こんばんは。
今日は、豪華な金彩のカップをご紹介しつつ、
食器との付き合いのなかで考えたことを書いてみます。
左がセーヴルのアンティーク、
右がロワイヤル・ド・リモージュの現代のもので、
セーヴルのデザインを復刻したものです。
「安くあげる」ということ、
お金の無かった学生時代には、
無条件によいことのように思っていました。
服、食事、持ち物、
「思ったより安くあがってよかった」と。
就職してお金を稼ぐようになってから、
「たまに豪華にする」ことが可能になりました。
普段は安くあげて、たまに豪華にすると、
少し豊かになったような気がしていました。
そして、30代になって、アンティークの世界を知り、
ちょっとずつ、意識が変わってきました。
はじめは、アンティークは
おもいっきり「たまに豪華」なものの位置づけでした。
(もちろん、いまもかなりそうですけれど…)
このセーヴルなどは特に。
でも、日常にアンティークを取り入れている
業者さんやほかのお客さんと接するうち、
普段の日常にこそ、意識を向けることが大切ではないか、
そう気づくようになりました。
大半の時間を占める日常こそが、
自分の人生をつくっているのだから。
それまでは、
たまの豪華のために、
大半の日常を、ないがしろにしていたかもしれません。
働き方も、たまの豪華のために、
普段、身体に無理がくるほど働いたり。
さて、たまの豪華のために買い求めたものの多くは、
普段使うのを躊躇するような高価なものでした。
(やっぱりこのセーブルなどは特に。ソーサーです。)
現代のものも、しまいこんでいるものも多かったです。
(↓これも長くしまったままでした。)
でも、どんなに高価でも食器は使うもの。
思い切って使ってみると、
なんだかとても充実した時間が流れました。
普段の日常に流れる時間が充実したものになること、
これが豊かということなのでしょうね。
そしてそれは、単に高価か安価かということではなく、
できる範囲で、手間ひまをかける、想いをこめる、
ということが大事なのでしょう。
そう思うと、「安くあげる」ことが悪いのではなく、
「ないがしろにする」ことが、よくないのでしょうね。
自分の日常を、ないがしろにせず、大切にすること、
今後はできるだけ、心がけていきたいと思います。
せっかく食器たちがあるので。
にほんブログ村













