昨日、仕事中にちょっと気分が落ち込んだので、庭に出てみたら、

子供の亡くなったことをまだ受け入れてないのではないかと

頭に浮かび、急に涙が出てきました。

そうしたら、感情がどんどん高ぶり、今、亡くなったことをとてもではないが、

受け入れられるはずがないじゃないか、と思いました。

PS.11/7追記

今日は受け入れなくてはいけないと思いました。なぜなら、子供が悲しむから、

無理してでも前をむいていきなくちゃと思いました。 

 

いつかは涙をださずに思い出すことができる日が来るのだろうか

私はもう、1年と10箇月が経ちました。なのに---。

悲嘆の書籍をよく読みますが、まず、亡くなったことを受け入れること

から始まると言われています。

私は、もう、とっくに受け入れていると思っていたのですが、感情が

戻ってしまったのかもしれません。

悲嘆の最終段階は、故人のことを悲しまずに思い出すことができるか

が目安だそうです。

受け入れるという言葉は、その時々で揺れるのかもしれません。

売れ入れているつもり、そして今混乱している時期、そして明日への希望

を模索している時期と自分では思っていたのですが、何なんでしょう。

でも、正面から向き合っているつもりではあるのですが。

 

悲嘆の感情が落ち着いた人の話が聞きたいですね。

悲しんでいる状態は、子供は望んでいないのですが、息子に「ごめんね。

でも、頑張っているからね。」と許しを乞うています。

ちょっと混乱していますね。

 

昨日、木更津のアウトレットにかみさんと行ってきました。走行途中、2年ぶりに車の

カーナビよりCDのボタンを押しました。ここ10年、子供と一緒の家族旅行の時に必

ず聞いていたフォークソングが流れてきました。

途中、まずいなぁと思い、止めようかと思いましたが、最後まで聞いてしまいました。

さだまさしさんの「案山子」「精霊流し」、吉田拓郎さんの「今日までそして明日へ」

赤い鳥さんの「翼をください」が流れて、かみさんに気づかれないように涙が流れて

いました。

私はフォークソング世代なので、家族旅行にはいつも流していました。

フォークソングは、歌詞もいいですが、聞くときの心境では何で悲しい歌が多いのか

と思ってしまいました。子供はどんな気持ちで一緒に聞いていたのかなぁと考えてし

まいました。

今テレビをつけると結構、歌番組が多いですが、大ヒットした曲には涙が流れません。

 

25才で亡くなった我が子へ手紙を親が書いてみました。

 

昨日、NHKがアンジェラアキさんの作った15才の君へという歌に合わせて、

当時、合唱していた子供たちが30才になり大人になった今、自分が15歳の時

の子供へ書いた手紙が泣けてきました。

概ね、子供たち(30歳ですので十分大人ですね。)の15年の成長が見られ、

自分の成長(葛藤、苦しみ)を超えて、今、幸せだよ。と綴っています。

 

うちの子は25才で旅立ちました。30才まで頑張れなかったんだなぁと思うと、

可哀想でなりません。

結婚もせず、当然、自分の子供も居ません。でも、お前は苦しかったんだよなぁ。

精一杯生きてきたんだよなぁ。

30才まで生きていれば、別の視点から生きる糧が得られたかも知れません。

親が何か気づいていたのかも知れません。それがかなわぬものとなりました。

せめて、せめて30才までと思う私がいます。

でも、人生は生きた長さではないと思う気持ちもあります。寿命だと言い聞かせています。

でも、残された親は、自分より早く逝った息子に涙が止まることなく、前を横を、

後ろを向いて生きています。

そして、そして、お前が私達の子として生まれてきてくれて有り難う。

私が逝くときは、迎えに来てくれるんだろう。そのときは、かみさんとの思い出

をいっぱい作って聞かせるからな。

この手紙の歌詞もいいなぁ。この手紙を読んでいる君(魂)が安らかでいることを

祈っています。

 

有り難うございました。

 

 

先日、かみさんと二人で、秩父方面に一泊旅行に行ってきました。

息子が亡くなって以来、数回旅行に行きましたが、東京を抜けて、

関越道に入り、3時間の行程は、初めての経験でした。途中運転

を交代してくれる息子はもう居ません。無事自宅に帰ってきて、

この距離まで 行くことができたんだ。という思いがありました。

運転にも自信がつきました。来年はもっと足が伸ばせそうな気がしました。

 

二人だけで、楽しい時間をひとときでも過ごすことができたら、

遺族の悲しみが少しずつ和らぐかもしれないと期待して一歩前に

進めたらという期待があります。息子も当然それを望んでいると思います。

(息子は残された親が自分のことを吹っ切れてほしいと願っています。)

 

18年前に、3人で秩父の長瀞にキャンプに行きましたが、その時の記憶は

今でも鮮明に覚えています。今回、ライン下りはできませんでしたが、

一緒に登った宝登山には行くことができ、山の上で息子に声をかけて

きました。

楽しかった時間は一瞬で過ぎ去りましたが、今回の旅行の記憶には残りました。

ただ、どうしてこの場に我が子が居ないんだという辛い思いも湧き出て

しまいました。

楽しい時間と辛い時間を混在させながら、長い旅に出ているようなものなのでしょう。

どうも、画像編集がうまくできないみたいです。

ミディアムさんから、息子とは対話していないんじゃないかと言われ、

最近は、夜になると、外に出て、子供に向かって声を出して、話

しかけるようにしています。

すると、夜の空は、飛行機がじゃんじゃん飛んでいて、多いときは

6機位見ることができます。飛行機の照らす明かりで夜は特に見る

ことができます。

その明かりと息子とは関係ないですが、子供に話しかけるときに

なにげに夜の明かりを探しています。

私の家は、千葉市にあるので、成田空港、羽田空港の発着、離陸の便が周回

しているようです。時間帯にも寄りますが、空も賑やかだなぁと感じます。

何かサインが欲しい今日この頃です。