最近というかここ一年くらいずっと、

人生が永遠に続く罰ゲームに思われて仕方がない。

今は病的に憂鬱な気分とかではないけど、

朝起きて、あーまた1日が始まった。今日も生きなきゃいけないのかぁ〜みたいな

その自分の感情を客観的に認知はしているから、まだ成長したな〜とは思うけど。

仕事に行って気分を紛らわせる。それでも午前中は若干憂鬱な気分が抜けなくて、午後からだんだん気分は少し晴れてくる。

仕事が忙しくないと、また余計なことを考え始めてしんどくなる。

だからずっと仕事が忙しくあってくれたらいいのにとさえ思う。

人間って意味の分からないことを強制的にさせられてる苦痛が最も苦しい的なことを、フランクルの夜と霧に書いてあったけど

まさしくその通りだと思う。

今の仕事には全くやりがいがなくて、何のためにこの仕事をしてるのか。意味が分からない。

苦痛でしかない。

思考の持ち方ひとつで劇的に改善されるのだろうとも思うけど、今のところない。

仕事に対してもだけど、ひいては人生に対してもそんな感じ方をするから、文頭に書いたような感覚に陥っているのである。

分析だけは一丁前になって、なにも改善してないではないか。(笑)

絶望感漂う今日のブログでした。
皆さん何のために生きていますか?

僕は今は分かりません。

生きることって大変ですね。

苦しいことばかりです。

それが生きるって事なのだと思いますけど。

困っている人を見つけると助けたくなります。

ずっと前からそうです。

なぜかというと、それが一番幸せなことに繋がるからだということを考えるまでもなく感じていたからです。

最近色々考えるようになって、ようやく頭で理解するようになりましたが、前からずっと分かっていたんですね。

自分に出来ることって何なんだろう。
ウィキペディアに“人生の意義”という項目があるのはご存知でしょうか。
ぜひ皆さんに見てもらいたいページです。そして考えてほしいページです。

人にはそれぞれ1人ずつの人生があって、それぞれ多種多様な道のりを歩みます。

道を歩きながら色々なことに熱中して、考えて考えて考えに考え抜いて道をいくつもいくつも分岐させながら「死」というゴールに向かって歩いていきます。

行き着く先は全員が同じです。そのゴールまでのルートに正解はありません。

道を歩きながら色々なことに考えを逸らすことに人は慣れていきます。
だから、“なぜ自分は歩いているのか”という事を考えることはあまり多くはないでしょう。

だけど、人生の本質とは ーーなぜ人生を歩んでいるのかーー という事について考えることではないでしょうか。

現代に生きる皆さんは、仕事に勉強に追われ、生活環境内での人間関係があり、趣味があり、恋愛があり、それらを通じて喜怒哀楽を感じ、癒されて疲れて、色んなことを考えているので先ほどの本質について考える時間ってあまりないですよね。

もしかしたら日々が忙しくて、無意識的にそういう重いテーマの内容について考えることから思考を逸らしているかもしれません。

でも是非考えてほしい。

先ほどがら人生を道に例えていますが、例えずに言うと“生きる”ということについてもっと真剣に考えてほしい。

この文章を見て気づいた人がいるように、生きる意味というのは空気の中の酸素のようなものです。

普段はそこにあることを意識しないものなのです。

人は酸素がないと生きていけないですよね。同じように人は生きる意味がないと生きていけないのです。

この世界には色々な衝撃的な出来事に遭遇したことで、その生きる意味を喪ってしまった人がいます。

生きていくには、あまりに辛い現実を突き付けられることで、生きる意味を喪う。

これ以上辛いものはこの世にないと言い切れます。

逆に言えば、生きる意味がある。自分には生きる意味があると考え、感じられること。それがこの世で生きる幸せそのものなんですね。

現代はあまりに多くのモノに溢れ、人間のあらゆる欲を掻き立てるような仕組みになっています。

だから、自分に生きる意味があることが幸せだと言われてもピンと来ない人もいると思います。

ピンと来ないならこないでいいんです。

ある意味、ピンと来ないことが幸せっていうことだからです。

だけど、そんな人にも生きる事についてもっと真剣に考えてほしい。

友達から羨望の眼差しをもらいたいと思って生きる若者たち。出世競争に勝つために他の人なんて振い落としていけばいいと思う大人たち。

別にいいんですけど、もっと大事なことはないかと問うて欲しい。自分に。

欲だけを剥き出しにしないで、欲だけを求めないで、欲だけを追いかけないで。

そうしていると永遠に不満足から抜け出せないことに気づいて。

全力で生きろ。って言いたいわけじゃないんです。
気力全開で生きたくても、その気力がどうしても湧き上がってこない事だってあるんです。

自分じゃどうしようもない場合もあるんです。

だけど、“真剣に生きる”ことは誰でも出来るはずです。
真剣に生きることについて向き合うのです。

周りから見てどう思われるとかは関係ありません。

ただただ真剣に生きる。