デフレでは無かった | 旅一郎のブログ

旅一郎のブログ

国鉄(日本国有鉄道)が、最後の全盛期を迎えた昭和47年ー53年までをテーマにした、汽車旅のブログです。

旧型客車亡き後、日本の鉄道旅行は本当につまらなくなりました。そのため海外ネタも載せています。

当時の雰囲気を伝えるものは鉄道にかかわらずアップします


円安による物価高にも関わらず、青春18きっぷはなんとか現状維持で助かります。

第三のビールと格安つまみで合計285円(税込)



国鉄時代、周遊券で旅をしていた頃思っていた事。


飲み物と食べ物の最低価格は「酒を飲まなければ200円、酒を飲むなら600円」という勝手に決めたレートがあった。


200円の内訳はカールなどのスナック菓子が100円、コーラーも100円。いずれもスーパーの特売ではなく売店や一般の商店の価格。


対する酒派はビール、日本酒が200〜300円(サイズや等級なよって違ったものの、当時の僕の感覚)

売店の「おつまみ」は概ね300円だった。

合計すると600円と、非酒派からすると3倍かかるように感じた。


大学進学後、新幹線の車販をしたときも

ビール250円、おつまみ260円で合計510円と3倍とは言わないものの、十分高かった。


それがバブル崩壊後、「価格破壊」と言われ、物価が安くなっていった。


ビールの代わりに発泡酒、そして第三のビールと

250円→120円くらいに。

おつまみもサイズ変更などで300円→100円になった。


定価販売の駅売店の価格が一気に変わったので本当に安くなったと感じた。


逆にコーラーは100円から110円→120円、

スナック菓子も100円から徐々に150円くらいに上がっていった。


これがデフレというものか!と思ったけど、

後に就職して、定番物の産地をより安い国に変えていく業務をした事から、

デフレと言いながら、実は「元のものとは違う安物に取って代わっただけ」と知った。


ビールの値段はそのまま、質を落としたものが出てきただけだし、おつまみももともと300円の物はそのまま、サイズを小さくしたものが100円になっただけだった。


今では高級レストランと言われる餃子の王将もかつては「居酒屋に行く前に王将で腹を満たしてから行こう」と言われるような安い食堂のイメージだった。


本当にデフレと言えたのは土地や金(いずれも90年台後半から小泉金融緩和まで)の実態のある資産が安くなった事だけだと思う。


大雑把に言って実質実行為替レートに連動していると知ったのはずっと後の事だった。