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聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

箴言 8:22 主は、その道の初めにわたしを造られた。いにしえの御業になお、先立って。
 8:23 永遠の昔、わたしは祝別されていた。太初、大地に先立って。
 8:24 わたしは生み出されていた 深淵も水のみなぎる源も、まだ存在しないとき。
 8:25 山々の基も据えられてはおらず、丘もなかったが わたしは生み出されていた。
 8:26 大地も野も、地上の最初の塵も まだ造られていなかった。
 8:27 わたしはそこにいた 主が天をその位置に備え 深淵の面に輪を描いて境界とされたとき
 8:28 主が上から雲に力をもたせ 深淵の源に勢いを与えられたとき
 8:29 この原始の海に境界を定め 水が岸を越えないようにし 大地の基を定められたとき。
 8:30 御もとにあって、わたしは巧みな者となり 日々、主を楽しませる者となって 絶えず主の御前で楽を奏し
 8:31 主の造られたこの地上の人々と共に楽を奏し 人の子らと共に楽しむ。

詩篇 148:1 ハレルヤ。天において主を賛美せよ。高い天で主を賛美せよ。
 148:2 御使いらよ、こぞって主を賛美せよ。主の万軍よ、こぞって主を賛美せよ。
 148:3 日よ、月よ主を賛美せよ。輝く星よ主を賛美せよ。
 148:4 天の天よ 天の上にある水よ主を賛美せよ。
 148:5 主の御名を賛美せよ。主は命じられ、すべてのものは創造された。
 148:6 主はそれらを世々限りなく立て 越ええない掟を与えられた。
 148:7 地において主を賛美せよ。海に住む竜よ、深淵よ
 148:8 火よ、雹よ、雪よ、霧よ 御言葉を成し遂げる嵐よ
 148:9 山々よ、すべての丘よ 実を結ぶ木よ、杉の林よ
 148:10 野の獣よ、すべての家畜よ 地を這うものよ、翼ある鳥よ
 148:11 地上の王よ、諸国の民よ 君主よ、地上の支配者よ
 148:12 若者よ、おとめよ 老人よ、幼子よ。
 148:13 主の御名を賛美せよ。主の御名はひとり高く 威光は天地に満ちている。
 148:14 主は御自分の民の角を高く上げてくださる。それは主の慈しみに生きるすべての人の栄誉。主に近くある民、イスラエルの子らよ。ハレルヤ。

1ヨハネ 5:1 イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です。そして、生んでくださった方を愛する人は皆、その方から生まれた者をも愛します。
 5:2 このことから明らかなように、わたしたちが神を愛し、その掟を守るときはいつも、神の子供たちを愛します。
 5:3 神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません。
 5:4 神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。
 5:5 だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。
 5:6 この方は、水と血を通って来られた方、イエス・キリストです。水だけではなく、水と血とによって来られたのです。そして、"霊"はこのことを証しする方です。"霊"は真理だからです。
 5:7 証しするのは三者で、
 5:8 "霊"と水と血です。この三者は一致しています。
 5:9 わたしたちが人の証しを受け入れるのであれば、神の証しは更にまさっています。神が御子についてなさった証し、これが神の証しだからです。
 5:10 神の子を信じる人は、自分の内にこの証しがあり、神を信じない人は、神が御子についてなさった証しを信じていないため、神を偽り者にしてしまっています。
 5:11 その証しとは、神が永遠の命をわたしたちに与えられたこと、そして、この命が御子の内にあるということです。
 5:12 御子と結ばれている人にはこの命があり、神の子と結ばれていない人にはこの命がありません。

 

 

私たちが生きているこの世界は、その全容がどなっているのか、誰にも分からないし、そもそも、どのようにして創られたのか、創られる前、そこに何があったのか、全く分からない。

そして、そこに生きる私たちの存在や命も、いったいどのようにして始まったのか、何も分かっていない。

にも関わらず、世界はここにあり、私たちはその世界の中で生きている。

分からないことだらけであっても、とにかく我々はここで生きているのである。

ならば、そこから、なぜ生きているのか、どうしてここにいるのかといったことを考えるしかない。

聖書に記されている言葉には、そういった疑問に対し、完全には分からないにしても、断片的であったとしても、意外に多くの事をはっきりと語られているし、この世界が神によって創られ、私たちの命も神によって与えられるものであることも語られている。

全てのことは謎であり、もはや神がおられるとしか言えないのだ。

でも、それで良い。

神を否定するなら、この世界も、自分自身の存在も否定することにつながってしまうから、たとえ明確なことが分からなくても、ぼんやりとしてでもいいから、神を信じ、その上で、この世界で生きていよう。

神は大きな愛をもって私たちを活かして下さっているのだから。