旅行全体に占める海外の経験値は少ない。
回数にしても5回、うち2回は友達と、残りが一人旅(今回で3回目)だ。
よし、これから…と思ったところにコロナ禍がきた。
だから、恐怖感こそないものの、慣れはまだなく、まだまだ構えてしまう部分が大きい。

国内は相当こなしたから、「旅行のルーティン」と言えるものがある程度ある。
が、海外となるとそれがまだない。

最初の、目的地のチョイスの時点でまだ迷いがある始末だ。

「時間と距離のスケール感」が、「コンパクトな都市観光」単位で形成されているのに改めて気付いた。
そのスケール感のままでは、海外旅行で何を見誤るかと言えば、「かかる時間と国土の広大さ」だ。
(国内旅行に即してわかりやすくいうと、本州から北海道旅行に行くと、その距離感や広大さを見誤って無理な旅行プランを立てて破綻してしまう、と言った意味合い)

自分の旅にはリゾート目的が含まれない。
「旅先でのんびりする」と言ったことは基本なく、とにかく「限られた時間に詰め込めるだけ詰め込む」、「旅行貧乏症」が身上。

ただ、そうなると、「(移動も伴う)広大な大自然の体感」を目的とすると、要する時間が不十分になる。また、都市観光の場合にしても、滞在都市自体が巨大・広大な場合は、そう簡単には回れない。

自分の旅の目的は、どこに行くにせよ、基本的に「歴史」と「自然」だ。
「コンパクトな都市巡り」なら、国内旅行ルーティンの応用でいい。
(日本以外の)「広大な自然の体感」は、そもそも経験値がないと言っても過言ではない。

旅のプランニングでは、最初に大まかな「テーマ決め」を行う。
それ自体は、海外の場合でも変わらない。
ただし、この「テーマ決め」というのは、当然ながら、「どこでどういう時間を過ごしたいか?」を決めてしまうことでもある。

「旅程決め」は、あくまで「テーマ決め」ありきだ。
今回の旅では、「テーマと滞在先」を絞り切れなかったことで、曖昧さやムダな贅肉部分が生じた。最終局面では、いつもの国内旅行と同じく、現実的な路線に随い絞り込めた。
が、本来ゆとりを持って計画していればこうはならなかった筈だ。

しかし、だからと言って、これが「準備段階からの失敗」と決めつけるのもフェアではない。忙しくて時間が割けなかったのは事実である一方、かたや「このタイミングで絶対行く‼︎」と「行くこと自体」を目的化せねばならなかったからだ。
そして何より、今回述べてきた通り、海外旅行に関してはルーティンが無さすぎた。

今回は、「思い出」よりは「反省」の比重が大きい異常な旅だったかもしれない。笑
だが、だからこそ、非常に大きな財産になったのも間違いない。
過去の旅では、経験値が低くスタンスも決まらず、「反省」そのものを殆どする余地がなかったからだ。