当資料館の存在も、旅行時に初めて知って、絶対行きたいスポットだった。
と言いつつ、別に頼山陽のファンでも何でもない。
頼山陽や「日本外史」が日本史上に与えた影響力は知っているし、「日本外史」はパラパラとめくったことはある。
が、概して「退屈」と感じたのみで、今一つその与えたインパクトはピンとこなかった。
しかし、資料館を訪れて、少し掴めたのは、「日本外史」の大衆性と同時に、(政府要路たる松平定信への献上を通じた)「公認」の地位を得たことの重要性だ。
頼山陽は、精密な史的な実証については、「他の専門家に譲る」という立場を明確にしていた。
同時に、平曲にも通じるなど、「読みやすさ」も強く意識していた。
単に「史書を書く」ということに留まらず、「世に広く読まれる」ことを意識してその執筆を行い実現した点に、偉さを感じるのだ。
山陽に感心したのは、19世紀初頭(1800年=寛政12年なので正確には18世紀末年)という極めて早い時期に脱藩を企てていたことだ。
一体何が彼を駆り立てたのだろうか。
小説的な興味が湧いたところで探してみたらあった。