私達が生きているこの世界の人間を、勝手に3種類に分けをてみた。
ちょっと長くなってしまいました。
①1つは日常で自分が死ぬことを考えない人たち。
自分の命はまだまだ先だと思い、五年後10年後の事を考え巡らし、
今のこの瞬間瞬間を生きていない人。(言葉に語弊があるかもしれません。)
一般的に日本人は日常で特に、死ぬことを考えないから、何故生きる
のかということも深く考えないらしい。
現実では、喜び、悲しみ、苦しみ、後悔、夢をもち、老いた両親の死を
体験していると思う。ほとんどの人がこれに当たると思う。
子供が亡くなるまでの私である。自分の成長より、子供の将来に残りの
人生の希望、喜びを感じていた頃である。
②二つ目は、自分の死を間近に感じ、生きる事に絶望と哀しみと残り少ない
時間を無駄にできないと今のこの瞬間を大切に生きようとする人たち。
大病を患い、死を感じ、今この瞬間を生きようと決めた人たちである。この
人達は比率からすれば僅かだと思う。
③三つ目は、自分の大切な人を失い、死を身近に感じながら、自分の死とはむ
ずびつけられず、大切な人の死の哀しみに生きる気力も失い、今の自分を見失
っている人である。
今の私である。(少しずつですが、薄暗い扉を開けようと努力している。)
①も②も③も生まれた以上、全ての人間に死が訪れることは同じであるのに---------
③は、自分の死を考えないという観点からは、①の範疇に入るのかもしれないが、
①には戻れない人たちである。我が子の死を体験し、死ということを毎日のよう
に感じ、何故、生きるのか、何故、生きる期限はみんな違うのか。常に自問自答
している点では、②に限りなく近いかもしれない。そして、自分で新しい扉を開
き、生きる事の意味を再確認し、新しい気づきが自分を強くしてくれる可能性と
いう点でも②に近いと思う。
尚、私のとても近い友人に②の状態の人がいる。その生き様に語り合うことはないが、
とても刺激を受けている。
今、私の望みは、②のように死ぬことや生きる事を自分に問いつづけながら、自分の
人生を亡き子とともに①のように日常生活のなかで笑いながら、たまに泣きながら、
今この瞬間を生きて行けたらと願うのみである。
何でも、分類したがる私の癖である。
最後に、このブログを読んでくださる皆さんに少しでも明日への希望となる幸せ
(僅かでも)が訪れますように。
うーむ、最後の下りは誤解を招きそうだなぁ。私も明日に希望を持って、今日の一日
の務めができたことに感謝して、パソコンを綴じます。
【tac持て余し語録より】