聖書日課 デボーションノート -584ページ目

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

サムエル記上 10:17 サムエルはミツパで主のもとに民を呼び集めた。
10:18 彼はイスラエルの人々に告げた。「イスラエルの神、主は仰せになる。『イスラエルをエジプトから導き上ったのはわたしだ。わたしがあなたたちをエジプトの手から救い出し、あなたたちを圧迫するすべての王国からも救い出した』と。
10:19 しかし、あなたたちは今日、あらゆる災難や苦難からあなたたちを救われたあなたたちの神を退け、『我らの上に王を立ててください』と主に願っている。よろしい、部族ごと、氏族ごとに主の御前に出なさい。」
10:20 サムエルはイスラエルの全部族を呼び寄せた。ベニヤミン族がくじで選び出された。
10:21 そこでベニヤミン族を氏族ごとに呼び寄せた。マトリの氏族がくじで選び出され、次にキシュの息子サウルがくじで選び出された。人々は彼を捜したが、見つからなかった。
10:22 そこで、主に伺いを立てた。「その人はここに来ているのですか。」主は答えられた。「見よ、彼は荷物の間に隠れている。」
10:23 人々は走って行き、そこから彼を連れて来た。サウルが民の真ん中に立つと、民のだれよりも肩から上の分だけ背が高かった。
10:24 サムエルは民全体に言った。「見るがいい、主が選ばれたこの人を。民のうちで彼に及ぶ者はいない。」民は全員、喜び叫んで言った。「王様万歳。」
10:25 サムエルは民に王の権能について話し、それを書に記して主の御前に納めた。それから、サムエルはすべての民をそれぞれの家に帰した。

詩篇 37:23 主は人の一歩一歩を定め 御旨にかなう道を備えてくださる。
37:24 人は倒れても、打ち捨てられるのではない。主がその手をとらえていてくださる。
37:25 若いときにも老いた今も、わたしは見ていない 主に従う人が捨てられ 子孫がパンを乞うのを。
37:26 生涯、憐れんで貸し与えた人には 祝福がその子孫に及ぶ。
37:27 悪を避け、善を行えば とこしえに、住み続けることができる。
37:28 主は正義を愛される。主の慈しみに生きる人を見捨てることなく とこしえに見守り 主に逆らう者の子孫を断たれる。
37:29 主に従う人は地を継ぎ いつまでも、そこに住み続ける。
37:30 主に従う人は、口に知恵の言葉があり その舌は正義を語る。
37:31 神の教えを心に抱き よろめくことなく歩む。
37:32 主に逆らう者は待ち構えて 主に従う人を殺そうとする。
37:33 主は御自分に従う人がその手中に陥って裁かれ 罪に定められることをお許しにならない。
37:34 主に望みをおき、主の道を守れ。主はあなたを高く上げて 地を継がせてくださる。あなたは逆らう者が断たれるのを見るであろう。
37:35 主に逆らう者が横暴を極め 野生の木のように勢いよくはびこるのを わたしは見た。
37:36 しかし、時がたてば彼は消えうせ 探しても、見いだすことはできないであろう。
37:37 無垢であろうと努め、まっすぐに見ようとせよ。平和な人には未来がある。
37:38 背く者はことごとく滅ぼされ 主に逆らう者の未来は断たれる。
37:39 主に従う人の救いは主のもとから来る 災いがふりかかるとき 砦となってくださる方のもとから。
37:40 主は彼を助け、逃れさせてくださる 主に逆らう者から逃れさせてくださる。主を避けどころとする人を、主は救ってくださる。

ヘブル 6:13 神は、アブラハムに約束をする際に、御自身より偉大な者にかけて誓えなかったので、御自身にかけて誓い、
6:14 「わたしは必ずあなたを祝福し、あなたの子孫を大いに増やす」と言われました。
6:15 こうして、アブラハムは根気よく待って、約束のものを得たのです。
6:16 そもそも人間は、自分より偉大な者にかけて誓うのであって、その誓いはあらゆる反対論にけりをつける保証となります。
6:17 神は約束されたものを受け継ぐ人々に、御自分の計画が変わらないものであることを、いっそうはっきり示したいと考え、それを誓いによって保証なさったのです。
6:18 それは、目指す希望を持ち続けようとして世を逃れて来たわたしたちが、二つの不変の事柄によって力強く励まされるためです。この事柄に関して、神が偽ることはありえません。
6:19 わたしたちが持っているこの希望は、魂にとって頼りになる、安定した錨のようなものであり、また、至聖所の垂れ幕の内側に入って行くものなのです。
6:20 イエスは、わたしたちのために先駆者としてそこへ入って行き、永遠にメルキゼデクと同じような大祭司となられたのです。



主なる神様がアブラハムと契約を結ばれた時「御自身より偉大な者にかけて誓えなかったので、御自身にかけて誓った」と記されている。
それは、契約において与えられる利益となるものを全てご自分で用意してアブラハムに与えつつ、もし損失のようなことになれば、それらも全てご自身で引き受けるということを示している。
そして、イエス様はまさにそのようになさった。
私たち人間の罪のゆえに受けなければならない裁きは、イエス様が全て引き受けて下さって十字架で死に、復活の御業により、完全に清い者とされて永遠に生きることのできる命の約束を私たちに与えて下さるのである。
しかもこの契約は、神が一方的に私たちに約束されたことであり、恵みとして与えられるものであり、私たちにできることは、ただその約束を信じるだけである。
なんと有難いことであろう。
もし救いの有無が、私たち人間の行いや業によるものならば、これほど不安で不確かなものはないが、主なる神様が、御子イエス様の命をかけて成し遂げて下さった救いの約束だからこそ、私たちは安心して信じていられるのである。
そのことを忘れないためにも、たえずイエス様の十字架の御業を思い起こし、常にイエス様と共に生きる生涯を歩ませていただきたいものである。