京都真門ジム 2.11 後楽園ホール3 ~控え室 2人の男
控え室は狭く仕切られ、そこに何人かの選手とトレーナーが試合前の準備に取り掛かっていた。
私はその狭い空間の中で、ようやく一人が立てるほどの居場所を見つけ、そこで京都真門の二人の選手を観察していた。トレーナーは選手をリラックスさせようと穏やかに会話をする。肩から背中にワセリンを塗りたくり、グラブをはめる。グラブを固定するために、さらにバンテージを巻きつける。トレーナーは選手の緊張を和らげようと、冗談まじりに笑いかける。
選手はそれに答える。
ファールカップを取り付け、あとは試合開始を待つだけとなった僅かな時間に、私は選手に話しかけた。
大揮選手に戦歴を聞いた。
バンタム級9位 H22年3月デビュー 21才
3勝1敗1分け(1KO)
大揮(ひろき)選手の試合開始の時間が近づいてきた。 トレーナーと一緒に控え室を出て、それほど広くない僅かなスペースで、身体を動かし始めた。
林選手は、大揮選手の2試合後に控えている。
同じようにたっぷりとワセリンを塗る。
林選手の戦歴
バンタム級7位 H22年3月デビュー 28才
3勝2敗(1KO)
ファールカップを取り付け、これでいつでも試合ができるような準備が完了した頃、林選手がボソッと呟いた。「うーん、緊張するな。」
「どんな気持ち?」
「なんかね、緊張しますね。 けれど、いつもいい感じの緊張なんですよ」
二人ともかなり上手くリラックスできているように見えた。
それでいて、闘う闘志はマックス。他の選手と比べても、この若い2人の選手は、いい緊張感とリラックス、そして溢れる闘志でいい面構えだ。
試合開始のゴングが近い。
第4試合目 京都真門ジムの先陣を切る大揮選手の試合を見るため、私は真門ジムのセコンドと一緒にリングに向かった。 あらかじめ私には指定席があったが、真門ジムのコーナー付近での観戦が許された。
リングは眩しく、大揮選手の身体は、うっすらとかいた汗とワセリンのせいでキラキラと光っていた。
京都真門ジム 2.11 後楽園ホール2 ~ワセリンの匂い
8年ぶりにもかかわらず、友人との再会の挨拶はわりと簡単なものだった。沢山の話しがあったはずなのだが、元気そうな顔をみた途端、懐かしさの言葉は吹き飛び、どちらかというと、離れていた時間は顔をつき合わすことでいっぺんに埋まってしまったという感じのほうが強い。
私たちは早速、リング脇の通路をすり抜け、関係者と観客を隔てるスチールドアの扉をくぐった。途端、薄暗い空間から溢れるワセリンの匂いが、鼻腔を突き抜け脳の奥に貫く。
通路のどこからか聞こえてくるミット撃ちの音が聞こえる。しかし、ボクシングのミット音と全く違う。
重く響くこの音は、キックの音しかない。
2人の若いボクサーが、薄暗い通路にいた。京都真門ジム所属、大揮(ひろき)選手はすでに軽く身体を動かしている。大揮選手のミット撃ちが始まった。目の前で初めて見たプロのケリ。引き締まった肉体から放たれるしなやかで、そして剃刀のような中段のキック。ミットの受け手側も腰をしっかり据えていないと飛ばされてしまうかのような、体重の乗ったキックを間近でみた。こんなケリ、素人がまともに喰らったら、ひとたまりもない。それが率直な印象である。
大揮選手の表情から、緊張感がひしひしと伝わる。硬いともとれるが、落ち着いているようにも受け取れる。身体のリズムのとり方も悪くない。トレーナーといくつか言葉を交わすが、試合前のコンビネーションの確認だけで、もうあまり細かいことは言わない。ここまでくればあとは、意識の問題である。恐怖を払拭するには、「必ず相手をマットに沈めてやる」の気持ちを強くもたなければならない。それも完膚なきまでに。そういうイメージを持たなければ、必ず負けてしまう。リングに上がる前に、負けも等しいのだ。
もう一人、するどい視線をもったボクサーがいた。 林 昌孝選手。林選手も軽く身体を動かしながら、自分自身をリラックスさせようとしている。 友人がミットの用意をしている。一つ一つキックの出す角度や肘と膝の出し方を確認するかのように、打ち込ませる
写真の許可が出ていた。「好きなように撮っていい。」
私は、選手たちの気が散らないように、あまり動かず、フラッシュもたかず、フォーカスライトもオフにして、感度を上げただけで選手たちをファインダーに収めていた。
被写体を追うとき、必ずといっていいほど肉眼で記憶させるクセをつけている。
それは、ファインダーを通すと、被写体から放たれる生の表情や、ありのままの風景の素晴らしさが半減してしまうからだ。カメラはあくまでも記録としての一つのツールでしかない。しっかりと受け止めるのは、心しかないと思っている。
カメラを構えるよりも、しっかりと彼らの気迫を肉眼で記憶させた。
ミット撃ちのインターバルの間、林選手に一つ聞いてみた。
「何故、ボクシングではなく、キック・ボクシングを選んだの?」
日本では、キック・ボクシングよりもボクシングのほうが人気度も認知度も、間違いなく上にある。 にもかかわらず、何故キック・ボクシングの門を叩いたのか。
「立ち技の中で、最強だから」
静かに開いた、そして彼の重い口調に、これ以上のこれ以下の答えも無い。
そう。ケンカに、肘や膝を出してはいけないルールなどない。 とすれば、キックボクシングこそがケンカに一倍近い、つまりストリートファイトそのものの格闘技ではないだろうか。
おもしろい! リングの上で、だれにも邪魔されない一対一の闘いの場に、この二人は上がるのだ。
スポーツなどという枠には、到底収まりきれない。
突発的に始まるケンカではなく、何時何分から開始されるケンカ上等のリングから、絶対に逃げ出すことは許されない。
やるか、やられるかだ。
勝者として右手を高々と上げてリングを降りるか、血みどろと化した姿で敗者となってリングを降りるか。 その冷酷無比なリングの上に、これから二人は上がるのだ。
リングでの闘いだけでは、伝わらなかった姿を、私はここで見させてもらった。
京都真門ジム会長に、再度お礼の言葉を述べた。
一度、選手たちは控え室に戻る。私もその後ろを追った。
京都真門ジム 2.11 後楽園ホール1 ~凱旋
立ち技の中で最強。ムエタイのルールを適用し、空手とボクシングを組み合わせた格闘技。
発生国は、日本。
アジア各地を旅していた20代の頃、タイで本場のムエタイを何度か見た。
しなやかに、そして剃刀のごとくえぐるキック。
大らかなタイ人の性格とうらはらに、その激しさはまさに立ち技格闘技の中で最強。
ムエタイは、タイの国技として人々の生活に深く浸透していた。
旅で出会った友人は、タイで生活をしつつ、そのムエタイの魅力に惹きこまれ、ジムに通い試合をこなしていた。私は彼の試合を一度も見たことがなかったが、ムエタイに対する強い想いをなんとなくだが察していた。
お互い日本に帰国して10年ほどが経過していた。
軽く連絡を取り合っていたものの、関西と関東という住みかの距離に、会う機会はほとんど無くなり、生活の慌しさの中、頻繁に取り合っていた連絡もどちらかというと途絶えがちになっていた。
1月、その友人から久しぶりに連絡があった。
久しぶりの連絡の内容は、こうだ。
~少しは身体を動かそうと思い、キックボクシングのジムに通い始めた。それがいつのまにかキックのトレーナーというポジションに変わっていた。実は2月11日、後楽園ホールで自分の教え子が試合をする。 時間が合えば、見にこないか?
と、いうものだった。
返事は決まっていた。 仕事もキャンセル。 子どもとの遊びの約束も、イベントごとも全てキャンセルをするつもりである。
聖地、後楽園ホールで、久々に格闘技の試合を見ることができて、8年ぶりに友人とも会える。
そして楽しみついでに、図々しく一つの要件をぶつけてみた。
「取材させろよ」
とっさに出た言葉だが、リングの上の選手だけでなく、控え室での緊張感、モチベーション、その表情をみてみたい。
以前に一度、横浜にあるカシアス内藤のジムにアポをとって、当時アマチュアだった内藤律樹という選手を取材したことがあった。高校3年生だった律樹は、インターハイ目前のトレーニングを積んでいた。
前回はジムでの練習風景。しかし、今回は試合前の選手の表情がみられるかもしれないのだ。
こんなチャンスは滅多にない。
そして数日後、会長から取材オーケーの連絡が入った。
タイから数年離れていても、ムエタイに対する思いは切れねぇんだな。
お前には、ぴったりな空間かもしれない。
2月11日のカレンダーの枠に、後楽園ホール・京都真門ジムという文字を埋めながら、ブツブツと呟く独り言とともに、タイで会った時のことを思い出していた。
~つづく
京都真門ジム会長を初め、選手そしてトレーナースタッフのみなさん。
お忙しい中、取材をさせていただきまして、本当に有難うございます。
貴重な経験をさせていただきました。また、これからも京都真門ジムを応援していきたい思います。









