母の日 俺の場合 義務の花束を買う。

ホントなら お母さん ありがとう ってな気持ちがない。

母親が 『あそこの家は兄弟でお金出し合ってこうだって』と数年前言われ 催促 ととった俺は次の年から送っている。



本音を言うと、感謝の気持ちを持てない自分自身に対して、罪悪感というのか… これでいいのか?

人としてどうなんだ? って 考えてしまう。

テレビで報道陣が『誰に伝えたいですか?』よく聞く 必ず『お母さんに伝えたい』という返事。

『世の中がお母さん1色になる日』あまり好きではない。


子供の頃は 父の日 が嫌だった。

保育園で『さぁ!お父さんの絵を描きましょう』

なんて残酷な時代だったのだろ? 俺にはお父さんはいない…。ただ俯いてた。紙はもちろん白紙だ。


先日、普段近寄らないようにしている母親が 湿布を背中に貼ってくれ と言う。手が届かないと…

正直 面倒だった。まぁ 仲良く 波風は立たないよう過ごせるよう努めてるんで、快く? 貼ってやった。


その時思った。母親の背中って、こんなに小さかったっけ? って。

でも、思っただけで 特段 感傷的な気持ちになってはいない。


母になるべくして母になる女性。そして、そうでない人っているんだと思う。

別に冷たい人だったわけでもなく、おそらく優しい母だったのかもしれない。

母と俺の2人だけの家族だった。

それは、辛い思い出である… という話しでもない。

保育園の黄色のバッグに鍵をぶら下げて通ってた。

鍵を開け『おかえり』のしない家。でも寂しいとは感じた記憶はない。


他人から見たら『お母さんを大事にしないとね』などと言われそうだ。

なにが 俺にそう思わせないのだろ?

親孝行をしたい。そんなことは思ったことはない。

それが俺の本音。世間で生きてる時はそうは悟られないよう振舞っているけどね (*^^*)


1週間溜まった洗濯。家の掃除。布団干し。

挙げたら主婦の仕事は数々あるが、全て俺がやってた。苦痛は感じてない… 当時は母に喜んで欲しかった。その思いの記憶はある。

いつから なぜ 母を喜ばせたい。なんて心がなくなったのだろ?

それに対して自己嫌悪になることはない。

心底 母に対しての感情がないのだ。なぜだ?


俺が18 高校卒業を待ち、母は再婚し家を出た。

その時 特別な会話がなかったことは覚えている。

『ちゃんと食べるんだよ』とかね (*^^*)

まぁ 他県にってことでもないからかな?

その時の母の気持ちは 俺は母ではないので解らない。


その後20年経ち 再びの離婚。

独りでアパートで暮らし始めた。

『一緒に住もうか』この言葉は言わないとならないんだと… きっと最初で最後の 親孝行 らしい言葉かもしれない。俺にとっては精一杯のね…

しかし それも後悔へ変わるのはそう遅くはなかった。


俺は多分 自立できるように育てられた?

母の意図は解らない。厳しかった。厳しい?

うーん 子供って 嘘をつく。それって自分が大人になると当たり前で、それを経てまたひとつ社会のルールや秩序を学ぶもんだと思う。

俺は たったひとつついた嘘で 両頬を持ち上げられ

足が床から離れる。という感じだった

なにかする。ごめんなさい と子供は泣く。

俺は、『ごめんなさい』泣いて許してはもらえなかった。正座をして考え、自分のどんな行動がいけなかったのか? それはどうしてなのか? 故に怒られるという事を理解し言えるまで許してはもらえなかった。某宗教2世は同じ育ち方をテレビで語ってた。

怒られるといっても 子供…

走ってきてテーブルに当たりジュースをこぼした

そんな一場面。これを俺は なぜ走ったか、走る事はなぜいけなかったのか?それによってなにが起こったのか。そしてそれは誰に迷惑をかけることになったのか? なぜ迷惑なのか? これからはとうすべきなのか? 永遠に考え答えなければならない。

子供である。『ごめんなさい』出たら良しと 俺ならするが〜


当時は それが当ってるや間違ってる という問題でもない。2人の家で起こっていた出来事。

まぁ 日常的ではないので 虐待ではない ‎‪𐤔𐤔𐤔‬

特段 辛い思い出であるということでもない。


そうした18年 そして離れていた20年。

母を母として見てはいない自分がいることに気づいた。

1人の他人として見てる。すると、人としての

あるべき姿と違う部分。常識や秩序とかけ離れている部分。そんなとこが目につく。

お母さん大好き〜 ってな気持ちにはなれんのだ。

こんな人に育てられたのか… まぁ それにしてはまともかな? くらいの気持ちでいる。

だが、社会で生きる術を失った。

というか 持つことが できなかった。

持つであろう経過がなかった。

いま 社会という人の世界とは離れ 息をしている。

それが母の責任なのか否かは不明だろう。

俺も責任を押しつけに行こうとは考えていない。


精神科医の気持ち 見解としては

初めて接する他者が母親であり、その関係性に於いて、何らかの力が加わり『自我』の形成に負担をかけたのではないか… いまの精神医学で何かの病名を付けることが難しい状態。もしかすれば遺伝子レペルまで研究されないと分からないのかも知れません。今の俺の状態です。

胎児の時 一度目の離婚。つい先日叔母から聞いたが、あまりに酷い女性で嫁ぎ先から追い出された。これが事実らしい。そうなると 脳の細胞分裂 形成には影響がないとは言い切れない…らしい。

なので遺伝子レペルなのだが…


小さな背中と俺の葛藤。

そんな話しを最後まで読んで頂き ありがとうございました。