私がギャンブルとうものに最初に触れたのは


親戚のお兄さんが正月に私の家に遊びに来た時です。


中学2年生ぐらいでした。


その時はパチンコをやっている、お兄さんの隣にいて、ただ見ていただけでした。


時たま、玉をもらって自分で打っていたこともあります。


当時はまだ電動式が無く、玉を打つでした。



そうした正月が3年ぐらい続き、


高校生になりました。



高校生になりますと、反抗期というか、多感な年ごろというか


家に帰るのが、やでしょうがない時期がありました。


高校2年生ぐらいになると、友達も平気で麻雀・パチンコをやっていましたので


私も抵抗なく、夜遅くまで遊んでいました。


当時は本当に遊びで換金することを知りませんでした。



その後浪人というか、今で言うとフリーターみたいなことをやっていたんですけど。


パチンコは完全にやらなかったです。


面白く感じなかったです。


その代わりバイト先の大人からいろいろなギャンブルを教わりました。


競輪・競艇・花札が中心でした。


少しの賭け金はすぐになくなり、これは楽しいものではないと感じていました。


その後大学に入学するのですが、


私自身は麻雀などは高校でいやというほどやりまくったので


周りの同級生がハマるのがばからしく思うほどでした。


こうみるとどこの環境にいってもギャンブルをやる人間が必ずいて


人間の生活の一部であるがごときに錯覚しておりました。



その後大学生になったら羽目をはずしてギャンブルや女をやる人間が幼く見えてきて


徐々に遠ざかることになりました。



大学3,4年生ぐらいでしょうか


一人で競艇にいくようになりました。


大学生でしたが、アルバイトで結構稼いでいたので、お金もありました。


また憧れというか、暇つぶしでもありました。










それから就職・結婚


ギャンブルも適当にやっていましたけど・・・・



10年前にうつ病的な状態になり


服薬を開始したわけです。



当然パチンコをやる元気がないのですが


たまにはやっているかんじで過ごしてきました。



その後7・8年たってスロットというものを覚えてから


ギャンブルに拍車がかかり、自制がきかない状況になりました。


借金までしてやる自分がいました。


キチガイ沙汰の状況です。


これは皆さんも経験豊富だと思いますが(笑い)




スロットを覚えて2年、あっというまに借金は雪だるまのように膨らみました。



精神的な疾患がでてから10年たちます。


自助会に参加してから7カ月、ギャンブルがとまりましたが、


先日やってしまいました。



常に自助会にでないと、あるいは12のステップをつぶやいていないと


またやってしまう気がしてしょうがありません。


人間の意志とは相当弱いですね。




うつ病も回復に向かっています。


ギャンブル依存も治療していこう。




人生って長いようで短い


短いようで長い



その間になにか、子供が大人になってに感謝されることをしてみたい。





tac