「世田谷一家惨殺事件」 とは、其のⅡ
入江杏さんのBPO(放送倫理審査会)への提訴が気に掛かります。
「入江杏」さんは、複雑な言い方をしていますが、其の趣旨は「怨恨」ではない、
犯人が精神疾患者とは発言していない、
だと思われます。
ここに最大の疑問が生じます。
内縁の家内から聴いていたところでは、「宮沢泰子」さんは最初に教室を開いた、
東急線「奥沢駅前」教室で、ストーカー行為に遭い、
身の危険を感じるようになって、義理の母親と姉(入江杏)さん夫妻の住む
「祖師谷」に転居した、と言うことなのです。
同地域で「くもん式」の教室を開いていた、内縁の家内は当時の、
「公文教育研究会」渋谷事務局で屡々
「宮沢泰子」さんと、顔を合わせていて、その時の会話からです。
とすると「入江杏」さんの発言は、それを打ち消すモノです。
管理人はTVを見ていませんでしたが、
つい最近それをネットで確認して、奇異な印象を受けました。
犯人に結びつく手掛かりであれば、どんな些細なことでも、捜査関係者に
話しているのが、普通ではないでしょうか。
事件当時も話していない、そして14年経っても「怨恨」を否定する。
BPOに提訴してまでも、「自分の自己像が歪められた」と、何かが不自然なのです。
かと言って「入江杏」さんが事件から、身を遠ざけたと言うことではなく、
6年後には其のⅠで、書いてきたように、むしろ積極的な
発信を始めています。
「宮沢泰子」さんが「奥沢駅前」教室を立ち上げたとき、「入江杏」さんは
共同経営者として、関わっています。
だから教室移転の経緯は、当然識っていたはずです。
この稿を書き始めて、ふと気付いたことがあります。
「奥沢駅前」教室から「祖師谷」に転居して、8年後に事件は起きますが、
「入江杏」さん夫妻が、海外に転勤した年に「奥沢駅前」から
教室は移転しています。
200年12月は海外から、「入江杏」さん夫妻が帰国したその年です。
もしストーカー行為の犯人が、事件との関わりがあるとすれば
8年間の空白を経て、「入江杏」さん夫妻の、帰国を待っていたかのように、
事件は引き起こされます。
恨まれていたのは「入江杏」さん、だったのではないかと言う疑問が生じます。
にいなちゃん、礼くんの誕生は、
「入江杏」さんの出国後ですから、実はほとんど接触は無かった。
「入江杏」さんの描く、犯罪被害者ストーリーは、フィクション性の強い、
恣意的なモノだったのでは無いのか。
ふと気付いた事ですから、ここで止めます。
筆者の第一印象では、「入江杏」さんの中では、事件は終息していると
受け取っています。
核心情報は「入江杏」さんが、内奥に秘めて隠蔽している、のではないでしょうか。
其のⅠでいきなり「警察」と「公文教育研究会」との間で、
司法取引がされたと、断定しました。
勿論、一警察署長の判断で、それが出来るわけも無く、
「警察庁長官」クラスが、関わっています。
さて筆者が今更のように、この事件を扱い始めたのには、
理由があります。
先ず内縁の家内から、話を聴いていたことが第一の理由ですが、
素人にでも「怨恨」が、疑われる事件なのに、
初動捜査の段階で、何故慎重周到な捜査が、行われなかったのか
と言う疑問です。
「宮沢泰子」さんの捜査に就いて言えば、「公文事務局」担当者が
生徒情報は掌握しています。
「奥沢駅前」教室と、移転した「祖師谷公園」教室の生徒名簿が手に入る筈ですから、
この名簿の付け合わせが、されなければ片手落ちでしょう。
また同僚と言える、近隣教室主宰者に、情報聴取が
されていなかった事は、捜査の基本に外れた怠慢と言えます。
現にその後、家内に聞いたところでは、警察は来なかったと言うのです。
2014年11月から、筆者には青天霹靂の事件が、重なっています。
ブログに事件に関わる、レポートを掲載しようと、
決断したのは、一つにはそうした事件が、エスカレートしたからです。
今年(2016年)1月、管轄の「成城署」に電話を入れました。
1週間程して、「成城署」の警部補と、若い刑事が自宅に訪ねてきました。
筆者も詳細は、家内から聴いていませんから、「必ず役に立つ情報が
得られる筈だから、直接本人から聞き取ってほしい」と。
概略上記の内容に沿って話したのです。
約一時間半ほど話して、立ち去りましたが、其のあと電話で
「家内は嘘を平気で吐くので、心して聴いた方が良いと」付け足しました。
司法取引が行われたとは、話しませんでしたが、
犯人の血痕は、採取されているのですから、仮に自殺していたとしても
親のDNAから、犯人を遡ることは出来ます。
決して「死人に口なし」とはなりません。犯行のあった「祖師谷」界隈では、
「自殺した少年が犯人だ」として、事件後間もなく、終わったモノと、されているようです。
事件後数年を経ても、次から次へ「怨恨」説を攪乱するかのような、
微細な証拠なるものが、毎年発表され拡散されました。
そこに非常な作為を感じ、「放置するのは犯罪だ」と確信している次第です。
その後2月1日付け、「内容証明郵便」で、
20年連れ添ってきた、内縁の家内から、「離別宣言」が届けられました。
其のⅢに続く。