死にたいなんて、縁起でもないタイトルでごめんなさい

「死にたい」わけではありません
死ぬときは「ホスピスがいい」というのが、このブログでお伝えしたいことであります

本日、3月20日は母方の祖父の誕生日です

昨年は一緒にお祝い出来たのですが


彼は昨年10月18日の夜遅くに昇天いたしました
一緒にお誕生日をお祝いすることは出来ないのですが、とても尊敬する祖父の最期のことをブログに書いて、自慢させてもらおうと思います

長くなります
完全に私の気持ちの整理のために書かせて頂きます




祖父は昨年7月まで、大きな手術や入院なく87歳の誕生日を迎えました
戦争・長崎の原爆で、両親と兄弟姉妹を亡くし、お酒を飲むといつも最終的には戦争の話

聞いてる方はちっとも嫌じゃないのに

「ありゃー、ちっと飲み過ぎたかな。面白くもない話をごめんね。はっはっはー。嫌ね、でもね、ほんとに思うんだよ。おじいちゃんはね、食べ物は粗末にしちゃいけないと、そんな昔があっての、今のありがたーい幸せだということをね、忘れちゃいけないとおもうのだよ。はっはっはー。はい、おしまーい。」

そういって、毎晩8時には床に着く祖父でした

祖父は決して食べ物を残しませんでした
完食を美徳とし、
「ぜーんぶたべちゃったー」
と、自慢げにごちそうさまをしていました

そんな祖父が昨年7月31日の夕ご飯から、ぱったりと食べなくなりました
しばらくしてから、祖父はお腹の痛みを訴えるようになりました
「なんかね、中がどうのこうのって感じじゃないんだよね。外からうったかぶつかったか。押さえるとどーんと痛い。そんな感じだから、病気じゃないと思うんだ」

8月の初旬、10日間ほど何も食べなくなった祖父のお腹を見せてもらいました

胃のところあたりから、下っ腹まで、スイカを飲み込んだみたいにかっちかち

母と話し合い近所の病院へ

いわゆるかかりつけの病院としていたつもりの病院でした

「お年寄りにありがちなこと。定期的に診せにきてもらわないと、正確な診断はできないです」と、怒られて帰宅しました

お医者さんが何と言おうと、素人目に見ても明らかに異常な祖父のお腹、食欲のなさ

お盆前に診ておいてもらった方がいい!、ということで、母が思い切って別の病院へ連れて行きました


お腹のレントゲンには、何も映りませんでした
悪いものが映らなかった、のではなくて、
レントゲンには、何も、映らなかったのです

お腹の中がお水でいっぱいになっていて、胃の輪郭すら分からない状態だったそうです


すぐに大きい病院に入院しました

バイパスの手術をして、口から入れて、お尻から出せるように、食べ物の通り道を作って頂きましたが、結局ガンがお腹中に散らばっていて、治すことは出来ませんでした

本人に伝えましたが、
手術したことも、翌日には忘れていましたし、病名を伝えても、半日後には忘れていました
認知症ではなかったと思います
ただただ、87歳、入院&手術の初体験に混乱しているようでした

9月中旬、退院できました

少しですが、食事も出来、お酒も飲みました

そして、9月21日には、私の結婚式に、自分で身支度を整えて来てくれました


作りすぎた私の花嫁姿に唖然としておりましたが、私だと分かると、綺麗だよ~おめでとうと、言ってくれました



この写真の3日後、祖父の顔に黄疸がでました

手術した病院に連れて行くと、
「今日明日で何があってもおかしくない。」

以前から母が決めていたホスピスに入院しました

ホスピスは、死にゆく場所です
入ったことはありませんでした
明るいイメージは一切ありませんでした

しかし、本当にありがたい場所でした
いろんなホスピスがあるだろうし、私が知っているのはたった一カ所のホスピスですが、
本当に素敵な場所でした

看護師さんは仕事に追われてる様子を一切見せません
検温に来たら、私たち家族と祖父についての話につき合ってくれました
病室にあるアルバムを開いて、興味を持ってくださり
お医者さんまでもが、病室にしばらくいておしゃべり

口腔ケアのやり方を丁寧に教えてくださって、
母でも毎日、祖父の口腔ケアを出来ました

食べれなくなっても、点滴はしない
飲めなくなっても点滴をしない
呼吸器も付けず、自分の力で呼吸が出来なくなるまで、生きる


結局祖父はホスピスに20日間お世話になりました

毎日、毎日、祖父は少しずつ、ほんっとにすこーしずつ、でも着実に弱って行きました
きつそうでした
大変そうでした

最期まで、祖父は自分の足でトイレに行き、洗面台に行っていました
といっても、自分一人で歩ける状態ではありませんでした
最期まで、トイレに連れて行ってくださった看護師さんには、ほんとに感謝です

祖父が亡くなるその日、

お昼前から、祖父のそばにいた私は、
なんとなーく、祖父が今夜逝ってしまうような気がしていながら帰宅

祖父との別れ際
帰宅することに罪悪感のあった私は、祖父に
「ごめんね」と声をかけました
声かけにもなかなか反応しなくなっていた祖父でした
一日のうちで、目が開く回数、時間もだいぶ少なくなっていました

祖父がぱちっと目を開けて、握っていた手をつよーい力で握り返して
「ありがとうね。ありがとう。」と言いました

それが、祖父の最後の言葉となりました


その日の夜10時半頃、祖父は息をひきとりました

亡くなった祖父からは、石けんの匂いしかしませんでした
ホスピスでは週に2回、お風呂に入れて頂いてました。
亡くなったその日も、入浴の日だったのです

祖父は旅立つときにも、
きちんとひげもそり、
スーツに革靴、ネクタイをして、帽子をもって 
石けんの香りでした


ホスピスに入院中、朦朧とする意識の中で、祖父が
「出発する準備は出来てるのかな?着ていくものと靴の準備を。お金はいくらくらいあればいいのかな。みすぼらしくは、ないようにしてくださいね。」
と言ったことがありました

母が
「大丈夫よ。ちゃんと準備してるから。」といって、既に病室に準備していたスーツ、ネクタイ、革靴を見せると、「よかった」と言って安心していました


きちんとするのが祖父の生き方でした

死に様は生き様です

まさに祖父の最期は、祖父の生き様そのものでした


我慢をし、
身支度は常に完璧に、
整理整頓も完璧に、
謙虚に、
慎ましく、、、、


私も、もしも、祖父の歳くらいまで生かされていることが出来たら、
祖父のような最期を迎えたい

苦しさに我慢できるかは不安ですが、
本当にいいお手本を与えてもらったと思っています

ありがとう、
おじいちゃん

お誕生日、おめでとうございます



今更、介護の勉強を始めたことの遅さに、実はものすごく後悔しています
知っとけばよかった、と思うことだらけです