城下町:大垣のごゆるり散策。シリーズ3回目は、大垣八幡神社から、かつての大垣の港までをごゆるり散策。その後、大垣城を徘徊といったコースのご紹介です。
赤線のコースを辿り、最後に大垣城へと向かいます。
(2017年7月撮影)
大垣城の外堀でもある水門川を南下してゆきます。
(2017年7月撮影)
水門側沿いは閑静な住宅街と化しており、静寂が漂います。こちらは道路沿いに長い壁が設けられている、庭が広そうな個人宅です。
(2017年7月撮影)
何となく昭和初期の時代の面影を感じます。江戸時代頃からずっと大きな屋敷として代々続いているお家なのかもしれません。
(2017年7月撮影)
住宅地の一角に昭和からずっと続いているだろうパレット工場のようなものがあり、その脇に味のある焼却炉が2基あります。20年前くらいであれば、敷地内の焼却炉でモノを燃やすというのは一般的でしたが、このご時世、この焼却炉でモノを燃やそうものなら、隣接するマンションの住民からすぐにクレームが付きそうなものです。この焼却炉が現在も稼働しているのかどうかは不明です。
(2017年7月撮影)
焼却炉の裏には・・・ 倉庫ではなく車庫があります。車庫の中には、本当に車が止まっているのでしょうか?
(2017年7月撮影)
ごゆるりごゆるりと水門側を南下してくると、丸の内保育園が見えてきます。
(2017年7月撮影)
さらに南下すると官公庁街となっています。右手に見えるのが大垣市役所。その対面にはNTT西日本大垣支店が見えています。NTTがある場所=その町の核心部分というのは一種のフォーミュラ(公式)です。
(2017年7月撮影)
閑静な歩道を歩き続けるとレトロな物件が目に入ってきます。
(2017年7月撮影)
古い物件でケーキ屋さんを営んでいたり・・・和洋折衷な感じの外観と装飾が文明開化?の頃を思わせます。
(2017年7月撮影)
ケーキ屋さんの隣には、これまたレトロ感半端ない建物があります。その昔、何かの工場だったのかもしれません。
(2017年7月撮影)
レトロな建物を過ぎると、観光名所でもある美登鯉橋(みどりばし)に辿り着きます。ここからの眺めは水郷:大垣を代表する風景のひとつになっています。
(2017年7月撮影)
橋を渡ると真正面には新しい家が建っており、THE住宅街という感満載ですが、どことなくいい雰囲気が漂っているのがこのエリアです。
(2017年7月撮影)
(2017年7月撮影)
橋の下の川沿いが遊歩道として整備されているので降り立ってみます。
(2017年7月撮影)
さらさらと流れる水のささやきを聴きながら、ごゆるりごゆるりです。
(2017年7月撮影)
みどり橋の真下に来ました。よく見ると水の中に黒い物体が・・・・
(2017年7月撮影)
黒い鯉が群れを成して泳いでいます。美登鯉橋の名前の通り、鯉が美しく川を登る場所なのかもしれません。
(2017年7月撮影)
美登鯉橋から見た東側の風景です。水郷を象徴するかのような景色が広がっています。
(2017年7月撮影)
(2017年7月撮影)
奥の細道むすびの地だけに、地元の有志が唄った句が展示されていました。
(2017年7月撮影)
人工的な滝の下へと散策路地は続いています。水門川遊歩道四季の路と名付けられているごゆるりスポットです。
(2017年7月撮影)
(2017年7月撮影)
(2017年7月撮影)
水郷あるあるの水草も悠々とたなびいています。
(2017年7月撮影)
(2017年7月撮影)
眼鏡橋のような石垣にも風情があります。近くには東屋もあり、小休憩できる場所がところどころにあります。
(2017年7月撮影)
対岸にはお洒落な時計台が建っていたりします。
(2017年7月撮影)
(2017年7月撮影)
(2017年7月撮影)
こちらには後付けで整備されたと思われる小さな橋が架かっています。
(2017年7月撮影)
ごゆるりと、回遊式庭園のような感覚で見て回ることが出来ます。
(2017年7月撮影)
観光スポットである遊歩道の南下はしばらく続きます。
(2017年7月撮影)
(2017年7月撮影)
似たようなサイズの石を集めて作られた石垣は一種の芸術作品です。
(2017年7月撮影)
こちらにも江戸時代の道標が残されています。
(2017年7月撮影)
(2017年7月撮影)
(2017年7月撮影)
上部には、旅の安全を願う梵字が記されています。
(2017年7月撮影)
もうすぐ観光地エリアである遊歩道の終着地点になります。
(2017年7月撮影)
苔が生す桜の木々がとても美しい通りです。
(2017年7月撮影)
松尾芭蕉:奥の細道にちなんで建てられた記念館です。かなり立派なものが整備されていました。駐車場も広いので日帰り観光客向けのツアーでも利用されるのかもしれません。
(2017年7月撮影)
その記念館の目の前には住吉橋という朱色の橋が架かっています。
(2017年7月撮影)
(2017年7月撮影)
この住吉橋の架かるこの地点が、江戸時代、大垣の港でした。その名残を留める貴重な場所です。
(2017年7月撮影)
当時はこういった船で物資を水運で輸送していたのです。船頭たちが屋根に上って船をコントロールしていた光景が目に浮かんできます。
(2017年7月撮影)
(2017年7月撮影)
ここが港だった証として、残されているのがこの燈台です。
(2017年7月撮影)
(2017年7月撮影)
この岸壁に物資が積み込まれた小舟がいくつも接岸し、石垣の上で荷下ろしをしていたのです。
(2017年7月撮影)
小船に積み込まれた物資は、荷役人によって船から降ろされ、この階段を駆け上がり、大八車などに積み替えられていたものと思われます。
(2017年7月撮影)
階段を上がった場所からの住吉橋の眺めです。
(2017年7月撮影)
道路に駆け上がったポイントから見る燈台です。
(2017年7月撮影)
船町港跡として史蹟になっています。地名が船町というくらいですから、それだけ水運で栄えていたということです。
(2017年7月撮影)
(2017年7月撮影)
江戸時代直後の明治時代には、大垣ー桑名間を蒸気船が運航していた・・・そんな時代もあったのです。こんな内陸に港町が・・・という感動を覚えます。
(2017年7月撮影)
当時の栄華を川べりの石垣が静かに伝えてくれているようです。
(2017年7月撮影)
船町港跡の隣には住吉神社があります。
(2017年7月撮影)
行き交う船頭たちが毎回、航海の安全祈願をしていた場所なのかもしれません。
(2017年7月撮影)
船町港の周辺には、江戸時代の風情を残した建物が現存しているところがあります。
(2017年7月撮影)
こちらの家もリノベーションしながら維持されているようです。右手の入り口のドアノブがさりげなくレバー式になっていますが、完全に同化しています。
(2017年7月撮影)
屋根周りをよく見ると青い部分が残っているので、当時の青銅の装飾が残っています。東京の築地界隈で残っている建物と同じです。
(2017年7月撮影)
こちらも、その家の大きさから、その昔は旅籠か、卸問屋でも営んでいたのでは・・・と想像を掻き立てられます。
(2017年7月撮影)
大垣城周辺へとやってきました。お城の周辺は公園や公共施設・官公庁街に整備されています。そんな中、昭和の香りが漂う大垣城ホールを発見です。いわゆる市民会館的な施設と思われます。
(2017年7月撮影)
大垣城ホールの裏手に回ると、そこは大垣公園として整備されています。
(2017年7月撮影)
東京の代々木公園的な場所のようで、家族連れや子供たちで静かな賑わいを見せています。
(2017年7月撮影)
大垣公園内には濃飛護国神社があります。全国各地にある護国神社ですが、護国神社とは国家のために殉難した人の霊(英霊)を祀るための神社です。各県の護国神社では、その県にゆかりがある戦死者、自衛官・警察官・消防士等の公務殉職者が祀られているのです。
(2017年7月撮影)
こうして見ていると靖国神社の鳥居にそっくりな感じがします。護国神社は戦死者も祀っているなら、靖国神社と同じではないか!と思われるかもしれません。各護国神社の祭神は靖国神社の祭神と一部重なるものの、靖国神社から分祀された霊ではなく、独自で招魂し祭祀を執り行っていいます。そのため、公式には護国神社は「靖国神社とは本社分社の関係にはない」とされています。しかし、共に英霊を祀る靖国神社と護国神社は深い関わりがあり、各種の交流があるのも事実です。
(2017年7月撮影)
神社の脇には恒久平和之碑があります。「シベリヤ抑留者ダモイ会」とあります。ダモイとはロシア語で「帰る」という意味です。つまり帰還です。
(2017年7月撮影)
護国神社を過ぎると、大垣城の櫓門が表れます。普通お城の櫓門に達するまでには小高い山を登ったりするものですが、大垣城は平地に建てられたお城なので、あっという間に櫓門に到達できます。
(2017年7月撮影)
修復された石垣が少しぎこちない感じで組み合わせられています。
(2017年7月撮影)
櫓門の下に案内板があり、本日はなんと50円で入場OKとあります。地元商店街のハツラツ市協賛とありますので、ハツラツ市が行われる毎月最初の日曜日は50円で入場できるようです。
(2017年7月撮影)
櫓門をくぐって階段を少し登ると、もう、そこはお城です。大垣城はかなりこじんまりとしています。修復して新しく造られている感じです。
(2017年7月撮影)
お城のエントランスで入場料を支払い、中に入ります。お城のエントランスは、昔の開業医の小さな医院の受付のような感じです。
(2017年7月撮影)
受付周辺には、若干の資料展示がありましたが、あまり記憶に残らないものだったと認識しています。
(2017年7月撮影)
天守閣からの眺めです。大垣市内は高い建物がそんなにない為、いまだ十分見渡すことが出来る感じです。
(2017年7月撮影)
高さが10階を超えれば超高層マンションといったところです。
(2017年7月撮影)
お城の見学の後は、近くにある大垣市郷土館へと向かいます。
(2017年7月撮影)
お城から歩くこと3分で大垣市郷土館に到着です。
(2017年7月撮影)
郷土館の門と中に見える庭が立派なので、一瞬、ここが資料館なのか・・・?とためらってしまいました。
(2017年7月撮影)
敷地に入って右手にある建物が郷土館です。中の展示物は、そこまで写真を撮るようなものは無かったので、写真はありません。展示物で一番印象に残っているのは、朝鮮通信使使節団が大垣に残していった彼らの品々でした。その昔、江戸時代には参勤交代という制度がありました。地方の大名は江戸に向けて、大名行列を編成し、各地で泊を重ねながら長旅をしていたことは、ご存じのとおりです。しかし、この国際バージョンが存在していた訳です。それが朝鮮通信使使節団で、その始まりは室町時代まで遡ります。
もっとも、彼らは江戸に参勤交代で訪れていた訳ではなく、朝鮮国王の外交特使として、命を懸けて日本に訪れていました。当時のルートは、釜山を出発し、対馬・壱岐を経由し福岡に上陸。その後、北九州からは舟に乗り、瀬戸内海沿岸の港に寄港しながら大阪まで目指します。その後は陸路近江の国から大垣へと抜け、名古屋からは東海道を経て江戸へ辿り着くという旅でした。
朝鮮通信使という言葉や、その歴史は知ってはいましたが、その使節団が残していった品々というのを目にするのは初めてでしたので、この大垣市郷土館は記憶に残っています。
(2017年7月撮影)
郷土館を見学後は再度、大垣城周辺に戻り、界隈を散策します。
(2017年7月撮影)
お城の塀の外には民家が迫るというなかなか珍しい光景に少し感激します。
(2017年7月撮影)
こんな立派な門の真横に広がるのは、昭和臭の漂う場末の街並み・・・という面白い光景が見られるのです。
(2017年7月撮影)
なかなかいい絵です。
(2017年7月撮影)
お城の入り口の門の目の前には、昭和の香り漂うビリヤード場もあります(笑)
長々と3回に渡って、大垣の魅力をお伝えしてきました。住めば都という諺があるように、一言で言えば、大垣は間違いなく住みやすい街と言えます。もし、次の人生があるとするなら、こんなのんびりした町で、ゆっくり公務員でもやりながらぬるま湯にどっぷり漬かるのも悪くはなさそうです。
以上、養老鉄道 水の都:城下町大垣ごゆるり散策③ でした。
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養老鉄道 水の都:城下町大垣ごゆるり散策① の記事はこちら
養老鉄道 水の都:城下町大垣ごゆるり散策② の記事はこちら
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