昭和40年代後半,こどもの数が最盛期を迎えていた時期の劇場映画 | 趣味のブログ(空想特撮シリーズ,マラソン,トレーニング,中高年の健康管理など)

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戦後のベビーブームには2回あって,昭和22~24年(第一次)と昭和46~49年(第二次)。

第2期ウルトラの放映されていたのはちょうど第二次ベビーブームにあたっているんですね。この時期は戦後唯一こどもの数が増加していたようで,昭和50年をピークにその後,現在まで少子化傾向は続いています。

 

総務省のHPより

http://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/01toukei03_01000066.html

 

こどもの数が多かったちょうど1970年代に,映画会社2社(東映と東宝)は,学校の長期の休みの時期にあわせて,こども向けの映画を数本,劇場で公開していました。

「東映まんがまつり」と「東宝チャンピオンまつり」。

東映の方は「仮面ライダー」や「マジンガーZ」などの人気TV番組中心で1980年代以降はアニメ中心にシフトしていきます。

東宝は,メインにゴジラ映画を据えて,その他のTV番組を放映していました。

 

1971年(昭和46年)の夏,冬,春には,「帰ってきたウルトラマン」から下記の回が選ばれ,放映されたそうです。

(夏)5話「二大怪獣東京を襲撃」6話「決戦!怪獣vsマット」

(冬)13話「津波怪獣の恐怖東京大ピンチ!」14話「二大怪獣の恐怖東京大竜巻」

(春)29話「次郎くん,怪獣に乗る」

 

ゴジラはじめ以下の作品が同時上映されていました。

1971年7月24日公開:「ゴジラ対ヘドラ」「帰ってきたウルトラマン『二大怪獣東京を襲撃』『決戦!怪獣vsマット』」「いなかっぺ大将」「みなしごハッチ」「日本むかしばなし/わらしべ長者」

 

1971年12月12日公開:「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 地球最大の決戦」「帰ってきたウルトラマン『津波怪獣の恐怖東京大ピンチ!』『二大怪獣の恐怖東京大竜巻』」「いなかっぺ大将」「みなしごハッチ」「マッチ売りの少女」

 

1972年3月12日公開:「地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン」「ミラーマン」「帰ってきたウルトラマン『次郎君,怪獣に乗る』「樫の木モック」「みなしごハッチ」「天才バカボン」

 

夏休みと冬休みには帰マンからそれぞれ5~6話,13~14話の前後編が採用されています。

どちらも二大怪獣が登場する回で,特に13~14話は特撮技術を駆使した竜巻や津波のシーンがあり,映画館の大画面で見るにふさわしい作品であったといえます。

1972年の春休み上映には29話「次郎くん,怪獣に乗る」が選ばれています。1972年3月なので帰マン本編も最終回間近。後半の数あるエピソードの中で29話「次郎くん,怪獣に乗る」がどういう理由で選ばれたのか?

 

選ばれるに値しないということはないですが,夏と冬に選ばれた2つとはちょっと異質な印象があります。短編ということもあるし,前2作と比べると明らかに雰囲気が違いますが,こどもが主役ということでの選択か,さすがに「怪獣使いと少年」や「ウルトラマン夕陽に死す」はハードに過ぎます。

 

あるいは時間の枠の問題もあったのかもしれません。想像ですが,夏と冬には2話分の時間が割り当てられていたので前後編をもってこれたが,春には「ミラーマン」も同時上映することになっているので1話分しか時間がなかったのかとも。

いろんな要素を総合的に判断して29話「次郎くん,怪獣に乗る」が選ばれたと予想します。逆算すると,当時の特撮ヒーローの主要ターゲットのレベルが「次郎くん,怪獣に乗る」くらいであり,第1クールの前後編は既にこども向けには重たかったのかもしれません。実際,次作の「ウルトラマンA」以降は,どちらかというと「次郎くん,怪獣に乗る」の方の雰囲気にシフトしていきます。

 

よくよく考えるとタイトルにこどもの名前が入っているのは「次郎くん,怪獣に乗る」だけのような気がします。タロウ第32話「木枯し怪獣!風の又三郎」,レオ第27話「強いぞ!桃太郎」なんかもありますが,これらはちょっと違う。このあたりも帰マンが「人間ドラマ」と言われる所以なんでしょうか。

そういう親近感というか親しみやすさもあって上映の対象に選ばれたのかもしれないですね。大迫力の特撮映像ならゴジラで十分だし。

 

また,「次郎くん,怪獣に乗る」というタイトルには何か優しさのようなものを感じます。

「次郎君」ではなく敢えて「次郎くん」としているところなども。

「君」という漢字は現在,小学校3年生で習うことになっていますね。1,2年生に配慮したのか。まあ「乗る」という字も三年生で習う漢字ですが。

 

その後,ウルトラシリーズがいったん「ウルトラマンレオ」にて第2期を終える頃,日本のこども人口はピークを迎えます。次郎くんは日本に子供が最もあふれていた1970年代の象徴ような存在だったのかもしれません。