2日前、30年来の私が参加している経営者の会(ちなみに私は自営業なのである。

今は事務員は一人になってしまった。)の親睦会に参加した。夜の飲み会は1年に

1~2回くらいである。古い仲間は上は私より10歳以上上の先輩である。その先輩達から

、誘いを受けた。呼びかけ人の先輩は私の事情を知って励ましながら心配して声をかけ

てくれた。

会合の中で、今のそれぞれの自己紹介の場でもあったら、どうしょうと考えたけれど、

いい答えは見つからない。泣いてしまうかもしれなかった。結果、そのような場はなかった。

 

今日は10年来の同年配の仕事仲間から久しぶりの心配の電話がかかってきた。結果50

分くらい話したが、疲れたので切らせてもらった。

昔からの仲間で,事情を知って心配しながら電話をくれる友達、先輩はとても嬉しい。

何故か心が落ち着く。

でも、親しいから、嘘は言いたくない。何で言えば今の心境を伝えられるのだろう。

最初「なんとか頑張っているよ」と話して、20分ぐらいして、今の確信にはなっていないが、

心に刻んでいる言葉を口にする。「人間は役割があるんだよ。私が死ねないのもまだ、

私には役割があってがあってまだ終えていないからなんだよ。うちの子も役割を終えた

から、旅経ったんだよ」

と自分に言い聞かせるように話をした。

「元気だよ。」「前を向いているよ」なんて言葉は言えない。

自分の今の心境をストレートに言う言葉が見つからない。

 

「最初の頃のように眠れない地獄は去ったよ。」4年目を迎えて、「最近、畑作りに関心を持つよ

うになり、仕事より優先して畑を覗くようになったよ。」

「普段の仕事に向き合っている時間帯は、集中できずにちょっと辛いが、休みの日に

(何もしない時間が辛いから),仕事に手を付けていると集中できて、落ち着くんだよ」

と訳の分からない話をした。

 人と話をしながら今の気持ちを整理しているような感じだ。当然、整理はできていない。

畑のことも、友と話をすることも今の私には「癒やしの時間」のように思う。

大切にしたい時間だ。長々と読んでいただき有り難うございます。

私の好きな時代劇小説を読んだときの一節です。

隠居した父親が、当主となった息子との会話、 

息子『死ぬな』と

父親『親として子に先立たれるのは,ご勘弁願いたい』

  『1日でも子が長生きしてくれてこそ、親は安心して逝けるのでござる。

  次代を残せたという誇りを持って』

息子『無言』

父親『親になればお分かりになりましょう』

 

     著作権に引っかかれば削除願いたい。

 

私は,息子と「死ぬな」という会話をしたことがない。

ほとんどの親はそうだと思う。まさか、息子が死ぬほど苦しんで

いたとは思っていなかったから

もし、一度でもそんな会話をしていたらと思う。今更ながらの後

悔である。

 「もし、辛いことがあったら、親に相談してくれ、まずは死ぬな、

そして、どうしても、どうしても生きるのが辛い、休みたいと思っ

たなら、お前の判断を尊重するよ。」 

本音ではないが、そう思うようにしている私です。

 

そんな会話をしたことがなかった、だから、私は諦めるしかない。

 

今頃、息子は「わかったよ。だから、いつまでも落ち込まないでく

れないかなぁ」

「お父さんの気持ちは痛いほど分かっているから」

父親「そうか、わかってくれたか」「たまに、連絡くれ」

 

朝のモーニングを飲みながら、小説を読んでいる最中の親と亡き子の

会話です。目頭がぬれた土曜日の朝でした。

 

 

 

夜の散歩に出かけたら、何故か大粒の涙がこみ上げた。

 

生前の彼への思いは、さまざまだ。

日常では、あまり腹を割って話すことはない。

といって、常に反抗的な態度を取るわけではない。

たまに帰ってきたときは、食事に誘うとついてくる。

25歳まで毎年旅行などに誘うと、何も言わずについ

てくる。

たまに会話すると、ちょっと反抗的な態度も見せる。

そんな彼に対し、父は彼の人生に必要ならば、親として

精一杯の援助と手伝いをしてきたし、今後もする予定

でいた。その対象がいなくなったのが寂しいというこ

となのだろう。

 

3年前のその時から、親子の歯車が止まってしまった。

彼が父のいる世界から旅立ったあとに湧き出る感情は

様々だ。

怒り、悲しみ、苦しみ,謝罪、感謝は強く、深く際限が

無い。

 

生前は考えもしなかった彼への愛情が沸いてきた3年間

生前は考えもしなかった彼への愛しさ増している3年間。

そのことに吃驚している父がいる。

(こんなに俺は息子を愛していたのか)

 

夜の散歩で彼のことを考え、その思考が夜空を埋め尽く

し、じっくりとこの空間に浸っている。

このひとときがいまの父の癒やしの時なのか。あふれる涙に

こみ上げてくる感情が何か訴えているのだろうか。父にはわ

からない。

 

このまま,父が死ぬまで彼への愛おしさが増していくのが怖い。

心穏やかに自分の寿命を全うすることはもう叶わない定めな

のだろう。

 

ならばそれを受け入れよう。

少し年の離れた親子だが、共に生きよう。死も生きる事の一部

なのだから

 

ちょっとポエム調な父でした。

昨日は、うちの息子の3回目の祥月命日でした。

 

子供の最後の様子を話しますので、辛い方は読まないでください。

いつものように、子供が亡くなった場所のそばに行き、花を供えました。

近くのレストランで少し贅沢をして夕食を取る予定でしたが、かみ

さんが、す●家に行こうといいました。

 

最後の日のことをクレジットをたどると多少わかりました。

前から多少は聞いてしたのですが,息子が亡くなった日の行動が,クレ

ジット会社への問い合わせをして、更に事情を説明して、利用明細を

出してもらいました。それをみると、多分最後の食事が、駅前のす●家

だったのです。昨日初めて知りました。

(ちなみにその周辺は、松屋も吉野家もあります。私は吉野家が好きです。)

 

子供が亡くなったことは、もう事実として受け入れているつもりでした。

それをかみさんから聞くと、1日何を思っていたのか、喫茶店で六杯く

らい珈琲を飲んでいたそうです。

そのことをいつ決断して、最後の日を迎えたのか、それを思うと、とても

受け入れられません。アパートに帰らず、その1日は何を思っていたのか、

生きる事か、死ぬことか、最後の決断をおもうと、可哀想で、可哀想で。

 

最後の日の思いは、ふだんは、蓋をしているつもりです。いつかは、様々

な感情を私の心にしまって、受け入れて上げたいと思います。

注文したメニューが悪かったのか、あまり美味しく感じることなく、せっ

かくなので、タリーズにも寄りたかったのですが、今閉店中なので、他の

喫茶店によって帰りました。

 

この日の前後に2人の女性が、自宅にとてもきれいなお花を手向けていただ

きました。

1人は、事前に寄りたいと連絡がありました。もう一人は,うちの職員で朝

、仕事場に花を持ってきていただきました。

直前で花をもらうと、予期しないことなので、吃驚して、涙が20分くらい

涙腺に溜まりっぱなしでした。

私は、こういう連絡のない,吃驚する、嬉しいことはとても好きです。

長くなってすいません。

朝、トリノオリンピックのフィギアペアでりくりゅうペアが金メダルを取りました。

かみさんから聞いて、テレビを見て、涙が出ました。

オリンピックで涙が出たのは初めてです。 

参加された方、全てが素晴らしいのですが、私にとってこのオリンピックNo.1です。

最近,アクロバテックな競技が脚光を浴びる機会が多いのですが(それはそれで素晴

らしいのです。)、最近、数少ない美しさを争う競技だと思います。特にペアは2人で

助け合い,成し遂げる美しさです。ここまでに至る苦労を想像すると2人の苦労が実を

結んだことに思いが深くまります。

世界最高得点です。たぶん、伝説の競技となるでしょう。

 

何故か、ここで息子のことがでてきました。

私の息子は25歳で旅立ちました。まだ、何も成し遂げていません。又後輩に何も残し

ていません。でも、私たち夫婦の人生の中で25年間という長さは、幼少期、青年

期それぞれに素晴らしい時間を過ごさせてもらいました。私達の人生の金メダルです。

これから二度ともらうことのない金メダルです。いつかは諦めの、感謝の,思い出の

息子メダルをお前にあげよう。息子よ有難う。

今日一日は、とても気分がいいです。まだ、涙ぐんでいます。

そんな気持ちにさせてくれた木原さん、三浦さん有難う。