聖書日課 デボーションノート -153ページ目

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

エゼキエル 22:17 主の言葉がわたしに臨んだ。
 22:18 「人の子よ、イスラエルの家はわたしにとって金滓のようになった。彼らは炉の中で、みな銀、銅、錫、鉄、鉛などであった。ところが彼らは金滓となってしまった。
 22:19 それゆえ、主なる神はこう言われる。お前たちがみな金滓となったので、わたしはお前たちをエルサレムの真ん中に集める。
 22:20 銀、銅、鉄、鉛、錫が炉の中に集められ、火を吹きつけて溶かされるように、わたしも怒りと憤りをもってお前たちを集め、火を吹きつけて溶かす。
 22:21 わたしがお前たちを集め、わたしの怒りの火を吹きつけると、お前たちはその中で溶ける。
 22:22 銀が炉の中で溶けるように、お前たちもその中で溶ける。そのとき、お前たちは主なるわたしが、憤りをお前たちの上に注いだことを知るようになる。」
 22:23 主の言葉がわたしに臨んだ。
 22:24 「人の子よ、エルサレムに語りなさい。お前は憤りの日に、雨も降らず清められることもない土地だ。
 22:25 都の中に預言者たちの陰謀がある。獅子がほえ、獲物を引き裂くように、都の中で人々は食われ、富や財宝が奪われ、やもめの数は増した。
 22:26 祭司たちはわたしの律法を犯し、わたしの聖なるものを汚した。彼らは聖と俗とを区別せず、浄と汚れの区別を教えず、わたしの安息日に目を覆った。こうして、わたしは彼らの間で汚されている。
 22:27 また、高官たちは都の中で獲物を引き裂く狼のようだ。彼らは不正の利を得るために、血を流し、人々を殺す。
 22:28 また、預言者たちは、城壁に漆喰で上塗りをした。彼らは空しい幻を見、欺きの占いをし、主が語られないのに、『主なる神はこう言われる』と言う。
 22:29 国の民は抑圧を行い、強奪をした。彼らは貧しい者、乏しい者を苦しめ、寄留の外国人を不当に抑圧した。
 22:30 この地を滅ぼすことがないように、わたしは、わが前に石垣を築き、石垣の破れ口に立つ者を彼らの中から探し求めたが、見いだすことができなかった。
 22:31 それゆえ、わたしは憤りを彼らの上に注ぎ、怒りの火によって彼らを滅ぼし、彼らの行いの報いをその頭上に返す」と主なる神は言われる。

詩篇 113:1 ハレルヤ。主の僕らよ、主を賛美せよ 主の御名を賛美せよ。
 113:2 今よりとこしえに 主の御名がたたえられるように。
 113:3 日の昇るところから日の沈むところまで 主の御名が賛美されるように。
 113:4 主はすべての国を超えて高くいまし 主の栄光は天を超えて輝く。
 113:5 わたしたちの神、主に並ぶものがあろうか。主は御座を高く置き
 113:6 なお、低く下って天と地を御覧になる。
 113:7 弱い者を塵の中から起こし 乏しい者を芥の中から高く上げ
 113:8 自由な人々の列に 民の自由な人々の列に返してくださる。
 113:9 子のない女を家に返し 子を持つ母の喜びを与えてくださる。ハレルヤ。

ローマ 8:31 では、これらのことについて何と言ったらよいだろうか。もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。
 8:32 わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。
 8:33 だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。
 8:34 だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。
 8:35 だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。
 8:36 「わたしたちは、あなたのために一日中死にさらされ、屠られる羊のように見られている」と書いてあるとおりです。
 8:37 しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。
 8:38 わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、
 8:39 高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。

 

 

 

現代では、かつてキリスト教が普及していたような国々においても、信仰を保つ人が少なくなっているという。

世俗化が進み、科学や技術の発達なども多少は影響しているだろうけれども、神などに頼らなくても生きていけると考える人が増えているからなのかもしれない。

けれど、時代がどのようであろうとも、人が生きていくために、人間の力ではどうにもならないこともあるし、そんな時、神に助けを求めて祈ることができる信仰を持っていることは、幸いなことなのではないかと思う。

神が実際におられるのかどうか、確かめたり、照明したりすることはできないし、そもそも、そのような試みは無意味なことである。

というのも、神はいないと思うのも、イエス様が真の神であると思うのも、どちらも結局は「信じること」によるものだからである。証明はできない。

しかし、同じ「信じる」なら、イエス様が真の神であると信じることができるなら、その人は、幸いな人生を送ることができるだろう。

どんな困難な境遇にあっても、最終的に神が救って下さり、天の御国へと導いてくれると信じている以上、これほど大きな励ましや慰めは無いからである。

もっとも、だからと言って、地上における全ての営みが祝福されるということとイコールではないかもしれないが、少なくとも、死をも滅ぼして永遠の命を与えて下さると約束されているのなら、何も恐れることはない。

人間にとって最後の敵であった死をも打ち滅ぼして下さったお方、主イエス様を真の神として信じて生きていきたいものである。