12月8日に放送された大河ドラマ『いだてん』は第46回「炎のランナー」でした。
前回(第45回)はオリンピック組織委員会の事務総長を解任された田畑政治が、「裏」組織委員会で聖火ランナーのルート決定や「東洋の魔女」復活など陰で尽力するところが描かれました。
いよいよオリンピックイヤー、1964年(昭和39年)が明けました。亀倉氏のポスター第4弾は聖火ランナー。
五輪の半年前になっても聖火リレーの最終ランナーは決まらず。
しかし一人の候補が浮かび上がります、早稲田大学の学生、坂井義則(演:井之脇海)。短距離400mなどの強化選手であった彼は昭和20年8月6日、広島生まれでした。
裏組織委員会で田畑は適任だと言います。
原爆投下の日に生まれた彼こそが平和の祭典にふさわしい、と。
一方、占領下の沖縄では、日の丸を掲揚することにすら米軍の許可が必要でした。聖火リレーのコースは沖縄が経由地として含まれていたものの、日本政府は米軍に申請していなかったのでした。
オリンピックが近づく中、いろんなことが起こります。
辞任した黒澤明に代わって記録映画監督に就任したのは市川崑(演:三谷幸喜)。
「東洋の魔女」こと女子バレーボールの河西選手(ウマ?)の父親が危篤。
そばにいてやれという大松監督の言葉に沿わず、彼女はバレーボールに打ち込むのでした。
一方、この夏は異常気象で雨が降らず、東京都下は時々断水。
7月、前任の川島氏に代わりオリンピック大臣に就任した河野一郎はさっそく東都知事に水対策を指示しました。
最終聖火ランナーに坂井義則を推薦するという話に表の組織委員会は難色を示しました。
過去の戦争の歴史を蒸し返すような行為はアメリカに悪い印象を与えるおそれがあるといいます。さらに沖縄での日の丸掲揚に対しても組織委員会は後ろ向き。
ついに田畑政治は、解任された組織委員会の場に乗り込みます。
「日の丸を振って聖火を迎えるのは沖縄の島民の願い」であり、「アメリカにおもねって原爆への憎しみを語れない日本人は卑怯者だ」と。
そして8月10日、ユニフォーム姿の坂井義則が新聞に掲載され、聖火リレーの最終ランナーに決まっていくのでした。
8月21日にはギリシャから聖火リレーがスタート。
しかし沖縄での日の丸掲揚の問題は未だ解決せず。田畑政治らは平沢和重に頼み込みます。
平沢はまたもや意外なアイデアを思いつきます。
9月7日、沖縄に聖火が到着する瞬間はテレビで中継されました。
米軍の許可を得ることなく勝手にはじまった中継。しかし米国は沖縄との友好関係をアピールするため黙認したのでした。
日本全国を駆け巡る聖火ランナー。
菊枝さんも?
オリンピック直前になって代々木の選手村が完成。
田畑政治は大喜び。そして「嘉納先生に見せたかった」と。
最初に選手村に到着したのは初参加のアフリカ、コンゴ共和国の陸上選手でした。
たった二人で来日した彼らの姿は、金栗四三と三島弥彦のようでした。
式典化ではすべての国の国旗掲揚に備え、国歌の演奏準備をしていました。
モノレールや東海道新幹線も一部開通。
インドネシアと北朝鮮の不参加が報じられました。
いよいよ開会式前日、10月9日。
聖火の最終コースを試走する坂井義則は浮かない表情でした。
「8月6日」「アトミックボーイ」などと呼ばれナーバスになっていたようです。
そして10月9日は昼間から雨が降り出しました。
翌日、10月10日の天気予報は雨。
といったところで今回はここまで。次回は最終回「時間よ止まれ」です。