インドネシアでは、「今後の日本の複言語状況」について軽くヒントを得られた。
そのことについて論じたい。

インドネシアは多民族国家で民族だけでなく言語も多様だが、公用語は英語でなくインドネシア語だ。
英語に関しては、喋れる人もそれなりにいたが、喋れない人もまた多い。比率に関しては分からないが、観光等サービス業のニーズから、日本人よりは実践的な英会話は得意かつ経験を積んでいる、という印象だ。

自分が感じた特有の「安心感」?は、「相手も英語が喋れないと自分も少しほっとする」という、屈折した感覚だった。
まさに「日本人は英語喋れない」コンプレックスの顕著な反映の裏返しと見るべきだろう。w

英語が喋れない人は、「無理して喋ろう」的意識もなく、こちらが英語を喋っていても、先方はインドネシア語で返してくる。
それが妙に面白かったというか、「英語が喋れない日本人」を客観的に眺められた気がしたのだ。

自分は学生時代にアジア史を結構やって、マレーシアの多言語状況、特に「英語格差」について知ったことがある。「マレー語しかできないマレー人」と、「英語ができグローバルに伸長する華僑」でより格差が拡張するという構造だ。
日本は、恐らく「公用語」化路線は歩まないだろうが、英語や英語力の社会に占める比重は深まっていくと考えざるを得ない。
すると、マレーシアみたいな状況に似た部分も生じてくるだろう。いや既に現在進行形にある。

「英語ができれば出世できる」訳でなく、あくまで必要条件の一つ、またはその環境が拡がるということに過ぎない訳だが。

自分が友達と初めて行った海外旅行は、フィリピンのマニラだった。
なぜかと言えば、英語が公用語で安心できると思ったからだ。
が、すると誰も彼も英語が普通に出来るので、こちらは激しい無能感・コンプレックスに苛まれるのだ(特に屈辱的だったのは、「英語ができない」と見て取られると「Are you Japanese?」とすぐに特定されてしまうことだった。フィリピン人の間でも、「日本人=英語できない」が周知の事実となっているのだ)

「英語が公用語でない」地域は、「英語が半端しか喋れない」日本人にはむしろ精神衛生上ちょうどいい。笑
英語公用語圏は、もっと英語が出来てから行けば良かろう。笑