私はあなたになれる | tablaboyの道日記

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祈りによる世界平和運動、祈り研究をライフワークとし、音楽、散歩が趣味です。音楽に関する記事、スピリチュアリティーに関する記事、祈りに関する記事、随時アップしてゆきますので、楽しんでください(^^♪ 世界人類が平和でありますように

人間は、自我がなければ愛そのもの、神そのもの、光そのものの存在なのですが、肉体界を開拓するためには肉体身を持ち、この波動に慣れてゆく必要がありました。慣れてゆくに従い、自他一体感が薄れ、弱肉強食のサバイバルが習慣の想いとなり顕在意識を占め、今日の地球世界になっています。しかし、その習慣の想いを神様の中に投げ入れる練習を繰り返してゆくと、無我、大我、宇宙我の世界がちらちら観え、感じてきます。その方法が祈りなのですが、そのことを詳しくお話してくださいっています。

 

五井先生ご著書「光明の生活者」より抜粋

 

  私はあなたになれる

 神さまどうか私の命をお使い下さい、何卒神さまのご用に立てて下さいって、私は神さまの中に投げ出してしまいました。そのために自分の個我という、肉体の私という者はいなくなっちゃって、神さまの私だけになった。というのは、私が神さまの中へ入り込んじゃった、太陽の中へ宇宙神の中へ入り込んだ。そのために肉体の五井先生というのはこの儘座っていてもいろんなことがよくわかる。

 「あなたの病気はここにありますよ」

 「医者が空洞があるというんですが」「ああそれはないですよ」とか

 「私はどこか体が変なんですが、どこが悪いんでしょうか」

 「ああそれは右の肺に一寸空洞があって大したことない」というのもわかる。

  なぜわかるかというと、あなたの体も私の体も同じなんだ。スッとすればスッと現われてきまして、頭なら頭、胃腸なら胃腸の悪い所が現われてきます。

 そんなの普通でわかりっこないでしょ、人間の中は機械でできているわけじゃないのに、こうやってみてわかるんです。

 それはどうしてかといいますと、あなたの命も私の命も一つです。 流れてくる所が一つなんです。太陽の光のようなもので太陽を宇宙神とすれば、太陽の光線が私でもありあなたでもあるんだから、この光線の出どころは神さまの中でしょ。

 私は神さまの中へスッと入れるもんだから、スッスッとこう私の中に入ってくるわけ。

 そうすると一遍に私はあなたになっちゃうんです。

     

    神界にのぼれる梯子

 ところがあなた方はそれを知らないから、あなたは私になかなかなれないんです。ところが五井先生ってホントに思うと、あなたが私になってそこに五井先生が現われちゃう。そこが一番大事な所ですよ。

  これが五井先生じゃなくて、イエス・キリストとしますね、イエス・キリストという人はイエスという肉体が、キリストという真理に目覚めて、それで神さまと一つになったわけです。

 だから肉体にイエスという人がいたけれども、それは個人のイエスじゃなくて真理としてのイエスなんです。全体としてのものが一つに現われているだけです。だから全体という中には皆さんも入っているんだから、皆さんはイエス・キリストの中へ入っちゃうんです。

  昔、イエス・キリストの時代に、あなたもいたんですよ。お釈迦さまが生れた時にもいたんです。例えば私がイエス・キリストとすればあなた方がイエス・キリストの中にいるんです。

 イエス・キリストの中にみんながいるんだから、イエスのみ名を唱えればあなた方が救われるのは決っているんです。ところがイエスさんというのは今いない。実際目の前にいないもんだからイエスさま! っていったって、キリスト教の人じゃない人は駄目でしょ。そこで五井昌久という人が現われて、さあ私のことを思いなさい、そうすりゃあなたは救われるんです、とこういうんですね。

  なぜならば私を思いなさい、といっている私は、肉体の五井昌久じゃなくて、神界の五井昌久、即ちⅩなんです。神さまの世界にいる人なんです。

 そうすると、五井昌久という肉体が梯子になりまして、梯子を通してスーっと上ってゆく。そうすると一遍に神界ヘ行っちゃう。それを三段構えにして、あなたの悟った霊である守護霊さんがいて、その上にまた神さまの分れである守護神さんがいて、その神霊方を梯子にしてあなたは神さまの世界に上りなさい、といっているんです。それで足リなきゃ五井先生がここにいるから、五井先生、と思いなさい。そうすりゃあなたは神界の本当の住居に行くわけです。         

       

 神の子であることを忘れている

法華経の中にこういうお話があります。ある放蕩息子がいまして家出しちゃう。それで乞食になっちゃった姿をある日父親の王様がみつける。あゝあれは私の息子だと思い家来に「あれを掴まえてこい」という。家来が追っかけて行くと、なんか悪いことで捕えられると思って逃げちゃう。王様は、あゝあれは王子であることを忘れ、金持の出であることも忘れ、ああやって貧しい生活に入ってしまったので、もう自分の本当の姿を忘れちゃった、これでは徐々に救ってやらなきゃ駄目だと、それで一番初めに卑しい仕事を与えるんです。それでまた次の仕事を与え、また次の仕事をと、だんだん仕事を上げていって、最後に「実はお前は私の子なんだよ」という。そして宝をみんな授けるという話があります。

  それと同じように本当に皆さんは神さまの子であるんだけれども、それを忘れちゃって、業想念の中に入り込んでしまっているので、あなたは神さまの子なんですよ、イエス・キリストと同じなんですよ、といってもわからない。

 「そんなこというけれど、キリストというのは偉いんでしょ、一人しか出てこないんでしょ」という。そんなことない、キリストと同じなんです。こんなことをクリスチャンの教会でいったらあいつは気違いだといいます。ああ恐れ多い、罰当りっていいます。

 罰なんかちっとも当らない、イエス・キリストと同じなんです。

     

    あなたも仏陀、私も仏陀

 私は修行している仕上げの頃、ある時祈っていると、スーっと全然体がないんです。

 祈っている時は光り輝いている。

 そうすると向うからはじめお釈迦さまが蓮華台にのってハッキリ現われ、それで宝珠をニつくれたりお榊をくれたりしました。それが消えると同時にイエス・キリストがまた光り輝いてニコニコして十字架にかかったまま現われた。十字架というのは何かというと、自分という肉体の観念を抹殺するということ、肉体という観念、罪という観念を抹殺して本当の神さま現われる、お前の本当の姿が現われるんだというために、イエスが十字架にかかっているんです。

 それでイエスが私の中へパッと入り「汝はキリストなり」こういった。私もそうだと思った。普通ならば汝はキリストなり、なんていわれたら、とんでもございません、キリストだなんてある筈がないって辞退するんですけど、その時私は本当の意味がわかったんです。

 誰でもキリストなんだいうことがわかった。誰でも仏さまなんだということがわかったんです。あなたもキリストであり、私もキリストであり、あなたも仏陀であり、私も仏陀であるということがわかったんです。

     

    本当の人間はキリストであり仏陀である

 それはどういう意味でわかったかというと、中にあるあなたの本当の姿はキリストであり仏陀であるということがわかった。肉体そのままで仏陀であるわけがない、肉体そのままでキリストであるわけがない。肉体というものは罪悪深重の凡夫と神の子の合の子です。

 光と業想念が入り混っているものでこれが現われている。それで神の光の強い人がいい人、業想念の強い人が悪い人であると、まあこういうわけです。

 ところがそれはあく迄も現界の三界のことであって、本当の人間じゃないんです。

 だから人間っていうのは仕方がないものさ、人間だからこれくらいのことはしょうがない、若い中は楽しいんだ、酒飲もうとか、よくそういうふうにいうでしょ。それは間違いです。人間だからこそ立派でなければならない、人間だからこそ浄らかでなければならない、人間であるからこそ愛と真があるんです。動物じゃ仕方ない、蛆虫じゃ仕方がない。

 踊る神さまじゃないけど、蛆虫ども乞食どもじゃしょうがない。本当の人間というものは迷っているものではない。汚れているものではない。神であり、キリストであり、仏陀である、ということを私が統一していてわかったんです。

 それ以来私は普通になって、普通のままわかるようはなった。そうするとみんなが先生がお話していると光り輝いています、先生の後にお釈迦さまがいらっしゃる、キリストがいらっしゃるという。そういうこといわれると普通だったら面映い気がするでしょ、私はああそうですよ、当り前だと思って聞いている。

  なぜ当り前かというと、私は一寸も自分の利益を考えていない。

 自分のこと一寸も考えてない。ただみんなが立派になって世界が平和になるように、その想いだけだからそれは神さまの想いなんです。だからキリストであるといえば、そうだ、仏陀だといえばそうだというんです。個人の仕事をしている時はキリストだといえば、いえ違いますといいますよ。仏さま、いや違います、私は肉体の五井昌久です、というかもしれないけども、こうやって壇上で話している時、ものを書いている時、それは確かにキリストであり仏陀です。

 だからあなた方も本当に真理のことを書き、真理の言葉を吐いている時にはキリストであり仏陀です。キリストが話をし仏陀が話をする。

 だから私がこうやって話をしている時には仏陀であり、キリストです。

 

世界人類が平和でありますように

May peace prevail on earth