでてきました。

私の息子は25歳で旅立ちました。まだ、何も成し遂げていません。又後輩に何も残し

ていません。でも、私たち夫婦の人生の中で25年間という長さは、幼少期、青年

期それぞれに素晴らしい時間を過ごさせてもらいました。私達の人生の金メダルです。

これから二度ともらうことのない金メダルです。いつかは諦めの、感謝の,思い出の

息子メダルをお前にあげよう。息子よ有難う。

今日一日は、とても気分がいいです。まだ、涙ぐんでいます。

そんな気持ちにさせてくれた木原さん、三浦さん有難う。

私達が生きているこの世界の人間を、勝手に3種類に分けをてみた。

ちょっと長くなってしまいました。

 

①1つは日常で自分が死ぬことを考えない人たち。

 自分の命はまだまだ先だと思い、五年後10年後の事を考え巡らし、

今のこの瞬間瞬間を生きていない人。(言葉に語弊があるかもしれません。)

一般的に日本人は日常で特に、死ぬことを考えないから、何故生きる

のかということも深く考えないらしい。

現実では、喜び、悲しみ、苦しみ、後悔、夢をもち、老いた両親の死を

体験していると思う。ほとんどの人がこれに当たると思う。

子供が亡くなるまでの私である。自分の成長より、子供の将来に残りの

人生の希望、喜びを感じていた頃である。

 

②二つ目は、自分の死を間近に感じ、生きる事に絶望と哀しみと残り少ない

時間を無駄にできないと今のこの瞬間を大切に生きようとする人たち。

大病を患い、死を感じ、今この瞬間を生きようと決めた人たちである。この

人達は比率からすれば僅かだと思う。

 

③三つ目は、自分の大切な人を失い、死を身近に感じながら、自分の死とはむ

ずびつけられず、大切な人の死の哀しみに生きる気力も失い、今の自分を見失

っている人である。

今の私である。(少しずつですが、薄暗い扉を開けようと努力している。)

 

①も②も③も生まれた以上、全ての人間に死が訪れることは同じであるのに---------

 

③は、自分の死を考えないという観点からは、①の範疇に入るのかもしれないが、

①には戻れない人たちである。我が子の死を体験し、死ということを毎日のよう

に感じ、何故、生きるのか、何故、生きる期限はみんな違うのか。常に自問自答

している点では、②に限りなく近いかもしれない。そして、自分で新しい扉を開

き、生きる事の意味を再確認し、新しい気づきが自分を強くしてくれる可能性と

いう点でも②に近いと思う。

 

尚、私のとても近い友人に②の状態の人がいる。その生き様に語り合うことはないが、

とても刺激を受けている。

 

今、私の望みは、②のように死ぬことや生きる事を自分に問いつづけながら、自分の

人生を亡き子とともに①のように日常生活のなかで笑いながら、たまに泣きながら、

今この瞬間を生きて行けたらと願うのみである。

何でも、分類したがる私の癖である。

最後に、このブログを読んでくださる皆さんに少しでも明日への希望となる幸せ

(僅かでも)が訪れますように。

うーむ、最後の下りは誤解を招きそうだなぁ。私も明日に希望を持って、今日の一日

の務めができたことに感謝して、パソコンを綴じます。

 

【tac持て余し語録より】

我が家にとってこの年は、公私ともに慌ただしい年になりました。

亡き一人息子の3回忌、義父の3箇月の闘病の末の逝去がありました。

 

仕事の方では、

職員の大病の発見、他の職印の解雇、業務の見直し、業務縮小など決断

が迫られた1年でした。

結果、慌ただしかったですが、最終的には業務上のストレスが軽減され

たように思います。

仕事をする上での眠気も急変した業務の変化のために消えたように思います。

 

特に、私の睡眠上の辛さが少し改善されたような年でした。

それは、私は、朝は6時15分くらいに起きて、ラジオ体操後は7時に再度8時まで

仮眠する習慣がありました。

子供が亡くなる前からのルーティーンです。

しかし、5時過ぎに目覚めるとその後眠れなくなり、この戦いが辛いものでした。

その後の仮眠も長く続かず、眠らなくちゃいけないという私の思いが縛られ

て辛い思いをしていました。

9月頃より、「その決まりはどこにもないんだ。5時過ぎは眠れないならば、それは

それでいいじゃないか」と思うようになりました。

自分で自分を縛っていた決まりからようやく解き放されたような気がしました。

ちょっと大げさですが。

そのあと、こんな気づきはもっとないかと探してみましたが、ありませんでした。

ただ、こんな小さなことも、毎日毎日の子供との思考の末に生まれてきたものだと

私は信じています。

 

そして、来年も何か一つ、新しい発見を目指して息子と語り合う毎日を続けてい

きたいと思います。

今、紅白で唯一聴きたかった福山雅治氏の「クスノキ」を聴き終えました。

皆さんにとっても、来年は一つでもよい年でありますようにお祈り申し上げます。

今年一年におやすみなさい。