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【行先地】 松山市内:正岡子規堂~湯築城跡~道後温泉
【お食事】 ぼっちゃん団子
【ルート】 松山市内~道後温泉~松山城~しまなみ海道~大三島
~尾道~山陽道~中国道~帰路へ
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さぁ~ていよいよ"旅"も本日が"最終日"![]()
明日の天気予報が完全に雨
であるので日程を1日短くした。残念。。。![]()
本日も午後から雨の予報であるがなんとか頑張って晴れていてほしい。。。
起床6:00分!いつもながら旅の疲れもなんのその!勝手に目が覚めてしまう。
今日は最終日なんで目一杯楽しんで帰るぞ~![]()
早速準備に取り掛かり7:30分にエンジン始動!さぁ、出発だ!
朝の松山市内。四国にきて感じたのだが、【高知市内】といい【松山市内】といい”路面電車”が
市内を通っており、いい感じで”レトロ感”をだしており走っていても面白い。o(〃^▽^〃)o
交差点の上には、”張り巡らされた”電線が見える。
さて、第1の目的地【子規堂】へ到着。しかし、残念なことに時間が早すぎてまだ見学はできませんでした。
★こちらは、道後温泉入口の”正岡子規博物館”前の「足名への~」石碑。
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【正岡子規】
明治初頭の人。短歌、俳句で有名な人ですね。多くの人が知っていることでしょう。
難しいことは僕は知りません。知っているのは、国語の教科書に載っていた
「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」という短い詩。
法隆寺を見ながら”柿を食べていたら鐘が鳴った”ではなく”柿を食べたら鐘がなった”
に読める表現がおもしろい。
あと、道後温泉にある
「足なへの病いゆとふ伊豫の湯に飛びても行かな鷲にあらませば」
の石碑は「故郷を憶ふ」の一連の望郷歌の一首で、東京根岸の家で重病の脊椎カリエス
で寝たきりの子規がふるさとの道後温泉のことを想い詠んだ詩で、
道後温泉には”傷ついた鷺が温泉で足を直した”という白鷺の伝説が残っており、
子規の『自分が鷺ならば飛んで行って、病を治したいものだ』という心情を詠んだらしい。
てな感じで、いま思っていることを「そのまま書きました。」っていう表現が分かりやすい
な~と思いました。
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外からであるが子規堂を見学し、お次は本日午前の部の”めだま”
。【道後温泉】に向かう。
【松山市内中心部】~【道後温泉】までは数キロメートルの距離であっという間についた。
早速到着後、道後温泉の入口に位置する、【道後公園 湯築城跡】に立ち寄る。
★道後公園内の風景と公園内にある”湯釜”
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【道後公園 湯築城跡と河野氏】
河野氏は、風早郡河野郷(北条市)を本拠として勢力を伸ばした一族で、南北朝期、通盛の
頃には本拠を河野郷から道後の湯築城へと移しました。
通直は湯築城の外堀を築き(1535年頃)、最後の当主通直(牛福丸)は全国統一を目指す
豊臣秀吉の四国攻めにより小早川隆景に開城し(1585年)、河野氏の伊予支配に終止符が打たれた。
そんな歴史を持つ河野氏が居城とした場所が現在では公園となっていました。
”道後公園 湯築城跡temp”より文章抜粋
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道後公園 湯築城跡を抜け、歩みをすすめるとなんだかいい雰囲気の建物が見えてくる。。。
いや~、ここには明治の時代を再現した雰囲気がたくさんあって楽しいわぁ
o(^▽^)o
★坊っちゃん列車。主人公の坊ちゃんはこの列車に乗っていたのだろうか。
★”からくり時計”と”足湯”。なんとも情緒がありますねぇ~。
「いやぁ~、ここもえ~なぁ~。最終日なんがもったないわぁ~」ってなことを思いながらうろうろ散策してみる。
そしてついに、”千と千尋の神隠し”の温泉が!
ではなくて、【道後温泉本館】「どどーん!」と出現した![]()
午前の部後篇へつづく。。。






