70年代,特撮TV番組は戦国時代に突入 | 趣味のブログ(空想特撮シリーズ,マラソン,トレーニング,中高年の健康管理など)

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昭和46年(1971年)4月に放送開始された『帰ってきたウルトラマン』と『仮面ライダー』は,現在まで続く,ウルトラとライダーという二大ヒーローを構築する土台となっていったわけですが,この2つに続けと新しい番組が次々に制作されていきます。いわゆる「第二次怪獣ブーム」の到来です。

そもそも第一次怪獣ブームというのがあって,1960年代,「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」という初期ウルトラの牽引力が圧倒的に大きく,マグマ大使などの他作品がこれにのっかった感じでした。

 

これに対し第二次はというと「帰ってきたウルトラマン」と「仮面ライダー」が2トップではあるものの,その後に続くヒーローはどちらかというとライダーの影響を組んでいたような印象があります。第二次怪獣ブーム=変身ブーム,と言われるように変身シーンがこどもたちを中心に社会に浸透し,関連アイテムが玩具などの形で広く出回っていったことも大きいと思います。4月にはじまった2作品は視聴率的には拮抗していましたが,他作品や一般社会へのインパクトという点では仮面ライダーの方が上をいっていたと思われます。

第一次の勢いに乗っかった「帰ってきたウルトラマン」は所詮は二番煎じであり,変身アイテムがなかったことも苦戦を強いられた要因の一つであったのかもしれないですが,そこはウルトラブレスレットでカバーしたということでしょうか。ウルトラ兄弟という設定でシリーズを継続させた功績は大きかったかもしれません。

 

実は,「帰ってきたウルトラマン」「仮面ライダー」に先んじて,1971年(昭和46年)1月から「スペクトルマン」という番組がスタートしていました。翌年の1972年(昭和47年)3月まで5クール続いたようで,この時期の特撮番組としては最長ではないかと思います。

ただ,この間,何度かテコ入れが加えられたりもしているようで,当初「宇宙猿人ゴリ」でスタートした番組名が,途中「宇宙猿人ゴリ対スペクトルマン」を経て、最終的に「スペクトルマン」に落ち着いたようです。この番組名の変更は,「怪獣ブーム」が「ヒーローブーム」に変わっていったことの如実な形での現れではないかと思います。

 

「スペクトルマン」はフジテレビ系列で土曜日の夜7時から放送でしたが,1971年(昭和46年)4月からは,TBS系列で金曜の夜7時から「帰ってきたウルトラマン」,土曜の夜7時半から「仮面ライダー」が開始され,週末のゴールデンタイムの中ですみわけていきました。

その後,1971年(昭和46年)11月からはTBS系列で「シルバー仮面」,さらに12月からはフジテレビ系列で「ミラーマン」が放送開始されます。両番組はどちらも日曜の19時からであったので,同時間帯での直接対決となったようです。

 

このような形で特撮TV番組が増え,群雄割拠の戦国時代を迎えるのですが,相互に他番組のアイデアを盗み見?しつつ,一方で差別化を図るなど,番組途中の路線変更なども珍しくなかったようです。

「ミラーマン」の制作は円谷プロであり,1972年(昭和47年)11月までの1年間,続いたので,円谷は「ウルトラマンA」と「ミラーマン」という2つの番組を提供していたことになります。

 

一方,ライバル番組である「シルバー仮面」の主演は柴俊夫氏ですが,のちにウルトラマンタロウで主役をつとめることになる篠田三郎氏や,帰ってきたウルトラマンで坂田健を演じた岸田森氏が出演していたり,プロデューサーは橋本洋二氏,脚本は上原正三氏や市川森一氏,監督は実相寺昭雄氏や山際永三氏など,ウルトラの流れを汲んだ作品になっていたのではないかと想像されます。

 

番組の数からすると「ウルトラマンタロウ」が放送されていた1973年(昭和48年)頃がピークであったと思われます。しかしブームというのは去るのも早く,「ウルトラマンレオ」が放送されていた1974年頃から翳りが見え始めていたようです。

その後,しばらくして平成の頃にはまた,ウルトラやライダーの新シリーズがつくられていきます。戦国時代はあったかもしれないですが下克上でのし上がった作品はあまりないようで,やはりウルトラとライダーが2トップであるという点は,ほぼ半世紀を経ても変わっていないようです。