旅一郎のブログ

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国鉄(日本国有鉄道)が、最後の全盛期を迎えた昭和47年ー53年までをテーマにした、汽車旅のブログです。

旧型客車亡き後、日本の鉄道旅行は本当につまらなくなりました。そのため海外ネタも載せています。

当時の雰囲気を伝えるものは鉄道にかかわらずアップします

※AIとやり取りして作ったものです


最近、Xで「周遊券や自由席夜行がなくなって、無計画に楽しめる旅が息苦しくなった」と書いたら、思いのほか反響があった。コメントを読んでいて感じたのは、「でも今は新幹線もLCCもネット予約も便利になったじゃないか」という声が、思ったより多いということだ。

周遊券旅には出会いも多かった

周遊券があれば行き先に応じた自由席夜行に乗ってどこへでも行けた



便利になったのは事実だ。否定しない。ただ、その「便利」が、僕が言っている話とどう噛み合っているのか。そこがどうもズレているように思う。少し整理して書いてみたい。特に、現状を追認する側がよく持ち出す「メリット」について、なぜそれが反論になっていないのかを、一つずつはっきりさせておきたい。

1. 「ネットで情報が取れて予約も簡単になった」という話

これは世界共通の変化だ。中国でもインドでもヨーロッパでも、スマホで空席を確認してその場で予約できるようになった。だからといって、日本だけが「情報アクセスが良くなったから、飛び込みや途中変更ができなくても問題ない」と言える理由にはならない。

むしろ多くの国では、情報の透明性が上がった上で、なお夜行列車や柔軟な移動手段を残している。情報が取れるようになったことと、実際に「気が向いたら下車して反対方向に乗る」「旅先で意気投合した人と行き先を変える」という余地は、別の話だ。

情報の便利さを、選択肢が狭まった事実を埋める材料に使うのは、論点がずれている。便利になったのは「計画を立てやすくなった」ことであって、「計画しなくても動ける余地が残った」ことではない。この二つを混同してはいけない。

2. 「新幹線で速くなった」という話

速くなったのは確かだ。東京から博多まで数時間で着くようになった。それは利便性の向上だ。

しかし、中国は世界最大の高速鉄道網を持ちながら、在来線の夜行列車(硬臥・軟臥)を大量に残し、一部では高速寝台列車まで走らせている。インドも日中の準高速列車を増やしつつ、Rajdhaniなどの寝台特急を維持し、さらにVande Bharat Sleeperまで導入している。ヨーロッパも高速鉄道とLCCがある中で、Nightjetなどを中心に夜行の復活を試みている。

つまり「高速鉄道を充実させたら夜行は消えて当然」というトレードオフは、普遍的なものではない。日本は新幹線に強く振り切った結果として、定期の長距離夜行がサンライズ出雲・瀬戸以外ほぼ消えた。これは必然ではなく、選択の結果だ

「速くなった」ことを、選択肢が狭まった事実の言い訳に使うのは、ズレている。速さが上がったことと、移動の途中で軌道修正できる余地がなくなったことは、同じ土俵に乗らない。速さを強調するほど、失われた「余白」の話から目が逸らされていく。

3. 「LCCで安く遠くへ行けるようになった」という話

LCCの登場で、航空運賃が下がったのは事実だ。それ自体は歓迎すべき変化だと思う。

ただ、これもまた「夜行列車や柔軟な鉄道旅がなくなってもいい」という話には直結しない。LCCは予約が前提で、日程変更や途中下車の自由度は低い。宿もセットで考えざるを得ない場合が多い。一方で、かつての周遊券や自由席夜行は、移動そのものが「宿代わり」になり、途中で気が変わっても対応しやすかった。

LCCが便利になったからといって、鉄道側の選択肢を極端に狭めてよい理由にはならない。他の国ではLCCと夜行が併存している。日本でそれが難しかったのは、地理や需要構造もあるだろうが、「LCCがあるから鉄道の選択肢が下がっても仕方ない」という論理は、やはり現状追認のためのすり替えに見える。

違う交通手段の便利さを、鉄道の選択肢が狭まったことの正当化に使うのは、議論のすり替えだ。LCCで速く安く行けるようになったことと、鉄道で無計画に動ける余地がなくなったことは、補完関係にすらなっていない。

4. 「計画的に旅行するのが普通になっただけ」という話

「昔は無計画に旅できたが、今は事前に予約するのが当たり前になった。それが進化だ」という声もある。

しかし、これが進化かどうかは、選択肢の幅を見て判断すべきだと思う。計画的な旅がしやすくなったのは事実だ。問題は、計画的でない旅のハードルが、極端に上がったことだ。周遊券がなくなり、自由席夜行がなくなり、宿は予約必須。気が向いたら下車して逆方向に戻る、という遊びがほぼできなくなった。

「計画するのが普通になった」というのは、結果の記述に過ぎない。なぜ計画しなければならなくなったのか。柔軟な手段が消えたからではないか。それを「時代の変化」で一括りにしてしまうと、失われたものの具体像が見えなくなる。

「普通になった」ことを進化と呼び替えるのは、現状を正当化するための言葉の置き換えだ。選択肢が狭まった結果として計画が必須になったのであって、計画が必須になったから選択肢が狭まったのではない。因果関係を逆転させてはいけない。

結論



サザエさんの話に、こんなエピソードがあった。昔の利便性を知る者は不便に気づくが、今がこんなものと思う人には気づかない、というやつだ。まさに今の状況を言い表しているように思う。

多くの夜行列車があった頃の利便性や、円高の頃の豊かさを知る者と、はじめから今の状態が普通と思う人の間には、はっきりとした隔絶がある。前者は「失われたもの」を具体的に思い浮かべられるが、後者には比較の基準そのものがない。だから「便利になった」という言葉で現状を肯定しやすい

日本の戦後復興が速かったのは、それ以前の豊かな生活を取り戻そうという感情が動かしたとも聞く。現状をただ肯定するのは、後退を受け入れることになりかねない。

結局のところ、問題の核心は「旅の自由度」という抽象的な話ではなく、日本の移動の選択肢が、他国に比べて明らかに狭まっているという事実だ。

海外では今だに夜行列車も普通に使われており、選択肢の一つとなっている。夜行列車を利用する外国人旅行者も多い(中国、タイ、ベトナム、インド、欧州)。決して利用者から見放された存在ではない。

多くのツーリストが夜行列車を待つ タイ

25型が残るタイ

普通に使える食堂車がある


日本だけが夜行列車離れを起こしたというならば、単に貧しくなっただけではないか。海外で今も普通に使われている夜行列車を見ると、そう思わざるを得ないのだ。

新幹線やLCCが便利になったことを認めつつ、鉄道側の選択肢を極端に削った結果として、日本の移動手段が単調になっている事実から目を逸らさないこと。それが大事だと思う。他の国が両立を試みている中で、日本だけがここまで振り切ったのは、なぜなのか。そこを考えず、「でも便利になったでしょう」で終わらせてしまうのは、少し乱暴ではないだろうか。


幸いにも多くの国には夜行列車、長距離列車は残っているので想像の世界ではなく、今日も体験する事ができる。反論は現状を見てからしてほしい