旅行初日(大晦日12/31)は「無知×無能の重度複雑粉砕骨折」に遭い、大打撃を被ってホテルにチェックインした。(いずれ詳しく書くかもしれないが、書いてもアメンバー限定(=今0なので事実上非公開)にするだろう)
ショックと虚脱感が大きく、未定にしていた予定を変更(予約などは未手配)し、少しゆとりを持った日程に変更した。
このまま突進しても「事故る」のが見えていたからだ。
不思議と、「日和った」妥協だとも、残念とも感じない。
今の実力や状況を冷静に考えて、「ゆったり、まずまず」楽しむ路線に変更したということだ。
チャレンジと「無理をする、無謀」はイコールではない。
同様のチャレンジは再度別の機会を窺えば良い。

初日の打撃とショックはあまりに巨きく、大体なら一晩寝れば忘れるところが回復しなかった(疲れていたのでぐっすりではないが普段程度は寝れた)。
が、起きたりまた寝てみたりを繰り返しているうちに、だんだんと気持ちはある程度整理され、上のような判断を下せた。
英語力云々や、各種事前リサーチ不足は分かっていたことだし、その場でジタバタしてどうこうできる部分も時間的に限られる。
とするなら、「今の状況」を率直に認めて言語化するところからまず始まるし、旅程もそれに合わせて柔軟に余裕を持たせた方がいい。
楽しむことが第一だからだ。
「楽しむ余裕0,ショックを受けに行く」ようなことは避けたい。

そこで、「これが流行りの『レジリエンス』というやつか」と思い当たったのだ。
「レジリエンス」というのは、「打たれ強さ」とか「回復力」などの社会心理的文脈で近来急に頻用されるようになっているようだ。
(妙な単語を使うと思ったら、どうやら「弾性」などの物理的用語らしい)

現代は社会が急速度で変化し、その変化が時に、個人や組織に大打撃をもたらすことがある。
しかし、だからと言って、「打撃に打ちひしがれる」ヒマすら容易に与えられない。
その間も社会や状況は変化するし、打撃から早く立ち直らないと、変化対応どころか「平常運転」にも戻れないからだ。

初日の大打撃は確かにその日は回復不能であった。そして、2日目も休む間もなく外せない予定を入れていた。明けて3日目、打撃と2日目の疲労が重なり、情けなくも昼過ぎまで殆どベッドから起き上がれなかった。

ではなぜ立ち直れたのか?
言わば「中間評価(レビュー)」をそれなりに出来たからだ、と想像している。
「歴史と、歴史を学んだ今までの旅」に立ち返り、「全然0からとかじゃないじゃん」と思い返し、旅の意味合いを自分なりに再定義したのだ。
また、「旅の準備不足」に関する状況や、自分の語学力不足に関しても、その時点でほぼ整理をつけていた。
その各レビュー内容についてはついては、これから詳しく振り返っていく。