まだまだ続きますよー。

 

■加紫久利神社・・・鹿児島県出水市下鯖町1272

 

不知火海の南の端

 

直系6kmの出水平野の東端

ここは古い地割が多いので古代から多くの人々が住んでいたのでしょう。

 

米ノ津川の右岸平野を見下ろす丘陵に立地しています。

 

 

あれ~、真っ赤に塗って、神額も隼人的ではないですねぇ。ここいら辺りは完全に隼人の領域だと思ってたのですが。

 

稲荷のようにやたら赤いです。

 

 

拝殿へと向かいます。

 

拝殿。赤いですねぇ。

 

金鶴・金亀に

 

銀鶴・銀亀。なんじゃこれは?

 

主神は天照大神。相殿は姫大神(宗像大社)、八幡大神(宇佐神宮)、住吉大神(住吉大社)、イザナギ・イザナミ。

この祭神の組み合わせはなんか変ですねぇ~。著名どころを並べただけって感じです。祇園神社のような歴史の重層性を全く感じられません。

 

 

正面のアップです。

正面の丸に十字紋は島津家。

その下。なんでこんなとこに地図を貼り付けるの?? おかしいでしょ!

それに左の、この…生物。龍じゃないよね。いやいや、カラーリングが変!

よぅ分からんワァ…

 

こちらは本殿。千木は内削ぎ(まぁ天照さんですから)鰹木は5本…かな。

 

境内を見て回りましょう。

額には「二千年の社」と。???

左には西南戦争時に焼かれた鬼瓦が残されています。

 

その奥に入ってみると

稲荷神社でした。

 

なぜか千木が外削ぎ(男神)…

(稲荷やったら女神やろっ!!という心の声)

 

稲荷神社の奥になにやら

 

左は神籬ですか。

 

右のこういった古い信仰の形跡が分かればいいのですが、これでは何とも…

(手前の観音像は別)

 

そばに小さい祠がありました。

 

石碑があるのですが、

 

読めません…

 

周辺は縄文遺跡が多いようです。

 

さて祭神の考証ですが…アレじゃあねぇなんにも分かりません。

そこで超強力神社データベース・玄松子の記憶で調べてみますと…

主祭神 天照皇大神
配祀  多紀理毘賣命 表筒男命 中筒男命 底筒男命 誉田別命 息長帶比賣命
合祀  伊邪那岐命 伊邪那美命

 

加紫久利神社の境内にあった祭神は…

主祭神 天照大神

相殿  姫大神(宗像大社=田心姫神、湍津姫神、市杵島姫神)

    八幡大神(宇佐神宮=誉田別(応神)

             =多岐津姫命・市杵島姫命・多紀理姫命

             =息長足姫命(神功)

    住吉大神(住吉大社=底筒男命、中筒男命、表筒男命、息長足姫命(神功)

    イザナギ・イザナミ

 

市杵島姫命・多紀理姫命が含まれているか否か、の違いですね。

これは加紫久利神社が神々の固有名詞を出さず、所属神社名を表記したためです。なぜそうしたのかは分かりません。

玄松子の記憶ページの写真を見ますと、私が取材したときと比べて古いです。おそらく神社を改築した際に祭神の表記を整理したのでしょう。

 

というわけで、祭神は玄松子の記憶ページに基づいて分析し、百嶋系譜にあてはめてみます。

主祭神 天照皇大神は赤□

配祀  多紀理毘賣命 表筒男命 中筒男命 底筒男命 誉田別命 息長帶比賣命は青□

合祀  伊邪那岐命 伊邪那美命は黄色□

 

随分世代が分かれてしまっていますね。

天照大神は底筒男(高良玉垂)のルーツリスペクトとして入れてあるのでしょうか。

多紀理姫は父が豊玉彦。多紀理姫と彦火々出見(山幸)の間に生まれた息子がウガヤフキアエズ。そのウガヤフキアエズと鴨玉依姫(豊玉彦の娘)の間に生まれたのが表筒男。

 

イザナミとイザナギの孫・天忍穂耳(海幸)に息子・大山クイがいます。この大山クイと(またも)鴨玉依姫の間に生まれた息子が中筒男。

 

もう彦火々出見(山幸)と天忍穂耳(海幸)、両系統が大幡主系統に取り入ろうとしてグチャグチャの系図になっています!

 

それとは別に天照大神から底筒男へつながる系譜は神武正統です!って言い張りながらもスサノオ系とズブズブな流れです。

 

神代も現代も、利権とはまぁこんなものですよ!

 

さてさて問題は応神(誉田別命)、神功(息長帶比賣命)です。

大雑把な流れとして久留米地名研究会・古川清久氏より伺っているストーリーを簡単に紹介します。青字

(魏呉蜀ではなく呉越同舟の)呉の太白が滅びその末裔が列島へ逃げ込んできた。それが格式高い姫氏※1の始まり。様々なルーツを持つコロニー民族がこの姫氏と(列島内で)姻戚関係を持とうとした。

もちろんそれは姫氏の格式がほしいためで、経済力・軍事力・ハイテクノロジー等の面で姫氏に頼ろうとしたわけではない。

その姫氏の正当末裔・底筒男命(高良玉垂)が名声を失う時が来て、代わりに宇佐神宮・応神が取って代わることになった。

 

加紫久利神社の祭神を見ていると、そういった時代変遷の過渡期を感じます。

 

 

※1司馬遷の史紀によると、伝説と思われていた中国古代王朝夏・殷・周は実在した公算が高い。その殷王朝は周りの異民族コロニーと姻戚関係を結ぶことで勢力を伸ばしたという。つまり娘を異民族に嫁がせ生まれた子供をコントロールするという外戚政治である。娘を嫁がせ勢力を伸ばしたため「姫」氏と呼ばれた。

故・百嶋由一郎氏は生前に「古代列島の公用語は中国語だった」と仰っていたそうです。

縄文人が中国語を学んだのではなく、中国大陸から中国語をネイティブランゲージとする人々が大量に列島に流入したことを表している。