広岡達郎。53年にヤクルトスワローズを初優勝に導いた名将。管理野球というスローガンを基に選手たちを持論で完全掌握してチームを一元化し強化するというスタイルの男だ。パワーバランスを非常に重視し特徴的かたよりのあるプレーヤーを嫌った。ヤクルト優勝時に守備に難のある主砲マニエルをいともたやすく放出。40ホーマー100打点を計算できても守備によるマイナスを補うことはできないということ。ポイントゲッターよりも投手を含めたディフェンス面の充実を最優先する。そんな彼が西武ライオンズの監督に就任した。管理部長にスライドした根本とともに常勝球団を構築するべくチーム改革に着手。もちろん田淵さんは一番にターゲットにされた。(このチームは守れない走れない選手がナンバーワンの給料をもらっている)。マスコミを含めて中傷的なコメントを浴びせられる。そしてファーストにトライアルすることを要求。この年に南海ホークスから移籍してきた片平と競い合えということ。根が真面目な田淵さんは危機感を充分に感じとりファーストミットを手にとる。そして広岡VS田淵の闘いに火ぶたは切られたのだった。