今シーズン大河を見続けていることは、前にも述べた。

面白いかつまらないかで言えば、「普通」ではないかと思う。

見ているのは郷土史的関心の強さが大きいから、一種バイアスというか、郷土びいきで見ている面は否めない。

 

が、「視聴率が振るわない」理由の一端は、自分にもピンとくるものはある。

「徳川家臣団のおっさんの多さ」である。

戦国好きにとっては、徳川家臣団1人1人の個性が把握されているものかもしれないが、そうでないと、毎回誰が誰かさっぱり分からなくなる。

 

もっとも、「おっさんの多さ」というのは、徳川家臣団に限ったことではなく、今の日本政治や日本社会の指導者層に至るまで変わらない大問題なのだけど。

近代日本政治史の本を読んでいても、おっさんまみれで息が詰まり、しんどくなってくる。

三国志演義も同様である。

そうした感覚を、今回の大河には覚えざるを得ない。

 

大河の(既存の)視聴者層は、圧倒的に保守的だ。

大河ドラマ制作陣や制作方針自体が「史実ヲタク」路線であるのは、視聴者のトレンドを忠実に反映したものだろう。

もっとも、大河ドラマは、常に「史実ヲタク」たろうとしているわけではなく、「ファンタジー大河」路線に挑戦することも少なくないが、概して失敗に終わっている。

挑戦自体は悪くないが、影響力の大きいエンタメである以上、視聴者のニーズを捉えたものを作れなければ、厳しい批判に晒されることは覚悟せざるを得ない。

 

「男女逆転」をスタンダードに、というのは、言うまでもなく「大奥」を意識したものだ。

別に「男女逆転」に限る必要はないけど、歴史を素材にするにしても、「多様性」を軸・核にした「実験」を大胆にしていって良いと思う。

 

「皇室が女系だったら日本史はどう展開したか」

「女性で構成された場合の仏教史」

「維新志士たちが全員女性だったら」

「男娼のみの吉原」

「卑弥呼=アマテラス」説による古代日本史

…etc.

 

いくらでもファンタジーのネタは尽きない。

なんでそんなに「史実」に拘るのか、と言えば、「男性中心の歴史観や歴史イメージ」を、容易に動かしたくないという社会的な潜在意識が働いていはしないか、と「穿った見方」をせざるを得ない。

 

単に「男女逆転」をすればいいわけではなく、エンタメ作品として面白く、世に受け入れられるものでなければ意味はないが。

前に、何かの政治を舞台にした海外ドラマを見ていた時に、「モーセが女性だったら、出エジプトももっとうまくやっていたのでは」という趣旨の発言を、登場人物の女性のセリフで聞いて、感心したことがあった。

ファンタジーにするなら、「誰も知らないような歴史上の女性を、史実に即しつつ、針小棒大に取り上げる」といった生ぬるいことではなく、コンテンツ全体で社会に問題提起を行う実験を行えばよい。

それが、クリエイティブということではないのか。

 

尤も、それをしてしまったら、「既存の大河視聴者層」が完全に離れてしまうリスクを冒さねばならない。

また、上で取り上げたようなテーマは、実際に取り上げようとすれば、政治的にセンシティブ過ぎて、局内の稟議が通り得ない。

 

まあ、公共放送たるNHKである限り、天地がひっくり返ってもできない実験だろうけれど。