吉田松陰が密航を試みた伊豆下田の弁天島 | 舟水の世界ごゆるり街歩き

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               NHK教育番組「たんけんぼくのまち」で強烈な刺激を受け、小学校の頃から地理大好き人間。日々の散策からちょっとした世の中の宝箱を覗いて見ませんか?

弁天島は下田港の港内にある小さな島です。下田市柿崎地区の沖にある為、柿崎弁天島とも呼ばれています。

かつては湾内に浮かぶ島でしたが、現在では防波堤によって接続されており、道路が通じて地続きになってい

ます。そんな弁天島は静岡県の天然記念物、下田市の史跡指定も受けており、学術的にも歴史的にも重要な

島となっています。ペリー艦隊来航時には、この弁天島から吉田松陰・金子重之輔の2名が、沖に停泊してる

艦隊に向かい、密航を企てた話は有名です。そんな弁天島の歴史を肌で感じるべく、歩いて弁天島に向かって

みました。

 

 

(2018年7月13日撮影)

陸から弁天島の脇を通って、防波堤兼道路が整備されており、一帯は小型漁船が停泊する港となっています。

 

 

弁天島の場所です。

 

 

 

 

 

 

(2018年7月13日撮影)

まどが浜海遊公園から望む弁天島です。(左端)

 

(2018年7月13日撮影)

近くまで来ると、海岸線は湖のように静かで、ここが海ということを忘れてしまいそうになります。

 

(2018年7月13日撮影)

浜には地元民のボートが打ち上げられています。

 

(2018年7月13日撮影)

 

(2018年7月13日撮影)

 

(2018年7月13日撮影)

弁天島の外縁の露頭では、崖の面に、特徴的な、はっきりした筋状の縞模様を観察することができます。

 

(2018年7月13日撮影)

島へと続く防波堤兼道路です。

 

(2018年7月13日撮影)

岩盤に刻み込まれた斜めの層は独特の雰囲気があります。

 

(2018年7月13日撮影)

 

(2018年7月13日撮影)

この先で防波堤は行き止まりとなっています。

 

(2018年7月13日撮影)

元々伊豆半島というのはフィリピン海プレートに乗って数千万年かけて北へ移動してきたもので、元は海底火山

でした。その海底火山が本州に衝突し、隆起し始めた箇所が伊豆半島となっているのです。伊豆に温泉地が多い

理由が分かって頂けると思います。弁天島の一帯もこの衝突が始まった時期に小高い山となりました。

これが水流による侵食を受け、島となったのが弁天島なのです。

 

(2018年7月13日撮影)

弁天島には下田龍神社という社があります。

 

(2018年7月13日撮影)

島の周りに、少しだけ周回できる道があります。

 

(2018年7月13日撮影)

ペリー艦隊来航時、吉田松陰と金子重之輔はこの先の祠に身を隠して夜を待ち、

暗くなると盗んだ小舟で黒船への接近を試みたのです。

 

(2018年7月13日撮影)

弁天島から見た柿崎地区の浜辺の様子です。吉田松陰たちはこの浜辺で小舟を盗み、弁天島に上陸し、

島の神社の祠で身を隠し、夜になるのを待ったものと思われます。

 

(2018年7月13日撮影)

防波堤の奥から見た弁天島です。

 

 

 

 

 

 

(2018年7月13日撮影)

防波堤の先の公園には、吉田松陰と金子重之輔像が祀られています。

吉田松陰が指を指しているのはアメリカの方向です。

 

(2018年7月13日撮影)

踏海企ての跡として史跡に指定されています。

結果どのような展開になったのか?まず、一度目の試みは、天候が悪く諦める結果となりました。2度目の挑戦と

なった日の深夜、ペリー艦隊の旗艦船:ポーハタン号に接触することに成功します。しかし、ペリーは江戸幕府

との外交交渉に差し障ると考え、彼らには面会もせずに追い返し、部下に命じて艦隊のボートで送り返させたの

です。彼らは弁天島から乗ってきた小舟に荷物を置いたままにしていて、その小船が流されて下田の柿崎村に

漂着。密航失敗の跡が露見するのも時間の問題と考えた吉田松陰は柿崎村の名主のもとに出頭し、番所へ

連行されました。江戸での投獄を経て、最終的には地元長州へ護送となったのです。

 

(2018年7月12日撮影)

左下に描かれているのが弁天島です。艦隊の真ん中に位置する大型の船がペリーが乗船していたポーハタン号

になります。吉田松陰のアメリカで学んでみたいという願いは叶う事はありませんでした。情報が全くない時代、

アメリカは宇宙のような存在だったはずです。そんなアメリカを一度でいいから見てみたいという松陰の熱い情熱

が今も弁天島に宿っている気がしてなりません。

 

(2018年7月13日撮影)

弁天島のすぐそばにある下田柿崎地区の郵便局から郵便を出すと、幕末を感じさせる消印が押印されます。

 

以上、吉田松陰が密航を試みた伊豆下田の弁天島についてでした。

 

 

 

 

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