横道それます。
最近、自分でもわかるような大物プロレスラーや落語家さんの死亡記事を目にして、
それに対して多くの方の悲しみのツイートが流れていくと、
人の中に人というものがつくられているのだなと感じる。
それを感じると同時に、人の存在について考える。
いまのSNSが主体とする社会において、それが顕著に表れている。
本人よりもSNSで作られる人の方が強い存在になってしまう時代。
本人の言動がきっかけであり、ある意味種といえるものがある。
少し前ならそのまま朽ちて見向きされない物、
いうなればスイカの種を庭先に捨てて普通に朽ちるようなもの。
それが、SNS、ネットにおいて本人の知らないところで、勝手育っていく恐ろしさも感じる。
もちろん、美談により人格者として作られることもあるが、その逆もしかり。
むしろその逆の方が強く育って、本人を苦しめることもありえる。
と、考えると同時にこれをなんかの連想ゲームにならないかと考えてしまう自分も大概な性格と思ってしまう。
