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アフリカで生きる

ウガンダでビジネス留学中。日々、アフリカンビジネスの最前線で戦っています。
そこには無限の可能性と成功を夢見る10億人の人々がいる。
アフリカで金儲けだけを考えたら、どんなに楽だろう?
でもビジネスでこの国の未来を良くできたら、どんなに素晴らしいことだろう。

こんにちは
まさかず@ウガンダです。


今日は先週行って来た南スーダン旅行記を綴りたいと思います。
今回は2部構成です。1部が「私が一番嫌いな国 南スーダン」で旅行記です。
2部「南スーダンの行く末を考える」では自分が現地で感じたこととJICA職員の方とのディスカッションから得た情報をまとめ、この国の行く末を私なりに考えたいと思っています。


今はあの時の恐怖や後悔、怒りはどこかに消え、冷静にこの国を考えることができています。
実際に行かないと知ることのできない情報ばかりです。

皆さまにとって、有益な記事でありますように、一生懸命書きます。
最後まで読んで頂ければ嬉しいです。


ウガンダを出て約12時間。国境を越えるとそこは一面緑の草原と森林だった。遠くにはいつくかのきれい山が見える。
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窓からは村が見え、家はモンゴルのゲルのような円計上で、茅葺き屋根である。多くの村人は農作業をしていた。
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正午近くになると太陽は真上に来て、強い日差しに思わず目を瞑ってしまう。
しかし、バスの窓からは涼しい風が吹き付ける。あまりの心地よさに眠気を誘われる。
コンサルのエディとガイドのタマリはすでに隣で寝ている。

ナイル川を越える。
もうすぐ首都ジュバだ。



ここから話すことは私がジュバで経験したことである。

出発前日、私は南スーダンの大物とカンパラにて会うことができた。
彼は元軍人で政治家、南スーダン人なら彼を知らない人はいない。引退した後も政府からの金で生活している。
彼は農業を南スーダンで最も可能性のある産業だと語っていた。そして土壌もよく、ナイル川のおかげで水が豊富だという。そして良質なバージンランドが手つかずのままであるとのこと。
私とエディはその話を聞いて、ずいぶんと高揚していた。大物のコネをゲットしたことと、農業の可能性を聞いたことで、南スーダンには夢がある、俺たちの将来があると思った。


しかし、現実はあまりにも違った。

ジュバに着いて最初に想った事・・・「どこが中心街?」
都市というよりは田舎町だった。ウガンダの田舎町がぽつんと砂上にある感じ。これが首都かよと笑ってしまった。
そして物価が全て高い。ホテルはシングルで100米ドルなんて当たり前。一番安いホテルだと紹介されたのが、トタンでできたテント。難民キャンプとかの映像で紹介されるテントがホテルとして成り立っていた。さすがに、ここには泊まれず、本当にボロ部屋、外トイレ、水ナイル川の50ドルのホテルに泊まりました。

水は全てナイル側からポンプ車で汲み上げ、それを浄水場に持っていき、浄化するとのこと。しかし、多くの人が川の水をそのまま飲んでいた。私のホテルでもそうでした。
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私たちにとって、最も困難だったのが、警察、軍人、役人との問題です。警察は道々で検問をしき、通行料という名の賄賂を平然と要求してきます。また夜、写真を撮っていると、後ろから怒鳴られ、「ここは政府の建物だ。それを撮るのは犯罪だ。お前らを警察に突き出す」と言われました。私たちが弁解しようとしても、全く聞く耳をもたず、傍らには拳銃。まじで殺されるかと思いました。

後をつけれらるのは当たり前。何か変な行動をしようものなら、言いがかりをつけて金を巻き上げようという感じでしょうか。
こんなことが頻繁に起こるのです。そうなると、誰も信用できなくなります。ホテルにもスパイがいて俺らの話しを聞いてるんじゃないかと、疑心暗鬼になりました。


南スーダン人はウガンダ人とは明らかに違う感じでした。感覚的なものなので、それをどう説明したら良いか判りませんが、"目"が違うんです。冷たい目をしているんです。また、他の民族を受けつけないというか、簡単に言うと外国人に対するバイアスを持っていて、すごい自己防衛意識が強い感じがしました。


まだまだたくさんのことが起きました。ビザの問題はあまりにもひどかったので、ブログでは綴ることができません。


南スーダンに滞在したのは約2日間でしたが、多くのことを考えさせられました。
それを次の「南スーダンの行く末を考える」でまとめさせて頂きます。
こちらが今回の記事のメインです。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

コメント頂ければ嬉しいです。


まさかず@ウガンダ