どんどん行きますよ。

 

■藤川天神・・・鹿児島県薩摩川内市東郷町藤川1267

 

 

鹿児島県の出水と薩摩川内をつなぐ46号線の真ん中あたり

 

 

菅原道真のエピソードはご存知かと思います。

大宰府へと左遷された菅原道真が暗殺者から逃れてここまでやってきて余生を送った、と。

一般的な歴史観では菅原道真は大宰府で亡くなったとされています。

 

 

 

 

 

 

 

菅原道真の墓と伝承されている

 

 

 

一般的には大宰府で亡くなったとされる菅原道真は、病死を装い薩摩へ移動し、ここで余生を送った、と。

つまり菅原道真が安心して身を寄せることが出来る血縁がこの地にはあった、ということではないでしょうか。

だって、かくまったということが漏れたら藤原政権に攻撃されますからね。

ただ、菅原道真を京から放逐した後、天変地異と疫病に見舞われ藤原氏はそれどころではなくなりますが。

 

菅原道真の墓所はこれか?

 

 

神紋は当然、梅。

 

拝殿、本殿を横から。

 

本殿千木は当然外削ぎ

つまり、後世になって他の神々が入り込むことなく、菅原の命脈を保った由緒正しい神社、ということになりますか。

 

そばには

 

現王神社

藤川原の現王神社は、ここから東へ5km山を越えた谷あいにあり、現王山の神を祀る狩猟の神様のようです。

大久保の現王様は不明です。

 

神様がお二人のようですが、何もわかりません。

 

賽銭箱の正面にはかすかに梅紋が見えます。

ここも菅原道真ゆかりの方が祀られているのでしょう。

 

これは…九州王朝の貴人たちが菅原道真を偲んで梅園を鑑賞するための観客席だったのでしょうか。

大勢集まった菅原ゆかりの人々のざわめきが聞こえてくるようです…

 

さてここ藤川天神の近くには菅原道真の痕跡がもう一つ残されています。

46号線のわきに

 

菅原道真関連…

 

母と若君(姫君)が訪ねてきて住んだ、と。

 

痕跡が無いかと探しましたが

 

 

う~ん、これ?

 

さらに詳しい解説は久留米地名研究会・古川清久氏のブログにてご覧ください。