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旅行の忘備録

ちょこちょこと行っている旅行の忘備録です。Since 2015

した。
実は、今回の旅行で仕事観がひっくり返るレベルの体験をしたのだった。
それも、(のんびりしてたのもあるけど)アウトプットするのに2ヶ月かかったような体験を。
でもやっぱりちょっと言葉が足りてないので、記事のリンクと併せてFBで補足したものも転記✏︎
<hr>
書いた!これからは自分の生活や、世の中にちゃんと資する仕事が出来たらいいなぁ。
もちろん、ムダでアホなことも大好きだけど。
賢い人だったら、既に自分の生活に必要な仕事、まちに必要な仕事、国に必要な仕事、世界に必要な仕事、地球に必要な仕事、未来に必要な仕事…と、スケールを広げて世の中に必要な仕事を作り出しているんだろうけど、
うちはそこまで賢くないし商才もないから、そういう仕事をしている事業者さんの歯車として動いていけたらいいなぁと思う。


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古仁屋で与路島の人とばったり再会

請島の請阿室を出た船は、9:00前に古仁屋に到着した。船の中には行きの船と請島の海水浴場で見た兵庫県から来た父子もいた。

船を降りた人混みの中に、与路島で朝からビールを飲んだおじさんがいた。あの時は酔っていたけど、今度は素面で、頭脳明晰という評判通り、淀みない口取りで超丁寧なご挨拶を受けた。お盆のお供え物や、飼っている猫の餌を買いに来た、と言う。
古仁屋から与路島・請島へ行く船は、1日1便、14:30発のものしかなく、帰りの便がない。「なぜ帰りがないのか?しかも行きもこんな中途半端な時間なのか?」と思っていたけど、その理由がやっとわかった。船のダイヤは、与路島・請島に住む人たちの生活に合わせたものだったのだ。


これから名瀬に行って夜の船に乗る事や、その前に田中一村記念館で絵画を見ていこうと思う事などを話すと、行き方や、バスの1日乗り放題券を買った方がお得だという事を教えてもらった。
9:00になってバスの案内所が開くとすぐに乗り放題券を購入して、次の名瀬方面へ向かうバスは9:30だと教わる。
それをそのままおじさんに伝えると、「じゃあそれまで一緒にいよう。ジュース奢ってあげる。」と言われ、おじさんに100円の紙コップのジュースを奢ってもらい、自分もおじさんにジュースを奢った。
会話をしていて(失礼だけど)変な人ではないと思ったので、住所を聞かれたのに応えた。おじさんからも住所を教えてもらったが、民宿の人の評判通り、達筆で驚いた。他の評判だと、英語もペラペラだと聞いたけど、英語は聞けなかった。

バスには出発時間ギリギリに乗り込んだ。おじさんはバス停まで見送りに来てくれて、バスが出発してからも見えなくなるまで手を振ってくれた。
(2ヶ月後に電話がかかってきて、「島の人らしくないな、と思いました。」と言ったら、「2度会ったからだ。」と言われた。)

バスの中の様子

バスの運転手=おじさん(たまにおばさん)というステレオタイプがあるが、この時の運転手さんは若いお兄さんだったのが意外だった。
途中のバス停で地元民らしきおばあちゃんと孫らしき女児が乗り込んで来て、バス車内で1日乗り放題券を購入しているのを目にした。バスの中でも乗り放題券が購入出来る事を知る。
バスはすぐにトンネルに入った。
夜の船まで時間はたっぷりあるし、乗り放題券での移動なので、「気になる景色があったら途中下車しよう。」と決め込んでいた。

”マングローブ”の意味をはじめて知る

しばらくすると『マングローブパーク』というバス停があったので、ここで降りる事にした。
去年、初めて奄美大島に行く前に、旅行誌のライターをしている人から「奄美の道の駅でマングローブ原生林をカヌーで見れるところがある。」と聞いていたそれが、ここだった。
カヌーに乗る服装の用意もなかったし、第一に1人でアトラクション的なものに参加しても楽しくはないと思ったけど、マングローブ原生林は見たかった。
原生林に面するカフェの店員さんらしき人に「マングローブを見れる場所はないか?」と尋ねると、遊歩道を教えてくれたので、そこを歩く事にした。この方は店員さんではなく観光ガイドさんだったけぢ、ついでに図々しくも荷物を預かってもらった。
カフェがある道沿いのすぐ脇に、下へ向かう階段があって、そこを下っていくと原生林だった。一本道の遊歩道を道なりに行く途中で、小さな蛇が道を横切るところに2度出くわした。
そんなに長くはなく、かと言って物足りない訳でもない距離の遊歩道の行き止まりまで行って、来た道を通ってカフェに戻った。ちょうど地元の親戚連れか?親子連れ2組の団体さんがワゴン車で到着したところで、子供たちが青いトカゲを素手で捕まえて興奮して、賑やかな雰囲気になっていた。
前出のガイドさんから「カフェの屋上からもマングローブが見えるから」と言われて屋上に登って、静かに原生林を眺めていたら、ここの存在に気づいた子供たちが上がってきて、一気に賑やかになった。自分も小さい頃に従兄弟たちと一緒にピクニックなど連れて行ってもらったけど、こんな感じだったんだろうと思った。
因みに、ガイドさん曰く、マングローブは木の名前ではなく、干潟に木々が茂った状態を、マングローブと言うそうで、正しくは『干潟の森』という語用だそう。
カフェの店内に戻って、アイスコーヒーを頂いて、荷物を受け取り、バス停に向かった。
↓カフェ内にあったインパクト大なメニュー。

バスの中で愉快なおばちゃんに声をかけられる

バス内は、終点の名瀬に近くに連れて徐々に人が増えていった。

中には、明らかに観光客と見られる若い女性2人組がいた。大きな荷物を持って、色白ときたら、現地の人ではない事が容易に察しがつく。
そんな事を考えながら、日焼け止めクリームを塗る手を首筋の後ろ側に回した途端、背後の席のおばさんからつんつんと肩を突かれてて、振り返ると「観光客?」と声をかけられた。
「はい。」と応えると、「どこから来たの?」にはじまり、「いいところでしょ〜。」というお国自慢から、「野菜が育つのを見るのが楽しみ」「息子と一緒に名瀬に行くんだけど、『母さんと一緒は恥ずかしい』と言われて別々に座っている。」など日常生活から家族の事まで、話し出したら止まらない系の人だった。
「旅行はいいよね〜。色んなところ行くの楽しいよね〜。」と、嬉々と話していたので、「おすすめは?」と聞くと、「私は旅行は行かないの。ずーっと奄美。」と言われて拍子抜けしたけど、おばさんの話ぶりに、毎日楽しそうでいいなぁ、と思った。
「パパイヤの炒め物が好きだが、福岡にはパパイヤがない。奄美ではパパイヤが軒先に生え放題だから羨ましい。」と言うと、「苗を買っていったらいい。それか、スーパーで熟れたパパイヤを買って、種を蒔いたらすぐ育つよ。あいつらしぶといから。」と言われたので、やってみようと思った。
名瀬の手前でおばさんは息子さんと共に降りていった。因みに、自分がずっと息子さんだと思っていた人は別人で、本当の息子さんが凄く若くてびっくりした。高3になる5番目の子だ、という事だった。

奄美の大都会・名瀬の様子

田中一村記念館は奄美大島の北部にあり、南部の古仁屋から行くには名瀬でバスを乗り換えなければいけない。乗り換えるついでに、荷物を預けられるところを探した。
バスの営業所の人に教えてもらった荷物を預けられる施設に向かう道すがら、舞踊教室で身支度を整えるところが覗き見れた。
島バナナが山盛りの青果店も。父がバナナ大好きなので、帰り道に寄る実家へのお土産に一房購入した。案外いい値段した。
豚の塩漬けも、折角なので購入してみた。これは自分用。
施設周辺ではお祭りが行われており、バスの時間もあるので、2月に研修ツアーのようなもの?で訪れた際にお会いした名瀬の人たちや、福岡でお会いしたTさん繋がりのお役所の人たちなんかがいるかなー?と思い、急ぎ足で見て回ったが、見当たらなかった。

沖縄風たこやき屋さん的なお店

バス停の手前に、沖縄風?のちょっと異質なお店があったので、パッションフルーツソフトクリーム目当てに入店してみた。
期待していたソフトクリームが品切れだったので、とうきびジュースを頂く事にした。
↓サトウキビを絞っているところ。
店内はソフトクリームやジュースなどのおやつ類の他に、揚物が充実していた。こちらの感覚だと、揚物=たこ焼きになっているものだろう。イチオシの『フィリピン風もも揚』には、「やっぱり沖縄の人がやってるのかな?」と思ってしまったけど、これは店主のおじさんがTVでたまたまレシピを見たものだそう。

島豆腐食べ放題のお店

バスに乗り込んで、北の方へ向かった。お昼御飯食べるにはばっちりなタイミングで名瀬に着いたのだったけど、去年古仁屋のゲストハウスに泊まった際に一緒だった一人旅の女性が「空港に行く途中にある豆腐屋さんの定食がすごく良かった。」と聞いた事を思い出して、そこに行こうと思っていた。

朝からジュース類しか摂取していなかったので、お腹の準備は万端だった。


山の間の田舎道のバス停で降りて、お昼過ぎの日差しの中を10分くらい歩いたところに、豆腐屋さんがあった。店内に入ると、とても1人で来るような雰囲気ではなかったけど(しかも座敷席に案内される)、入ってしまったのでそのままここで昼食をとる事にした。
定食には、3種の豆腐とみきのビュッフェがついており、この内容↓で800円代というかなりお得感満載の内容だった。空きっ腹もすぐに満腹になった。
再びバス停に戻って、空港方面へ向かうバスを待った。バス停の裏手には集落があり、興味深く眺めたりした。
集落を眺めるのにも飽きて、大人しくバスを待っていたら、バス停のすぐ裏の中古車屋さんの人が「暑いでしょ。」と言ってパラソルを立ててくれた。

田中一村の絵を見る

ようやく目的地の田中一村記念館に到着した。館内は美術館らしい静かで涼やかな空間だった。空調が効いているのだろうけど。

田中一村といえば色彩と緻密さに焦点が当てられがちで、自分も色彩や緻密さがすごいなぁと思っていたけど、実物を見てみると、緻密で鮮やかな色彩を絵をまとめ上げる構図もすごいんだなぁ、という発見をした。
展示は年に4回入れ替わるらしい。
売店で絵葉書を見て、住所を交換した与路島のおじさんや、お世話になった民宿やOさんに送る事を思いついて数点購入した。それと、図録も購入。

記念館周辺には、公園や展望台や奄美の文化・風俗を伝える施設があり、それらも見て回った。夕方だったためか、客は自分以外に見られなかった。
↓よく見ると奄美。
↓ハブがいない地域にはまずない啓発ポスター。
ここは鹿児島県の施設らしく、薩摩の侵略の歴史はマイルドにぼかされていた反面、琉球による支配の歴史は過激に紹介されていた。"勝者の歴史"をまざまざと見せられた。。
閉館時間まで展示を見て、名瀬に戻る事にした。

奄美の買物のメッカ・ビックⅡ(ビックツー)

しかしまだ時間があるので、お土産の購入+マーケティングというか個人的な興味でビックツーに立ち寄った。
ビックツーは奄美の大型量販店で、日用品からお土産品まで何でも揃うお店。山の合い間の田舎道にありながら、『ビックツー前』というバス停まである、買物のメッカ的なところ。という印象を持っている。
古仁屋で再会したNさんの黒糖やきび酢が購入出来るという点も、立ち寄った大きな理由だった。
↓早速Nさんのきび酢を発見。きび酢はNさんのところを含めて3社しか製造していないようだった。
↓家庭菜園も気候が異なればこうなる。
ビックツーでお土産品を色々物色して、再び名瀬に戻るバスに乗り込む頃には、日が暮れようとしていた。この日だけで一気にお金を使った。

夜の名瀬

名瀬に着くと、まだ夏祭りが行われていたが、昼ほどの活気はなく、終盤モードという様子だった。
預かっていた荷物を受け取って、名瀬の繁華街を通って港に向かった。
繁華街の外れまで来たところで、前回研修で来た際に気になったラーメン屋さんに入った。
店内には有名人のサインや写真がたくさん掲げられており、徳田虎雄氏の写真とサインも見られた。

店を出るとすぐに繁華街を外れて、暗い夜道をしばらく歩いた。
港に着いて船に乗り込むと、時期もあり、ほぼ満員状態だった。
荷物を置くと早速甲板に出た。港には見送りの人がぱらぱらといて、やんちゃな年頃の男の子達が船に乗った女の子にずっと何やかんやを叫んでいた。

紙テープを使っている人たちも2組見られた。これは春先に見られるものだと思っていたけど、お盆にも見られるものなのか、と思った。

その様子を興味深げに写真を撮る西洋人母子?夫婦がおり、2人は船が出航して徐々に小さくなる名瀬の街明りや、別の港に停泊するフェリーとしま(!去年乗ったやつだ。)などをバシャバシャ写真に撮っていた。この船に乗る大勢の奄美〜鹿児島間を行き来する人たちよりも、きっと自分の心境はこの外国人に近い。


ーーー翌朝ーーー

船が錦江湾に入りしばらく経ったタイミングで、定刻通りの到着になる見込みのアナウンスが流れたので、予約していた高速バスの購入手続きを済ませた。ここまで来れば電波も入る。

鹿児島港でぞろぞろと降りる人たちの中に自分もいた訳だけど、
奄美から大量の人たちが毎朝鹿児島の港にやって来ている様子は、鹿児島に暮らす人たちの日常とはかけ離れているように思えて、何だか非日常的な光景を見た気分になった。

あくまで自分の身の回りからの情報だけど、鹿児島の人の多くは奄美に行った事がないようなので。

心配していたお盆時の渋滞にも長くは捕まることなく、20分遅れで久留米インターに到着して、母の車で実家に帰った。



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請島でOさんにすぐ見つかる

与路島を出て、請島の池地港を経由した船は、すぐに同じ請島の請阿室港に接岸した。

船を下りる人はほとんどいない。船を下りた自分を、Oさんはすぐに見つけて軽トラに招き入れた。
Oさんは、普段福岡でお世話になっている加計呂麻島出身のTさんの高校時代の同級生で、Tさんに「請島に行こうと思う」と言ったら紹介して下さった。
更に、請島での民宿の予約が取れず、「請島行きは無理そうだ」という話をしたら、Oさん宅に泊まる事を提案され、その流れで1晩お世話になる事になったのだった。
因みに、与路島の民宿の人から知らされるまで、Oさんが独身だとは知らなかった。。どう思われた事やら?

請島のまちなみ、人口など

軽トラの助手席から見える請阿室の風景は、住宅街であった。与路島で見られたサンゴの石垣はこちらではごく少なく、碁盤の目状に整備された区間に、コンクリートのブロック塀が整然と並ぶ。Oさん曰く、明治の頃に整備された?とか。
請島も与路島と同じく、昔は1000人規模の人口を擁していたそうだが、今は池地、請阿室に約40人が暮らすのみだそうで、現在60歳のOさんよりも若い人は、請阿室に4人しかいないそうだ。
Oさんが1人で暮らす自宅はとても大きく、敷地も広々としていた。3棟の平屋が合体したような造りの、1棟分しか普段使っていない様子だった。

Oさんの仕事(島の暮らしは忙しい)

着くと普段使っていない座敷部屋に案内されて、ひとまずそちらに荷物を置いて、台所でペットボトル入りのお茶を頂きながら、Oさんがどのような人なのかや、今日の予定などを聞いた。

Oさんは名瀬の高校を卒業後、宮崎の大学に進学し、就職で広島に出てから数年働いて、故郷の請島に戻ってきたという。
今は養豚業、にんにくの栽培を主とした畑作業、それらの加工業、JAが運営していた店が撤退した後を引き継いでの店舗運営業に加えて、区長として自治体運営なども行っているという、多忙な方だった。
与路島の民宿の人々もそうだったけど、職業がマルチで一言で表せない。仕事と生活が密接に絡んでいて、そもそも"仕事"という概念よりも、"生業"という言葉がぴったりのような気がする生活を送っていた。

今日はこれからゴミを回収して池地まで持って行くというので、付いていく事に。
請阿室内を軽トラで周り、荷台にゴミを乗せて、回収したペットボトルは港の回収箱へ。
再び集落に戻り、Oさんが管理する商店に行き、池地のお客さんに持って行く商品(箱入りのアイス。溶けないか?)を車に乗せて、一山越えて池地に向かう。モナ王をもらった。
池地のお客さんの家に商品を届けに行く間にも、Oさんの携帯には商品の注文の電話が入った。「アイスは何があるか?」という内容だった。アイスが人気のようだ。

離島向けの助成金か補助金で建てられたごみ焼却所を運営するのも、区長さんの仕事らしい。ごみ焼却所の隣には、これまた助成金か補助金で建てられた堆肥場があった。

与路島が見えるウケユリの山へ

それから、池地の集落の先にある山へ向かった。この山は請島固有のウケユリというユリが咲く場所だそうだ。シーズンでないのと、シーズンでも車道から山道に入らないといけないのとで、ユリはみれなかったけど、山の上からよい眺めを楽しめた。
蒼い海とハイビスカス。
Tさんからの電話を受けるOさん。
そういえば、与路島では「内地の人はSoftbankが多いねー」と言われた事を思い出した。島の人はみんなdocomoだから繋がるけど、自分の携帯はSoftbankだから繋がらない。
この場所に来てみてわかったんだけど、与路島で唯一電波が繋がった無人の浜は、位置関係から徳之島の電波が届いているのだろう、というOさんの見立て。徳之島は面積も人口も奄美諸島で2番目に大きな島だ。
与路島やハミヤ島も見えた。
再び池地の集落に戻り、島内唯一の郵便局へ向かった。
Oさん曰く、ここで色んな銀行のお金が下ろせるから便利だそうだ。

請島・池地散策

Oさんとは一旦ここでお別れして、Oさんはここで用を済ませて車で自宅で戻り、自分は散歩がてら歩いて戻る事にした。
池地の集落の様子↓
街路樹が大きくなり過ぎてトンネル状態になっている。これは内地の、他所の人が頻繁にアクセスするようなところだったら、ちょっとした名物になっているのではないか?と思った。

じ?

ヤギ小屋と思われる。

歩いている途中で、全身ほっかむりを被ったおばちゃん2人に「あんた〇〇さん家の〇〇ね?」と聞かれる。住民の誰かの親戚だと思われたようだった。

母の実家が、島ではないが筑後平野の田んぼの真ん中の20世帯程の小さな集落だったので、こういう経験は既にあった。小さな集落で知らない人を見た時の思考回路である。

集落の外れにある小中学校は、2階建ての立派な造りだった。
昔は池地と請阿室のそれぞれに学校があったそうだけど、今はここが島内唯一の学校。
それから浜沿いの道を請阿室の方へ向かって歩いた。防砂林のアダンが見頃だった。
この時、腹痛に困る。それと同時に、街中の繁華街の御恵みを本能で感じた。

海がきれいすぎる(ほぼ)プラベートビーチ。トイレ有。

山道に入ってすぐに、海水浴への入口を見つけた。与路島へ向かう船の中でお話した、池地のおじさんから聞いた海水浴だ。

池地のおじさんには、「海が大好きで全国を回った人が、『ここの海が一番きれいだ』と言い、海水浴出来るようにシャワー室やトイレを揃えた。」と聞いていた。
これはぜひ寄り道せねば(トイレもあるし)、と思い、ハイビスカスが咲く海水浴への階段を降りた。
半裸のおじさんが腰かけていたので、「こんにちは。」と言い階段を降りた。
浜に出る前にシャワー室とトイレを兼ね備えた休憩小屋があったので、迷わずそちらに寄って、再び階段を降りた。
浜では、父子連れが1組遊んでいた。話はしなかったが、与路島へ行く船の中で一緒だった人だ。人づてに聞いた話だが、兵庫県から来た親子だそうだ。
関西は沖縄や奄美からたくさんの人が働きに出た場所だから、里帰りなのかな?と思う。
とりあえず膝まで浸かる。
ここが請島と加計呂麻島に挟まれた穏やかな海だという事は、後でOさんに島の反対側の海に連れて行ってもらい、実感を得る。
再び請阿室へと続く山道を歩く。真夏の昼間に山道を歩くような人は、自分みたいな観光客しかいないだろうけど、そもそも観光客がいない。
目に映る景色の彩度が高いこと!
途中でヘリポートがあったので寄り道したけど、あまり印象に残らず。それよりも早く先に進みたかった。


更に進むと、神社があった。
『きゅら島神社』の由来を読むと、"島に神社がなかったから造った"という、あまりにも正直な話が書いてあった。
平成15年建立の神社の鳥井の脇には、実を蓄えたパパイヤの木が育っていた。
神社からは請阿室が一望できた。

請島・請阿室散策

今度は請阿室の住宅街を散歩した。

↓こういう広場なのか小屋なのか?が住宅街に散見され、気になって後でOさんに伺ったところ、豚小屋だという。今は集落の外れに大きな豚小屋を作って、豚はみなそこに集めて飼っているそうだ。確かに、家の側に豚小屋があったら臭いが気になるだろう。。
↓この"危"札がついた木もよく見かけた。害虫対策の消毒をした印らしい。
奄美に行って初めて知ってびっくりした事の中に、"動・植物の移動の規制"がある。海外旅行の際にしかこんな規制はないものと思っていた。
↓自販機。コーラとファンタが100円なところに善意を感じた。コーラを購入。
朝夕などの時間になると、近所の人たちがここに腰かけておしゃべりでもするのかな?と思われる。
Oさん宅に戻る前に、『商店』の看板を見つけたので、お昼御飯を求めて入店してみた。ここは宿泊できなかった民宿でもあった。民宿を経営しながら、商店も経営しているのだろう。そしておそらく他にも何かしているのだろう、農機具が見られた。
見た目は全く普通の民家だけど、『商店』と書いてあるので入ってみると、土間にぎっしり食糧品を中心とした雑貨が陳列されており、中からおばさんが出てきた。
ここでカップラーメンと古仁屋で作られたパンを購入して、Oさん宅に戻った。

大きな家で一人暮らし

Oさんはどこかに出ており、テーブルにはパウチにはいった吉野屋の牛丼が空の丼に乗っかっていた。「食べておくように」という事だろうと思い、カップラーメンとパンをそっと仕舞って牛丼を頂いた。
食べ終えた食器を洗うついでに、流しとテーブルと床の上ををちょっと掃除した。勝手に悪いかな・・・?とは思ったけど、炊飯器で米を炊く事すら出来ない性分である父を思い出し、やはり男性の1人暮らしが年数を重ねるとこうなるものなのか、と思ってしまったので。。
掃除をしながら、お礼に料理をさせてもらう事を思いつく。

船が着くと忙しい

しばらくしてOさんが戻って来て、夕方の再放送のドラマなどを見て、古仁屋からの船に荷物を取りに行くというのでついていった。
Oさんは商店を経営しているので、荷物もたくさん届く。請島ならいくらでも魚が釣れるだろうと思われるけど、お刺身も届く。その方が便利なのだそうだ。

届いた荷物を軽トラの荷台に乗せて、再び商店へと向かった。

午前中は鍵を開けて店内に入ったが、昼から開店しており、店員のおばさんがレジに立っていた。

ほぼジャングルクルーズ・レベル2

荷物の搬入が終わると、今度は請阿室の奥の山道を越えたところにある、浜へ連れて行って下さった。
道のりは、急斜面の登山道そのものだった。舗装は当然なされていないどころか、凸凹が激しく、与路島のジャングルクルーズ以上の衝撃だった。そこ車じゃ通らないでしょ(しかも軽トラで)、、
一山越えた先にある浜は無人で、地元の人の潮干狩りスポットらしい。先程の海水浴場と比べると、波が高かった。

ほぼジャングルクルーズ・レベル3

浜を後にして、次は牧場に連れて行って下さった。
来た道を戻って、再び山道に入ってしばらく行くとフェンスがあり、そこから先が牧場だそうだ。
牧場というと、熊本の草千里のような草原を思い浮かべるが、そうではなかった。山の一部を柵で囲い、その中で牛を飼っていた。
ここにいる牛は全て雌で、どの牛も妊娠しているそうだ。普段は牛舎で飼っており、種付けをして妊娠している期間にここで放牧するそうだ。その間、飼料を持って来たりもするが、基本的に放し飼いで適度に運動をさせたり、生えている草を食べさせたりするそう。
伺った時間帯は、ちょうど牧場主が飼料を道に撒いており、牛たちの御飯時のようだった。食事に夢中な牛が道を阻んでおり、Oさんが車を降りて牛のお尻をべちべち叩いて道を空けた。
少し前に仕事で五島列島の宇久島に行った時にも牧場に入ったが、その時は「あまり近づかないように、追いかけられるとすぐに捕まって危ない。」と言われて物凄く遠くから牛の視線に全神経を尖らせたのだったけど。。

Oさんが「この先の岬に行こう。」と言い、牧場内の道を逸れて、子供の背丈程に伸びた草が密集する中を突き進みはじめた。これは道ではない。与路島と請島のそれぞれで道路(?)事情にはびっくりし続けてきたが、これが1番の驚きだった。

道なき道を行く軽トラに激しく身体を揺らされて、岬に辿り着いた。ここも激しい波であった。そして再び道なき道を戻り、再びOさんが営む商店へと戻り、お店の酎ハイや食糧品(冷凍のお肉など)を自宅の冷蔵庫を物色するように購入して、Oさん宅へと帰宅した。

夜はみんなで晩餐会

帰宅するといい時間になっていたので、Oさんは片付けなどを終えるとすぐにシャワーに向かった。自分はその間に料理を作り、Oさんと交代する形でシャワーをお借りした。自分がシャワーを終えて台所に戻ると、近所の人たちが大集合していた。

Oさんと同世代の近所のご夫婦2組に、その昔大阪から移住してきたというおじさん1人、Oさん、自分の7人での晩酌が始まった。

印象に残った事&話

・猪肉の煮込み料理が!?今日罠にかかった猪だそう。自分は食べれないけど、「罠にかかった様子や、解体の模様を見てみたかった。」と言ったら、自分よりも他の人たちが残念がっていた。
・みんなペットボトル入りのお茶や水を飲む。地下水がなく水道水があまりきれいではないのだそう。
・また、ゴミの分別への関心が高い。ゴミの処理をしている人(Oさん)の顔が見える環境、規模感だからだろうと思う。ペットボトルは洗って表面のラベルを剥いで捨てる。ゴミの分別に関しては。ちょっとした事でも迷ったら「わかんないから燃えるゴミで。」とはならず、「よし、今度聞いてみよう。」という運びになる。
・「温泉街はストリップがあるからいいのになぁ〜」と、奥さんがいる場で発言するおじさん。だいぶタイムラグがあるように思う。恐らくだいぶ長い事行っていないのでは?お土産の明太子の缶詰を食べながら、「福岡といえば中洲に行きたいなぁ〜」とも言っていた。奥さんに「塩分摂りすぎ」と怒られながらも、ずっと食べていた。見事な"おじさん"像を見た気持ちになった。
・大阪出身のおじさんの高校時代の思い出話が全部漫画みたいな話だった。「チョーク投げが上手い先生がいた」「水が入ったバケツを持たされて廊下に立たされた」「柄の悪い先輩から本気で下駄の角っこで殴られて電流がビリビリ流れる感覚を味わい気絶した」「朝鮮人とはすぐに喧嘩になった」…など。実際にあっていたからこそ、漫画にも登場するのだろう、と思う。
・「今日はちょうど流星群が見れる」というネタが出てきたので、先程の見事なおじさんの奥さん、大阪のおじさん、Oさん、自分で、ピークだという21:00を回ったところで、お酒が飲めないOさんの運でヘリポートまで見に行くことになった。

何気ない毎日に楽しいことがいっぱいある

夜のヘリポートは気持ちがよかった。真夏の南の島とはいえ、こちらは湿気が少なく福岡よりも過ごしやすい気候のように思えた。夜は日差しがないから尚更だ。

ここは良いバーベキュースポットでもあるらしい。その他にも、たまにみんなで無人島にピクニックに行く話や、数人でお金を出し合って船を買った話などを教えてもらった。
与路島でもそうだったけど、外部からは"過疎""離島"などの言葉をネガティヴな意味を込めて表現されがちな土地柄ではあるが、自分の目には、みんなささやかな"お楽しみ"を存分に楽しんで過ごしているように映った。

誰かが「見えた!」と言うと、「見えた、見えた。」「えー?見逃した」という会話が発生し、それが何度か続いて、全員が納得するまで鑑賞出来たタイミングで、戻る事になった。
戻ってすぐに、早寝早起きの習性であるというご夫婦が1組帰った。その後もしばらく料理をつつきお酒を飲む時間が続いたが、24:00を回ったところでお開きとなった。

クーラーのつけ方は教わったけど、請島の気持ちいい気候と治安に浸りたく、風が流れる位置の窓を開けた状態で床についた。

ーーー2日目ーーー

朝、ペットのヤギを見に行く

Oさんは5:00前から畑に出ていたようだ。外を歩く足音を布団の中で聞きつつ、早く起きたところでする事はないので、6:00まではこのまま甘えていようと思った。

6:00を迎えて布団から出て、身支度をひと通り済ませたところで、Oさんが車で昨晩のおじさんが話していた"ペットのヤギ"を見に連れて行ってくれた。おじさん曰く「このヤギは俺が生きている間は絶対に食わない」との事。おじさんの死後は誰かに食べられても大丈夫だということだろうか?また、「ヤギって何年生きるんだろう?」と気にしていたところが何とも、愛着が湧くってこんな事なのか、と思った。

それからすぐにOさん宅に戻り、時間を持て余したので、近所を少し散歩する事にした。散歩中に思いがけず昨日一緒に流星群を見に行ったおばさんが家の前にいるところに出くわして、昨日のお礼とこれから経つ事を述べる。

その後再びOさん宅に戻り、Oさんの軽トラで港まで送り届けられて、ここでOさんとお別れした。港に人を届けると、さっと去ってしまうところに、島の人らしさを感じた。


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請島でOさんにすぐ見つかる

与路島を出て、請島の池地港を経由した船は、すぐに同じ請島の請阿室港に接岸した。

船を下りる人はほとんどいない。船を下りた自分を、Oさんはすぐに見つけて軽トラに招き入れた。
Oさんは、普段福岡でお世話になっている加計呂麻島出身のTさんの高校時代の同級生で、Tさんに「請島に行こうと思う」と言ったら紹介して下さった。
更に、請島での民宿の予約が取れず、「請島行きは無理そうだ」という話をしたら、Oさん宅に泊まる事を提案され、その流れで1晩お世話になる事になったのだった。
因みに、与路島の民宿の人から知らされるまで、Oさんが独身だとは知らなかった。。どう思われた事やら?

請島のまちなみ、人口など

軽トラの助手席から見える請阿室の風景は、住宅街であった。与路島で見られたサンゴの石垣はこちらではごく少なく、碁盤の目状に整備された区間に、コンクリートのブロック塀が整然と並ぶ。Oさん曰く、明治の頃に整備された?とか。
請島も与路島と同じく、昔は1000人規模の人口を擁していたそうだが、今は池地、請阿室に約40人が暮らすのみだそうで、現在60歳のOさんよりも若い人は、請阿室に4人しかいないそうだ。
Oさんが1人で暮らす自宅はとても大きく、敷地も広々としていた。3棟の平屋が合体したような造りの、1棟分しか普段使っていない様子だった。

Oさんの仕事(島の暮らしは忙しい)

着くと普段使っていない座敷部屋に案内されて、ひとまずそちらに荷物を置いて、台所でペットボトル入りのお茶を頂きながら、Oさんがどのような人なのかや、今日の予定などを聞いた。

Oさんは名瀬の高校を卒業後、宮崎の大学に進学し、就職で広島に出てから数年働いて、故郷の請島に戻ってきたという。
今は養豚業、にんにくの栽培を主とした畑作業、それらの加工業、JAが運営していた店が撤退した後を引き継いでの店舗運営業に加えて、区長として自治体運営なども行っているという、多忙な方だった。
与路島の民宿の人々もそうだったけど、職業がマルチで一言で表せない。仕事と生活が密接に絡んでいて、そもそも"仕事"という概念よりも、"生業"という言葉がぴったりのような気がする生活を送っていた。

今日はこれからゴミを回収して池地まで持って行くというので、付いていく事に。
請阿室内を軽トラで周り、荷台にゴミを乗せて、回収したペットボトルは港の回収箱へ。
再び集落に戻り、Oさんが管理する商店に行き、池地のお客さんに持って行く商品(箱入りのアイス。溶けないか?)を車に乗せて、一山越えて池地に向かう。モナ王をもらった。
池地のお客さんの家に商品を届けに行く間にも、Oさんの携帯には商品の注文の電話が入った。「アイスは何があるか?」という内容だった。アイスが人気のようだ。

離島向けの助成金か補助金で建てられたごみ焼却所を運営するのも、区長さんの仕事らしい。ごみ焼却所の隣には、これまた助成金か補助金で建てられた堆肥場があった。

与路島が見えるウケユリの山へ

それから、池地の集落の先にある山へ向かった。この山は請島固有のウケユリというユリが咲く場所だそうだ。シーズンでないのと、シーズンでも車道から山道に入らないといけないのとで、ユリはみれなかったけど、山の上からよい眺めを楽しめた。
蒼い海とハイビスカス。
Tさんからの電話を受けるOさん。
そういえば、与路島では「内地の人はSoftbankが多いねー」と言われた事を思い出した。島の人はみんなdocomoだから繋がるけど、自分の携帯はSoftbankだから繋がらない。
この場所に来てみてわかったんだけど、与路島で唯一電波が繋がった無人の浜は、位置関係から徳之島の電波が届いているのだろう、というOさんの見立て。徳之島は面積も人口も奄美諸島で2番目に大きな島だ。
与路島やハミヤ島も見えた。
再び池地の集落に戻り、島内唯一の郵便局へ向かった。
Oさん曰く、ここで色んな銀行のお金が下ろせるから便利だそうだ。

請島・池地散策

Oさんとは一旦ここでお別れして、Oさんはここで用を済ませて車で自宅で戻り、自分は散歩がてら歩いて戻る事にした。
池地の集落の様子↓
街路樹が大きくなり過ぎてトンネル状態になっている。これは内地の、他所の人が頻繁にアクセスするようなところだったら、ちょっとした名物になっているのではないか?と思う。

じ?

ヤギ小屋と思われる。

歩いている途中で、全身ほっかむりを被ったおばちゃん2人に「あんた〇〇さん家の〇〇ね?」と聞かれる。住民の誰かの親戚だと思われたようだった。

母の実家が、島ではないが筑後平野の田んぼの真ん中の20世帯程の小さな集落だったので、こういう経験は既にあった。小さな集落で知らない人を見た時の思考回路である。

集落の外れにある小中学校は、2階建ての立派な造りだった。
昔は池地と請阿室のそれぞれに学校があったそうだけど、今はここが島内唯一の学校。
それから浜沿いの道を請阿室の方へ向かって歩いた。防砂林のアダンが見頃だった。
この時、腹痛に困る。それと同時に、街中の繁華街の御恵みを本能で感じた。

海がきれいすぎる(ほぼ)プラベートビーチ。トイレ有。

山道に入ってすぐに、海水浴への入口を見つけた。与路島へ向かう船の中でお話した、池地のおじさんから聞いた海水浴だ。

池地のおじさんには、「海が大好きで全国を回った人が、『ここの海が一番きれいだ』と言い、海水浴出来るようにシャワー室やトイレを揃えた。」と聞いていた。
これはぜひ寄り道せねば(トイレもあるし)、と思い、ハイビスカスが咲く海水浴への階段を降りた。
半裸のおじさんが腰かけていたので、「こんにちは。」と言い階段を降りた。
浜に出る前にシャワー室とトイレを兼ね備えた休憩小屋があったので、迷わずそちらに寄って、再び階段を降りた。
浜では、父子連れが1組遊んでいた。話はしなかったが、与路島へ行く船の中で一緒だった人だ。人づてに聞いた話だが、兵庫県から来た親子だそうだ。
関西は沖縄や奄美からたくさんの人が働きに出た場所だから、里帰りなのかな?と思う。
とりあえず膝まで浸かる。
ここが請島と加計呂麻島に挟まれた穏やかな海だという事は、後でOさんに島の反対側の海に連れて行ってもらい、実感を得る。
再び請阿室へと続く山道を歩く。真夏の昼間に山道を歩くような人は、自分みたいな観光客しかいないだろうけど、そもそも観光客がいない。
目に映る景色の彩度が高いこと!
途中でヘリポートがあったので寄り道したけど、あまり印象に残らず。それよりも早く先に進みたかった。


更に進むと、神社があった。
『きゅら島神社』の由来を読むと、"島に神社がなかったから造った"という、あまりにも正直な話が書いてあった。
平成15年建立の神社の鳥井の脇には、実を蓄えたパパイヤの木が育っていた。
神社からは請阿室が一望できた。

請島・請阿室散策

今度は請阿室の住宅街を散歩した。

↓こういう広場なのか小屋なのか?が住宅街に散見され、気になって後でOさんに伺ったところ、豚小屋だという。今は集落の外れに大きな豚小屋を作って、豚はみなそこに集めて飼っているそうだ。確かに、家の側に豚小屋があったら臭いが気になるだろう。。
↓この"危"札がついた木もよく見かけた。害虫対策の消毒をした印らしい。
奄美に行って初めて知ってびっくりした事の中に、"動・植物の移動の規制"がある。海外旅行の際にしかこんな規制はないものと思っていた。
↓自販機。コーラとファンタが100円なところに善意を感じた。コーラを購入。
朝夕などの時間になると、近所の人たちがここに腰かけておしゃべりでもするのかな?と思われる。
Oさん宅に戻る前に、『商店』の看板を見つけたので、お昼御飯を求めて入店してみた。ここは宿泊できなかった民宿でもあった。民宿を経営しながら、商店も経営しているのだろう。そしておそらく他にも何かしているのだろう、農機具が見られた。
見た目は全く普通の民家だけど、『商店』と書いてあるので入ってみると、土間にぎっしり食糧品を中心とした雑貨が陳列されており、中からおばさんが出てきた。
ここでカップラーメンと古仁屋で作られたパンを購入して、Oさん宅に戻った。

大きな家で一人暮らし

Oさんはどこかに出ており、テーブルにはパウチにはいった吉野屋の牛丼が空の丼に乗っかっていた。「食べておくように」という事だろうと思い、カップラーメンとパンをそっと仕舞って牛丼を頂いた。
食べ終えた食器を洗うついでに、流しとテーブルと床の上ををちょっと掃除した。勝手に悪いかな・・・?とは思ったけど、炊飯器で米を炊く事すら出来ない性分である父を思い出し、やはり男性の1人暮らしが年数を重ねるとこうなるものなのか、と思ってしまったので。。
掃除をしながら、お礼に料理をさせてもらう事を思いつく。

船が着くと忙しい

しばらくしてOさんが戻って来て、夕方の再放送のドラマなどを見て、古仁屋からの船に荷物を取りに行くというのでついていった。
Oさんは商店を経営しているので、荷物もたくさん届く。請島ならいくらでも魚が釣れるだろうと思われるけど、お刺身も届く。面倒なのだそうだ。

届いた荷物を軽トラの荷台に乗せて、再び商店へと向かった。

午前中は鍵を開けて店内に入ったが、昼から開店しており、店員のおばさんがレジに立っていた。

ほぼジャングルクルーズ・レベル2

荷物の搬入が終わると、今度は請阿室の奥の山道を越えたところにある、浜へ連れて行って下さった。
道のりは、急斜面の登山道そのものだった。舗装は当然なされていないどころか、凸凹が激しく、与路島のジャングルクルーズ以上の衝撃だった。そこ車じゃ通らないでしょ(しかも軽トラで)、、
一山越えた先にある浜は無人で、地元の人の潮干狩りスポットらしい。先程の海水浴場と比べると、波が高かった。

ほぼジャングルクルーズ・レベル3

浜を後にして、次は牧場に連れて行って下さった。
来た道を戻って、再び山道に入ってしばらく行くとフェンスがあり、そこから先が牧場だそうだ。
牧場というと、熊本の草千里のような草原を思い浮かべるが、そうではなかった。山の一部を柵で囲い、その中で牛を飼っていた。
ここにいる牛は全て雌で、どの牛も妊娠しているそうだ。普段は牛舎で飼っており、種付けをして妊娠している期間にここで放牧するそうだ。その間、飼料を持って来たりもするが、基本的に放し飼いで適度に運動をさせたり、生えている草を食べさせたりするそう。
伺った時間帯は、ちょうど牧場主が飼料を道に撒いており、牛たちの御飯時のようだった。食事に夢中な牛が道を阻んでおり、Oさんが車を降りて牛のお尻をべちべち叩いて道を空けた。
少し前に仕事で五島列島の宇久島に行った時にも牧場に入ったが、その時は「あまり近づかないように、追いかけられるとすぐに捕まって危ない。」と言われて物凄く遠くから牛の視線に全神経を尖らせたのだったけど。。

Oさんが「この先の岬に行こう。」と言い、牧場内の道を逸れて、子供の背丈程に伸びた草が密集する中を突き進みはじめた。これは道ではない。与路島と請島のそれぞれで道路(?)事情にはびっくりし続けてきたが、これが1番の驚きだった。

道なき道を行く軽トラに激しく身体を揺らされて、岬に辿り着いた。ここも激しい波であった。そして再び道なき道を戻り、再びOさんが営む商店へと戻り、お店の酎ハイや食糧品(冷凍のお肉など)を自宅の冷蔵庫を物色するように購入して、Oさん宅へと帰宅した。

夜はみんなで晩餐会

帰宅するといい時間になっていたので、Oさんは片付けなどを終えるとすぐにシャワーに向かった。自分はその間に料理を作り、Oさんと交代する形でシャワーをお借りした。自分がシャワーを終えて台所に戻ると、近所の人たちが大集合していた。

Oさんと同世代の近所のご夫婦2組に、その昔大阪から移住してきたというおじさん1人、Oさん、自分の7人での晩酌が始まった。

印象に残った事&話

・猪肉の煮込み料理が!?今日罠にかかった猪だそう。自分は食べれないけど、「罠にかかった様子や、解体の模様を見てみたかった。」と言ったら、自分よりも他の人たちが残念がっていた。
・みんなペットボトル入りのお茶や水を飲む。地下水がなく水道水があまりきれいではないのだそう。
・また、ゴミの分別への関心が高い。ゴミの処理をしている人(Oさん)の顔が見える環境、規模感だからだろうと思う。ペットボトルは洗って表面のラベルを剥いで捨てる。ゴミの分別に関しては。ちょっとした事でも迷ったら「わかんないから燃えるゴミで。」とはならず、「よし、今度聞いてみよう。」という運びになる。
・「温泉街はストリップがあるからいいのになぁ〜」と、奥さんがいる場で発言するおじさん。だいぶタイムラグがあるように思う。恐らくだいぶ長い事行っていないのでは?お土産の明太子の缶詰を食べながら、「福岡といえば中洲に行きたいなぁ〜」とも言っていた。奥さんに「塩分摂りすぎ」と怒られながらも、ずっと食べていた。見事な"おじさん"像を見た気持ちになった。
・大阪出身のおじさんの高校時代の思い出話が全部漫画みたいな話だった。「チョーク投げが上手い先生がいた」「水が入ったバケツを持たされて廊下に立たされた」「柄の悪い先輩から本気で下駄の角っこで殴られて電流がビリビリ流れる感覚を味わい気絶した」「朝鮮人とはすぐに喧嘩になった」…など。実際にあっていたからこそ、漫画にも登場するのだろう、と思う。
・「今日はちょうど流星群が見れる」というネタが出てきたので、先程の見事なおじさんの奥さん、大阪のおじさん、Oさん、自分で、ピークだという21:00を回ったところで、お酒が飲めないOさんの運でヘリポートまで見に行くことになった。

何気ない毎日に楽しいことがいっぱいある

夜のヘリポートは気持ちがよかった。真夏の南の島とはいえ、こちらは湿気が少なく福岡よりも過ごしやすい気候のように思えた。夜は日差しがないから尚更だ。

ここは良いバーベキュースポットでもあるらしい。その他にも、たまにみんなで無人島にピクニックに行く話や、数人でお金を出し合って船を買った話などを教えてもらった。
与路島でもそうだったけど、外部からは"過疎""離島"などの言葉をネガティヴな意味を込めて表現されがちな土地柄ではあるが、自分の目には、みんなささやかな"お楽しみ"を存分に楽しんで過ごしているように映った。

誰かが「見えた!」と言うと、「見えた、見えた。」「えー?見逃した」という会話が発生し、それが何度か続いて、全員が納得するまで鑑賞出来たタイミングで、戻る事になった。
戻ってすぐに、早寝早起きの習性であるというご夫婦が1組帰った。その後もしばらく料理をつつきお酒を飲む時間が続いたが、24:00を回ったところでお開きとなった。

クーラーのつけ方は教わったけど、請島の気持ちいい気候と治安に浸りたく、風が流れる位置の窓を開けた状態で床についた。

ーーー2日目ーーー

朝、ペットのヤギを見に行く

Oさんは5:00前から畑に出ていたようだ。外を歩く足音を布団の中で聞きつつ、早く起きたところでする事はないので、6:00まではこのまま甘えていようと思った。

6:00を迎えて布団から出て、身支度をひと通り済ませたところで、Oさんが車で昨晩のおじさんが話していた"ペットのヤギ"を見に連れて行ってくれた。おじさん曰く「このヤギは俺が生きている間は絶対に食わない」との事。おじさんの死後は誰かに食べられても大丈夫だということだろうか?また、「ヤギって何年生きるんだろう?」と気にしていたところが何とも、愛着が湧くってこんな事なのか、と思った。

それからすぐにOさん宅に戻り、時間を持て余したので、近所を少し散歩する事にした。散歩中に思いがけず昨日一緒に流星群を見に行ったおばさんが家の前にいるところに出くわして、昨日のお礼とこれから経つ事を述べる。

その後再びOさん宅に戻り、Oさんの軽トラで港まで送り届けられて、ここでOさんとお別れした。港に人を届けると、さっと去ってしまうところに、島の人らしさを感じた。


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『フェリーせとなみ』に乗船

奄美大島・古仁屋港から請島を通って与路島へ向かう船に乗り込んで、まず目に入ったのが、山積みの生活物資と乗客(主に後期高齢者)たちだった。

生活物資の数々には個人名がわかりやすく大きく書かれているものが多く、ここでは番地よりも個人名の方が融通が利くのだろう、と察する事が出来る。

乗船客の服装は、よそ行きとまではいかないけれど、決してラフまではいかない様相だった。

船は、14:30に古仁屋を出て、請阿室(請島)、池地(請島)、与路(与路島)の西から順に停泊していくのだけど、何故だか加計呂麻島を東から回って、与路島や請島の池地集落を通り越して、請阿室に向かった。潮の調子なのだろうか?内陸の平野で育ったので、海の事はさっぱりわからない。
船内では池地に帰るというおじいさんから、窓の外に何かが見える度に、「あれは〇〇」「これは〇〇」といった具合に色々な事を教えてもらった。と言っても、殆どが無人島か集落の名称なのだけど。
無人島も岬も何もかも、どれも同じように見えるのだけど、それが日常生活の場となれば、いつの昔からか土地に名称が与えられて、それぞれを把握しているものなんだなぁ。と思った。

まさかの、船が故障

明後日に向かう予定の請島・請阿室港に停泊したところで、船が動かなくなった。

最初はすぐにどうにかなるだろう。と思ったけど、思いの他どうにもならず、1時間経ったか経たないかした頃に、池地で降りる人達は陸路で向かう事になり、池地からお迎えに来た車に乗り込んでいった。
与路へと向かう人は自分を含めて3人で、代替えの海上タクシーを待つ事になった。
待ちながら、海がきれいだなー。と思う。
海上タクシーが迎えに来たのは、17:00過ぎだった。
海上タクシーが到着すると、まずは与路島へ届ける大量の荷物を積み込まれた。これを少々手伝い、ようやくの出発となった。
乗船したのは、故障した船の船員さん3人と、帽子を被り、スラックスにベルトというよそ行きの格好をした地元のおじさん、部活の練習着らしき服装の高校生くらいの女の子だった。
よそ者が珍しいのか、おじさんにはよく話をかけられた。おじさんに「あれはハミャ島というテレビのロケがあった無人島だから、写真を撮りなさい。」と言われて撮った写真がこれ↓
ハミャ島のことは、先程の池地のおじさんにも聞いたばかりだった。

2時間遅れで与路島に到着

与路の港には、5〜6人の人達が待ち構えていた。大事な荷物が沢山届くから、それなりの人手が必要なんだろう。

ネットで検索して見た、標準語を連想させる響きなど全くない方言で「ようこそ」を意図する文字が与路の港の建物が、すぐそこに見えた。
16:10に到着の予定だったけど、すっかり18:00前になっていた。
予約していた民宿のおばさんも、港で待っていた。自分がどんな様相で、どんな出で立ちで来るのかは伝えていなかったけれど、よそ者は一目でわかるんだろう、迷わず自分に声をかけてくださった。
防砂林の切れ目が島内唯一の集落の入り口であり、乗ってきた自転車を押して民宿へ向かうおばさんの後ろをついて歩いた。
今までの経験上、小さな離島の民宿は港まで迎えに来てくれるところが殆どで、また、距離に関係なく車で来て下さるところが殆どだったけど、おばさんは自転車だった。
たまたま車がないタイミングだったのかも知れないけど、民宿は港から激近だった。
民宿の入り口の塀の上には夜光貝の貝殻が並び、七夕飾りが立てられていた。

民宿がほぼホームステイ

まず居間に通されて、コーヒーとお茶菓子を頂いた。月桃に包まれたお餅と、黒糖が混ざっているのか?焦茶色の菊の形をした乾菓子は、このタイミングでここに来たからだろうか?地域と季節を同時に感じられるものだった。お腹いっぱいになる内容だった。

それにしても、家族の写真と親戚・近隣の人の電話番号表が壁の面積の殆どを占めるこの空間は、民宿の居間というよりも、まるで一般家庭の居間だった。
テレビの横のiPadで次々と表示される名瀬に住んでいるというお孫さんが、とびきり可愛いかった。船の中で一緒だった女の子といい、奄美には普段では見ないようようなボリューム満点の睫毛の人が多い印象。
コーヒーとお菓子を平らげたところで、「さ、晩御飯作ろうかね。」と言って、おばさんは台所に向かった。
おばさんが台所で料理をしている間、居間の写真や家族が取材された新聞記事を見たり、一通り居間にあるものに目が通ると、勝手口から外に出てみたり。
勝手口を出ると、まずきれいな猫ちゃんに遭遇した。実家の白猫よりもきれいだし、きっと飼い猫だろう、触らせてくれるだろう、と思われたけど、触らせてくれなかった。民宿のおじさんにしかなついていない、野良猫だそう。
それから少し先に目をやると、びっくりするくらいでかいヤドカリがいた!でかすぎてびっくりしたけど、このくらいのヤドカリはここにはゴロゴロいる事を翌日知る。
猫ちゃんの気を惹こうとヤドカリを目の前に持ってきたけど、ちょっと興味を示してくれただけで、やはり触れなかった。
それから庭の奥に行くと犬がいて、その後ろには3頭の牛を囲う小さな牛舎があった。
犬は繋がれていて、はち切れんばかりに尻尾を振ってこちらに興味を示してくれたけど、食事前なので触らないでおいた。

豪華な食事と庶民的なお風呂

晩御飯は、民宿のおじさん、おばさんと、前出の居間で3人で食べた。コーヒーを飲みながらお刺身が食べれない旨を伝えたら、お刺身を揚げて下さっていた。

すごく豪華な内容で、立派過ぎて全部食べれなかったので、一部を明日の朝御飯に回してもらった。
↓これに、御飯とあおさ?のお吸い物つき。
お風呂は、建替え前の母方の実家を思い出すような作りだった。
お風呂を頂いて、お部屋に置いてあった観光本などをぱらぱらと見て、この日は就寝した。
ごろんと寝そべって見上げた天井は、ホームステイ感満載(勿論いい意味で)。

ーーー2日目---

与路島の風土を垣間見る

昨晩、何時に朝食をとるか尋ねられた際に、ゆっくりしたいけど遅すぎても迷惑だろうと考え、8:00にお願いしておいた。

そうして目覚ましをかけずに就寝したのだけど、7:00前には自然と目が覚めた。目覚めはすっきりだった。いつもなら目覚ましをかけてないと10:00前まで寝てしまい、目が覚めても小一時間は床から出られないのに、だ。健康的だ。
朝食まで時間があるので、散歩に出かけた。
昨日は夕方から曇り出した所為もあるけど、与路に到着してすぐに民宿に向かい、それから民宿の敷地内にしかいなかったから、ここでようやく与路島の一番の特徴だと謳われている昔ながらのサンゴの石垣が日常にある風景を目の当たりにした。ハブ撃退用の棒(その名も「ハブ棒」。そのまんま。)もたくさん見た。


それから、ヤギを飼育している風景も。ヤギは野生のものもたくさんいて、昨日船の中から池地のおじさんに「あそこに野生のヤギがいる」と指を指された先にヤギを見た時はとても珍しいものを見た気持ちになったけど、ヤギは野生にも家庭にもたくさんいた。
空家も少なからずあり、半壊している部分から見えた室内には、親戚の連絡先が大きく壁に貼ってある様子が伺えた。
血縁を大切にする土地柄を感じると同時に、東京の地名が多い事と朽ちた家屋の様相に、虚しさも感じた。

戻って来てから、「今だ。」と思い、宿泊している室内の写真を撮った。

昨晩、部屋に踏み入れた瞬間に、亜熱帯の生活感が滲んだ室内に感激したんだけど、暗くてまともに写真に写ってくれなかったのだった。
左の壁に貼ってあるのは、お孫さんの名前。
部屋の窓にはテラスがあり、屋根があるところが、シンガポールで泊まったゲストハウスを思い出した。
それから、居間で朝食を頂いた。
通常の朝食+昨晩の残りがあるので、朝からお腹いっぱいになる量だった。
朝食を食べながら、民宿のおばさんが「今日は古仁屋で海上タクシーの仕事をしている息子が来るから〜」とお話していて、ふーん、と思った矢先に息子さんが居間に入ってきて驚いた。こんな朝っぱらではなく、お昼か午後か、もっと後になって来るのかと思ったからだ。
息子さん曰く、昨日ウミガメの産卵があったそうだ。来る時に浜を見てわかったらしい。ウミガメはTVの中の生き物だと思っていたし、"浜を見てわかる"というのがピンと来ず、まだまだ自分が知らない事は沢山あるんだ、と思った。


息子さんが居間の窓際で朝食を食べはじめると、昨日の猫ちゃんがみゃーみゃーとしきりに鳴いて餌をねだり出した。座っていた位置からは姿は見えなかったが、鳴き声は大音量で聞こえた。
息子さんは猫ちゃんにおこぼれをあげながら朝食を食べ、おばさんは「今日は姉ちゃん(自分のこと)の食べ残しもあるからねー」と声をかけていた。名前はミーちゃんらしい、という事を知る。
朝食を食べ終えたら、早速、食べ残した手羽先の皮の部分をあげに勝手口に向かった。皮は食べるけど、やはり触らせてくれない。掌に皮を乗せると、体は警戒しつつもしっかりと首を伸ばして皮をかじり、かじり取ったらさっと首を引っ込めて食べていた。
息子さんは「あとで島の反対側の桟橋に行こう。」と言い、どこかに行った。自分も部屋に戻り、歯を磨くなど、身支度を整えた。

どこへ行っても電話が圏外

それにしても、与路島に来てから携帯の電波が入らず、請島でお世話になる予定の知人の友人に連絡が取れず困っていた。
そこで、民宿の電話をお借りする事にした。事情を説明すると、「今は豚の世話からちょうど戻った頃じゃない?」という返事が返ってきた。隣島の人も含めて、近隣の人はみな知り合いという事のようだ。民宿からの電話は繋がらなかったけど、今度は息子さんの携帯電話から民宿に電話があり、折り返しが息子さんの携帯電話にかかってきた旨のご連絡を頂いた。
ついでに、港にいた息子さんから「面白いおじさんがいるから港においで〜」と言われ、港に向かった。

過疎の最先端。40代のおじさんの同級生が5人だった話など

港に行くと、息子さんの船の掃除を手伝っていたという面白いおじさんは、掃除のお礼のビールを片手にいい気分になっていた。

自分もビールを1缶もらい、しばし談話。

息子さん(41歳)、おじさん(45歳)で、幼馴染みだという事(そりゃそうだ)、
息子さんの小中学校の同級生は5人だという事、
今は約80人の人が住んでいるが、昔は1000人ほどの人口を擁していた事(後で民宿のおばさんから、おばさんが加計呂麻島から嫁いで来た際には人口400人台だったと聞く)、
今いる集落の山を挟んで反対側にも集落があった事、
しかしそれは息子さんやおじさんが生まれる前の事で伝え聞いた話だという事、
おじさんはとても優秀で、中卒で難関職の公務員試験に合格した事(酔っぱらいの勢い発言かと思ったけど、本当らしい。)、、、


などを聞く。
"人口減"が既に40年前に始まっていたとは一見驚きの出来事のように思えるけど、
それは"都市部への流出"と言えるものだろう。時代的に。今もそうだろうけど。。
"過疎化"という点では(語弊を恐れずに言うなら)最先端だと思った。


それから、息子さんと民宿に戻ってお昼御飯を食べた。
お昼は焼きそばで、量も普通だった。つまり、夜や朝ほど多くなかった。加減して下さったのか、いつもお昼は控えめなのかはわからない。
民宿のおばさん、おじさん、息子さん、自分。という、ホームステイ状態だった(勿論いい意味で)。

絶好のBBQスポットでウミガメの足跡を見る

お昼御飯を食べ終えてから、息子さんの軽トラで先出の桟橋に出かけた。
民宿がある集落の裏手には田圃があり、それからすぐに山に入る。草木が元気の盛りの時期だ。道幅は1車両分しかなく、離合はまず出来ないので、もし対向車に出くわしたら、どちらかがバックしなければならないそうだが、まず対向車に出くわす事がないそう。山道は険しいけど、山は割とすぐに越えられた。


坂を下るとすぐに浜があり、道は桟橋へと続いていた。
ここは緊急用の桟橋で、集落側の桟橋が時化などで使えない時に使うそう。
その他の使い道としては、ここでバーベキューをするのが最高なのだそう。いいなぁ。
ここでウミガメの足跡や産卵の跡の事を教えてもらった。ウミガメの進路は海中から浜のアダンの根の元までをブルドーザーのように残しており、アダンの根の元まで来たところにある砂山の下に卵が埋まっているそう。
卵は1.5メートルほど掘った穴の底に埋まっているそうなので、掘り起こして実物を見てみたい気持ちになったが、それは大変だ。
昔はウミガメを食べており、ウミガメが海から上陸して、産卵を終えたタイミングで殺すと、亀と卵の両方が食べれるという事や、卵がすごく美味しいという事を教えてもらった。
アダンの根の元では、民宿で見つけてびっくりしたサイズのヤドカリがいっぱいいた。
ヤドカリは熟れて落ちたアダンの実に集っていた。アダンの実は人間は食べないそうだけど、ヤドカリは大好きなようで、木に登って食べているものもいた。
夕方は一面の水平線に沈みゆく夕日が見れるそうで、夕日また連れて来てくれると言って頂き、ここを後にした。

海の恵みでアートを作るおじさん

それから集落に戻り、午前中のおじさんとは別の、"面白いおじさん"の家に連れて行ってもらった。

こちらのおじさんは、浜に流れ着いたゴミで色んなオブジェを作っており、戦史や琉球史が好きなようで、色々お話を聞かされた。
おじさんが履いていたサンダルも、海で拾ったものだという。
先程の浜でも色々なところから流れ着いたゴミが気になったのだけど、奄美の信仰に「海の向こうから色々な恵みが流れ着く」というものがあった事を思い出した。
海は外から色々な"もの"が流れ着く場所で、それが"ゴミ"と思うかどうかだ。今ほどに"もの"がなかった時代、よその"もの"が珍しかった時代があったのだ、という事を思い起こした。

ほとんどジャングルクルーズ・レベル1

それから、今度は集落の南外れの山道に連れて行って下さった。

GoogleMap上で島内の簡単な道順は認識にあったけど、地図を出ているような道が、まさか舗装されていない道だとは思わず、びっくりした。テレビなんかで見る、がっくんがっくんさせながらジャングルを車で行く、というやつだった。
これでも整備したてな方だそうだ。言われてみれば、確かに土が慣らされている。
ジャングルを抜けると、浜があった。家は全くない浜だけど、ここで奇跡的に携帯電話の電波が入り、色んな人から着信やメールが届いていた事を知り、片っ端から連絡した。
↓帰り道に見えた集落が一望出来る場所。今は鉄塔が建っているが、以前はここに秘密基地ノリでピクニックスポットを設けて、ここから暇をしている人影を見つけては、お誘いの電話をかけていたそう。島の情報網はインターネットよりも早い。。

加計呂麻島までドライブへ

それから、古仁屋に帰るという工事業者さんを加計呂麻島に送る仕事がある、という事で、港に戻った。与路島から古仁屋までは加計呂麻島の外海を回って行かなければいけないが、

与路島〜加計呂麻島の南側に上陸〜陸路で加計呂麻島の北側へ〜古仁屋
という裏技があるらしい。
「加計呂麻島までドライブに行くかい?」と言って、船に乗せてくれた。

オススメされるままに、船の先へ。ビールまでもらう。

加計呂麻島が見えてきたと同時に、人が立ち入れないような絶壁にヤギがうようよいるのが見えた。ここはヤギにとって住み良いところなのか?
それからやや大きめの集落が見えてきた。地図で確認すると、どうやらいつも福岡でお世話になっている加計呂麻島のTさんの出身集落だという事がわかった。
加計呂麻島には一瞬、桟橋にだけ上陸して、船は与路島へと向かった。
帰る途中でハミヤ島沖で少し停泊してくれた。
ハミヤ島にヤギの影が見えた。今にハミヤ島には雌のヤギが2頭いるそうだという事を教えてもらった。これは調査して得られた情報ではなく、"普段通る時に見てるから知っている"そうだ。

水平線に沈む夕日を見に桟橋へ

与路島に着く頃にはいい時間になっていて、再び集落の反対側の桟橋に連れて行って下さった。

水平線の先には遠くで操業する大型船の影や、もっと近くでは、ウミガメが海中からひょこっと頭を出す瞬間が何度か見られた。恐竜みたいだった。
日が沈んでからの空がきれいだ、という事で、夕日が沈んでからもしばらく景色を眺め続けた。
夕日を見ていたら、息子さんの携帯電話に電話がかかってきた。どうやら民宿のおばさんかららしく、「山の上から見た方がきれいじゃない?」と伝えてきたそうだ。
息子さんは「どっちから見るのが好きかは人それぞれじゃない?」といいつつ、山の上からも景色を見に行った。

珍植物のサガリバナを見物

日が暮れて民宿に戻ると、入り口にサガリバナが咲いていた。

サガリバナは夜に咲いて朝に散る花で、この時期しか見られないそう。こんな珍しいものを偶然見る事になるとは。
独特の甘い匂いがした。
この日も晩御飯がたくさん出たけど、最後の食事だから頑張って全部食べた。
1日お世話になった息子さんは、シャワーを浴びたらさっさと近所の人の家に飲みに行った。

ーーー3日目ーーー

奄美の朝

朝起きて早速サガリバナを見に行ったら、こんな事になっていた。

本当に散っていた。
朝は7:00発の船に乗るので、朝食は頂かず、お茶とお茶請けを頂いた。お茶請けは苦瓜と豚肉の島味噌漬けという、また何ともこちららしいものだった。
宿泊代の支払いを済ませて、港に向かった。



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『フェリーせとなみ』に乗船

奄美大島・古仁屋港から請島を通って与路島へ向かう船に乗り込んで、まず目に入ったのが、山積みの生活物資と乗客(主に後期高齢者)たちだった。

生活物資の数々には個人名がわかりやすく大きく書かれているものが多く、ここでは番地よりも個人名の方が融通が利くのだろう、と察する事が出来る。

乗船客の服装は、よそ行きとまではいかないけれど、決してラフまではいかない様相だった。

船は、14:30に古仁屋を出て、請阿室(請島)、池地(請島)、与路(与路島)の西から順に停泊していくのだけど、何故だか加計呂麻島を東から回って、与路島や請島の池地集落を通り越して、請阿室に向かった。潮の調子なのだろうか?内陸の平野で育ったので、海の事はさっぱりわからない。
船内では池地に帰るというおじいさんから、窓の外に何かが見える度に、「あれは〇〇」といった具合に色々な事を教えてもらった。と言っても、殆どが無人島か集落の名称なのだけど。
無人島も岬も何もかも、どれも同じように見えるのだけど、それが日常生活の場となれば、いつの昔からか土地に名称が与えられて、それぞれを把握しているものなんだなぁ。と思った。

まさかの、船が故障

明後日に向かう予定の請島・請阿室港に停泊したところで、船が動かなくなった。

最初はすぐにどうにかなるだろう。と思ったけど、思いの他どうにもならず、1時間経ったか経たないかした頃に、池地で降りる人達は陸路で向かう事になり、池地からお迎えに来た車に乗り込んでいった。
与路へと向かう人は自分を含めて3人で、代替えの海上タクシーを待つ事になった。
待ちながら、海がきれいだなー。と思う。
海上タクシーが迎えに来たのは、17:00過ぎだった。
海上タクシーが到着すると、まずは与路島へ届ける大量の荷物を積み込まれた。これを少々手伝い、ようやくの出発となった。
乗船したのは、故障した船の船員さん3人と、帽子を被り、スラックスにベルトというよそ行きの格好をした地元のおじさん、部活の練習着らしき服装の高校生くらいの女の子だった。
よそ者が珍しいのか、おじさんにはよく話をかけられた。おじさんに「あれはハミャ島というテレビのロケがあった無人島だから、写真を撮りなさい。」と言われて撮った写真がこれ↓
ハミャ島のことは、先程の池地のおじさんにも聞いたばかりだった。

2時間遅れで与路島に到着

与路の港には、5〜6人の人達が待ち構えていた。大事な荷物が沢山届くから、それなりの人手が必要なんだろう。

ネットで検索して見た、標準語を連想させる響きなど全くない方言で「ようこそ」を意図する文字が与路の港の建物が、すぐそこに見えた。
16:10に到着の予定だったけど、すっかり18:00前になっていた。
予約していた民宿のおばさんも、港で待っていた。自分がどんな様相で、どんな出で立ちで来るのかは伝えていなかったけれど、よそ者は一目でわかるんだろう、迷わず自分に声をかけてくださった。
防砂林の切れ目が島内唯一の集落の入り口であり、乗ってきた自転車を押して民宿へ向かうおばさんの後ろをついて歩いた。
今までの経験上、小さな離島の民宿は港まで迎えに来てくれるところが殆どで、また、距離に関係なく車で来て下さるところが殆どだったけど、おばさんは自転車だった。
たまたま車がないタイミングだったのかも知れないけど、民宿は港から激近だった。
民宿の入り口の塀の上には夜光貝の貝殻が並び、七夕飾りが立てられていた。

民宿がほぼホームステイ

まず居間に通されて、コーヒーとお茶菓子を頂いた。月桃に包まれたお餅と、黒糖が混ざっているのか?焦茶色の菊の形をした乾菓子は、このタイミングでここに来たからだろうか?地域と季節を同時に感じられるものだった。お腹いっぱいになる内容だった。

それにしても、家族の写真と親戚・近隣の人の電話番号表が壁の面積の殆どを占めるこの空間は、民宿の居間というよりも、まるで一般家庭の居間だった。
テレビの横のiPadで次々と表示される名瀬に住んでいるというお孫さんが、とびきり可愛いかった。船の中で一緒だった女の子といい、奄美には普段では見ないようようなボリューム満点の睫毛の人が多い印象。
コーヒーとお菓子を平らげたところで、「さ、晩御飯作ろうかね。」と言って、おばさんは台所に向かった。
おばさんが台所で料理をしている間、居間の写真や家族が取材された新聞記事を見たり、一通り居間にあるものに目が通ると、勝手口から外に出てみたり。
勝手口を出ると、まずきれいな猫ちゃんに遭遇した。実家の白猫よりもきれいだし、きっと飼い猫だろう、触らせてくれるだろう、と思われたけど、触らせてくれなかった。民宿のおじさんにしかなついていない、野良猫だそう。
それから少し先に目をやると、びっくりするくらいでかいヤドカリがいた!でかすぎてびっくりしたけど、このくらいのヤドカリはここにはゴロゴロいる事を翌日知る。
猫ちゃんの気を惹こうとヤドカリを目の前に持ってきたけど、ちょっと興味を示してくれただけで、やはり触れなかった。
それから庭の奥に行くと犬がいて、その後ろには3頭の牛を囲う小さな牛舎があった。
犬は繋がれていて、はち切れんばかりに尻尾を振ってこちらに興味を示してくれたけど、食事前なので触らないでおいた。

豪華な食事と庶民的なお風呂

晩御飯は、民宿のおじさん、おばさんと、前出の居間で3人で食べた。コーヒーを飲みながらお刺身が食べれない旨を伝えたら、お刺身を揚げて下さっていた。

すごく豪華な内容で、立派過ぎて全部食べれなかったので、一部を明日の朝御飯に回してもらった。
↓これに、御飯とあおさ?のお吸い物つき。
お風呂は、建替え前の母方の実家を思い出すような作りだった。
お風呂を頂いて、お部屋に置いてあった観光本などをぱらぱらと見て、この日は就寝した。
ごろんと寝そべって見上げた天井は、ホームステイ感満載(勿論いい意味で)。

ーーー2日目---

与路島の風土を垣間見る

昨晩、何時に朝食をとるか尋ねられた際に、ゆっくりしたいけど遅すぎても迷惑だろうと考え、8:00にお願いしておいた。

そうして目覚ましをかけずに就寝したのだけど、7:00前には自然と目が覚めた。目覚めはすっきりだった。いつもなら目覚ましをかけてないと10:00前まで寝てしまい、目が覚めても小一時間は床から出られないのに、だ。健康的だ。
朝食まで時間があるので、散歩に出かけた。
昨日は夕方から曇り出した所為もあるけど、与路に到着してすぐに民宿に向かい、それから民宿の敷地内にしかいなかったから、ここでようやく与路島の一番の特徴だと謳われている昔ながらのサンゴの石垣が日常にある風景を目の当たりにした。ハブ撃退用の棒(その名も「ハブ棒」。そのまんま。)もたくさん見た。


それから、ヤギを飼育している風景も。ヤギは野生のものもたくさんいて、昨日船の中から池地のおじさんに「あそこに野生のヤギがいる」と指を指された先にヤギを見た時はとても珍しいものを見た気持ちになったけど、ヤギは野生にも家庭にもたくさんいた。
空家も少なからずあり、半壊している部分から見えた室内には、親戚の連絡先が大きく壁に貼ってある様子が伺えた。
血縁を大切にする土地柄を感じると同時に、東京の地名が多い事と朽ちた家屋の様相に、虚しさも感じた。

戻って来てから、「今だ。」と思い、宿泊している室内の写真を撮った。

昨晩、部屋に踏み入れた瞬間に、亜熱帯の生活感が滲んだ室内に感激したんだけど、暗くてまともに写真に写ってくれなかったのだった。
左の壁に貼ってあるのは、お孫さんの名前。
部屋の窓にはテラスがあり、屋根があるところが、シンガポールで泊まったゲストハウスを思い出した。
それから、居間で朝食を頂いた。
通常の朝食+昨晩の残りがあるので、朝からお腹いっぱいになる量だった。
朝食を食べながら、民宿のおばさんが「今日は古仁屋で海上タクシーの仕事をしている息子が来るから〜」とお話していて、ふーん、と思った矢先に息子さんが居間に入ってきて驚いた。こんな朝っぱらではなく、お昼か午後か、もっと後になって来るのかと思ったからだ。
息子さん曰く、昨日ウミガメの産卵があったそうだ。来る時に浜を見てわかったらしい。ウミガメはTVの中の生き物だと思っていたし、"浜を見てわかる"というのがピンと来ず、まだまだ自分が知らない事は沢山あるんだ、と思った。


息子さんが居間の窓際で朝食を食べはじめると、昨日の猫ちゃんがみゃーみゃーとしきりに鳴いて餌をねだり出した。座っていた位置からは姿は見えなかったが、鳴き声は大音量で聞こえた。
息子さんは猫ちゃんにおこぼれをあげながら朝食を食べ、おばさんは「今日は姉ちゃん(自分のこと)の食べ残しもあるからねー」と声をかけていた。名前はミーちゃんらしい、という事を知る。
朝食を食べ終えたら、早速、食べ残した手羽先の皮の部分をあげに勝手口に向かった。皮は食べるけど、やはり触らせてくれない。掌に皮を乗せると、体は警戒しつつもしっかりと首を伸ばして皮をかじり、かじり取ったらさっと首を引っ込めて食べていた。
息子さんは「あとで島の反対側の桟橋に行こう。」と言い、どこかに行った。自分も部屋に戻り、歯を磨くなど、身支度を整えた。

どこへ行っても電話が圏外

それにしても、与路島に来てから携帯の電波が入らず、請島でお世話になる予定の知人の友人に連絡が取れず困っていた。
そこで、民宿の電話をお借りする事にした。事情を説明すると、「今は豚の世話からちょうど戻った頃じゃない?」という返事が返ってきた。隣島の人も含めて、近隣の人はみな知り合いという事のようだ。民宿からの電話は繋がらなかったけど、今度は息子さんの携帯電話から民宿に電話があり、折り返しが息子さんの携帯電話にかかってきた旨のご連絡を頂いた。
ついでに、港にいた息子さんから「面白いおじさんがいるから港においで〜」と言われ、港に向かった。

過疎の最先端。40代のおじさんの同級生が5人だった話など

港に行くと、息子さんの船の掃除を手伝っていたという面白いおじさんは、掃除のお礼のビールを片手にいい気分になっていた。

自分もビールを1缶もらい、しばし談話。

息子さん(41歳)、おじさん(45歳)で、幼馴染みだという事(そりゃそうだ)、
息子さんの小中学校の同級生は5人だという事、
今は約80人の人が住んでいるが、昔は1000人ほどの人口を擁していた事(後で民宿のおばさんから、おばさんが加計呂麻島から嫁いで来た際には人口400人台だったと聞く)、
今いる集落の山を挟んで反対側にも集落があった事、
しかしそれは息子さんやおじさんが生まれる前の事で伝え聞いた話だという事、
おじさんはとても優秀で、中卒で難関職の公務員試験に合格した事(酔っぱらいの勢い発言かと思ったけど、本当らしい。)、、、


などを聞く。
"人口減"が既に40年前に始まっていたとは一見驚きの出来事のように思えるけど、
それは"都市部への流出"と言えるものだろう。時代的に。今もそうだろうけど。。
"過疎化"という点では(語弊を恐れずに言うなら)最先端だと思った。


それから、息子さんと民宿に戻ってお昼御飯を食べた。
お昼は焼きそばで、量も普通だった。つまり、夜や朝ほど多くなかった。加減して下さったのか、いつもお昼は控えめなのかはわからない。
民宿のおばさん、おじさん、息子さん、自分。という、ホームステイ状態だった(勿論いい意味で)。

絶好のBBQスポットでウミガメの足跡を見る

お昼御飯を食べ終えてから、息子さんの軽トラで先出の桟橋に出かけた。
民宿がある集落の裏手には田圃があり、それからすぐに山に入る。草木が元気の盛りの時期だ。道幅は1車両分しかなく、離合はまず出来ないので、もし対向車に出くわしたら、どちらかがバックしなければならないそうだが、まず対向車に出くわす事がないそう。山道は険しいけど、山は割とすぐに越えられた。


坂を下るとすぐに浜があり、道は桟橋へと続いていた。
ここは緊急用の桟橋で、集落側の桟橋が時化などで使えない時に使うそう。
その他の使い道としては、ここでバーベキューをするのが最高なのだそう。いいなぁ。
ここでウミガメの足跡や産卵の跡の事を教えてもらった。ウミガメの進路は海中から浜のアダンの根の元までをブルドーザーのように残しており、アダンの根の元まで来たところにある砂山の下に卵が埋まっているそう。
卵は1.5メートルほど掘った穴の底に埋まっているそうなので、掘り起こして実物を見てみたい気持ちになったが、それは大変だ。
昔はウミガメを食べており、ウミガメが海から上陸して、産卵を終えたタイミングで殺すと、亀と卵の両方が食べれるという事や、卵がすごく美味しいという事を教えてもらった。
アダンの根の元では、民宿で見つけてびっくりしたサイズのヤドカリがいっぱいいた。
ヤドカリは熟れて落ちたアダンの実に集っていた。アダンの実は人間は食べないそうだけど、ヤドカリは大好きなようで、木に登って食べているものもいた。
夕方は一面の水平線に沈みゆく夕日が見れるそうで、夕日また連れて来てくれると言って頂き、ここを後にした。

海の恵みでアートを作るおじさん

それから集落に戻り、午前中のおじさんとは別の、"面白いおじさん"の家に連れて行ってもらった。

こちらのおじさんは、浜に流れ着いたゴミで色んなオブジェを作っており、戦史や琉球史が好きなようで、色々お話を聞かされた。
おじさんが履いていたサンダルも、海で拾ったものだという。
先程の浜でも色々なところから流れ着いたゴミが気になったのだけど、奄美の信仰に「海の向こうから色々な恵みが流れ着く」というものがあった事を思い出した。
海は外から色々な"もの"が流れ着く場所で、それが"ゴミ"と思うかどうかだ。今ほどに"もの"がなかった時代、よその"もの"が珍しかった時代があったのだ、という事を思い起こした。

ほとんどジャングルクルーズ・レベル1

それから、今度は集落の南外れの山道に連れて行って下さった。

GoogleMap上で島内の簡単な道順は認識にあったけど、地図を出ているような道が、まさか舗装されていない道だとは思わず、びっくりした。テレビなんかで見る、がっくんがっくんさせながらジャングルを車で行く、というやつだった。
これでも整備したてな方だそうだ。言われてみれば、確かに土が慣らされている。
ジャングルを抜けると、浜があった。家は全くない浜だけど、ここで奇跡的に携帯電話の電波が入り、色んな人から着信やメールが届いていた事を知り、片っ端から連絡した。
↓帰り道に見えた集落が一望出来る場所。今は鉄塔が建っているが、以前はここに秘密基地ノリでピクニックスポットを設けて、ここから暇をしている人影を見つけては、お誘いの電話をかけていたそう。島の情報網はインターネットよりも早い。。

加計呂麻島までドライブへ

それから、古仁屋に帰るという工事業者さんを加計呂麻島に送る仕事がある、という事で、港に戻った。与路島から古仁屋までは加計呂麻島の外海を回って行かなければいけないが、

与路島〜加計呂麻島の南側に上陸〜陸路で加計呂麻島の北側へ〜古仁屋
という裏技があるらしい。
「加計呂麻島までドライブに行くかい?」と言って、船に乗せてくれた。

オススメされるままに、船の先へ。ビールまでもらう。

加計呂麻島が見えてきたと同時に、人が立ち入れないような絶壁にヤギがうようよいるのが見えた。ここはヤギにとって住み良いところなのか?
それからやや大きめの集落が見えてきた。地図で確認すると、どうやらいつも福岡でお世話になっている加計呂麻島のTさんの出身集落だという事がわかった。
加計呂麻島には一瞬、桟橋にだけ上陸して、船は与路島へと向かった。
帰る途中でハミヤ島沖で少し停泊してくれた。
ハミヤ島にヤギの影が見えた。今にハミヤ島には雌のヤギが2頭いるそうだという事を教えてもらった。これは調査して得られた情報ではなく、"普段通る時に見てるから知っている"そうだ。

水平線に沈む夕日を見に桟橋へ

与路島に着く頃にはいい時間になっていて、再び集落の反対側の桟橋に連れて行って下さった。

水平線の先には遠くで操業する大型船の影や、もっと近くでは、ウミガメが海中からひょこっと頭を出す瞬間が何度か見られた。恐竜みたいだった。
日が沈んでからの空がきれいだ、という事で、夕日が沈んでからもしばらく景色を眺め続けた。
夕日を見ていたら、息子さんの携帯電話に電話がかかってきた。どうやら民宿のおばさんかららしく、「山の上から見た方がきれいじゃない?」と伝えてきたそうだ。
息子さんは「どっちから見るのが好きかは人それぞれじゃない?」といいつつ、山の上からも景色を見に行った。

珍植物のサガリバナを見物

日が暮れて民宿に戻ると、入り口にサガリバナが咲いていた。

サガリバナは夜に咲いて朝に散る花で、この時期しか見られないそう。こんな珍しいものを偶然見る事になるとは。
独特の甘い匂いがした。
この日も晩御飯がたくさん出たけど、最後の食事だから頑張って全部食べた。
1日お世話になった息子さんは、シャワーを浴びたらさっさと近所の人の家に飲みに行った。

ーーー3日目ーーー

奄美の朝

朝起きて早速サガリバナを見に行ったら、こんな事になっていた。

本当に散っていた。
朝は7:00発の船に乗るので、朝食は頂かず、お茶とお茶請けを頂いた。お茶請けは苦瓜と豚肉の島味噌漬けという、また何ともこちららしいものだった。
宿泊料のお支払いを済ませて、港に向かった。



via 旅行の忘備録
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『フェリーせとなみ』に乗船

奄美大島・古仁屋港から請島を通って与路島へ向かう船に乗り込んで、まず目に入ったのが、山積みの生活物資と乗客(主に後期高齢者)たちだった。

生活物資の数々には個人名がわかりやすく大きく書かれているものが多く、ここでは番地よりも個人名の方が融通が利くのだろう、と察する事が出来る。

乗船客の服装は、よそ行きとまではいかないけれど、決してラフまではいかない様相だった。

船は、14:30に古仁屋を出て、請阿室(請島)、池地(請島)、与路(与路島)の西から順に停泊していくのだけど、何故だか加計呂麻島を東から回って、与路島や請島の池地集落を通り越して、請阿室に向かった。潮の調子なのだろうか?内陸の平野で育ったので、海の事はさっぱりわからない。
船内では池地に帰るというおじいさんから、窓の外に何かが見える度に、「あれは〇〇」といった具合に色々な事を教えてもらった。と言っても、殆どが無人島か集落の名称なのだけど。
無人島も岬も何もかも、どれも同じように見えるのだけど、それが日常生活の場となれば、いつの昔からか土地に名称が与えられて、それぞれを把握しているものなんだなぁ。と思った。

まさかの、船が故障

明後日に向かう予定の請島・請阿室港に停泊したところで、船が動かなくなった。

最初はすぐにどうにかなるだろう。と思ったけど、思いの他どうにもならず、1時間経ったか経たないかした頃に、池地で降りる人達は陸路で向かう事になり、池地からお迎えに来た車に乗り込んでいった。
与路へと向かう人は自分を含めて3人で、代替えの海上タクシーを待つ事になった。
待ちながら、海がきれいだなー。と思う。
海上タクシーが迎えに来たのは、17:00過ぎだった。
海上タクシーが到着すると、まずは与路島へ届ける大量の荷物を積み込まれた。これを少々手伝い、ようやくの出発となった。
乗船したのは、故障した船の船員さん3人と、帽子を被り、スラックスにベルトというよそ行きの格好をした地元のおじさん、部活の練習着らしき服装の高校生くらいの女の子だった。
よそ者が珍しいのか、おじさんにはよく話をかけられた。おじさんに「あれはハミャ島というテレビのロケがあった無人島だから、写真を撮りなさい。」と言われて撮った写真がこれ↓
ハミャ島のことは、先程の池地のおじさんにも聞いたばかりだった。

2時間遅れで与路島に到着

与路の港には、5〜6人の人達が待ち構えていた。大事な荷物が沢山届くから、それなりの人手が必要なんだろう。

ネットで検索して見た、標準語を連想させる響きなど全くない方言で「ようこそ」を意図する文字が与路の港の建物が、すぐそこに見えた。
16:10に到着の予定だったけど、すっかり18:00前になっていた。
予約していた民宿のおばさんも、港で待っていた。自分がどんな様相で、どんな出で立ちで来るのかは伝えていなかったけれど、よそ者は一目でわかるんだろう、迷わず自分に声をかけてくださった。
防砂林の切れ目が島内唯一の集落の入り口であり、乗ってきた自転車を押して民宿へ向かうおばさんの後ろをついて歩いた。
今までの経験上、小さな離島の民宿は港まで迎えに来てくれるところが殆どで、また、距離に関係なく車で来て下さるところが殆どだったけど、おばさんは自転車だった。
たまたま車がないタイミングだったのかも知れないけど、民宿は港から激近だった。
民宿の入り口の塀の上には夜光貝の貝殻が並び、七夕飾りが立てられていた。

民宿がほぼホームステイ

まず居間に通されて、コーヒーとお茶菓子を頂いた。月桃に包まれたお餅と、黒糖が混ざっているのか?焦茶色の菊の形をした乾菓子は、このタイミングでここに来たからだろうか?地域と季節を同時に感じられるものだった。お腹いっぱいになる内容だった。

それにしても、家族の写真と親戚・近隣の人の電話番号表が壁の面積の殆どを占めるこの空間は、民宿の居間というよりも、まるで一般家庭の居間だった。
テレビの横のiPadで次々と表示される名瀬に住んでいるというお孫さんが、とびきり可愛いかった。船の中で一緒だった女の子といい、奄美には普段では見ないようようなボリューム満点の睫毛の人が多い印象。
コーヒーとお菓子を平らげたところで、「さ、晩御飯作ろうかね。」と言って、おばさんは台所に向かった。
おばさんが台所で料理をしている間、居間の写真や家族が取材された新聞記事を見たり、一通り居間にあるものに目が通ると、勝手口から外に出てみたり。
勝手口を出ると、まずきれいな猫ちゃんに遭遇した。実家の白猫よりもきれいだし、きっと飼い猫だろう、触らせてくれるだろう、と思われたけど、触らせてくれなかった。民宿のおじさんにしかなついていない、野良猫だそう。
それから少し先に目をやると、びっくりするくらいでかいヤドカリがいた!でかすぎてびっくりしたけど、このくらいのヤドカリはここにはゴロゴロいる事を翌日知る。
猫ちゃんの気を惹こうとヤドカリを目の前に持ってきたけど、ちょっと興味を示してくれただけで、やはり触れなかった。
それから庭の奥に行くと犬がいて、その後ろには3頭の牛を囲う小さな牛舎があった。
犬は繋がれていて、はち切れんばかりに尻尾を振ってこちらに興味を示してくれたけど、食事前なので触らないでおいた。

豪華な食事と庶民的なお風呂

晩御飯は、民宿のおじさん、おばさんと、前出の居間で3人で食べた。コーヒーを飲みながらお刺身が食べれない旨を伝えたら、お刺身を揚げて下さっていた。

すごく豪華な内容で、立派過ぎて全部食べれなかったので、一部を明日の朝御飯に回してもらった。
↓これに、御飯とあおさ?のお吸い物つき。
お風呂は、建替え前の母方の実家を思い出すような作りだった。
お風呂を頂いて、お部屋に置いてあった観光本などをぱらぱらと見て、この日は就寝した。
ごろんと寝そべって見上げた天井は、ホームステイ感満載(勿論いい意味で)。

ーーー2日目---

与路島の風土を垣間見る

昨晩、何時に朝食をとるか尋ねられた際に、ゆっくりしたいけど遅すぎても迷惑だろうと考え、8:00にお願いしておいた。

そうして目覚ましをかけずに就寝したのだけど、7:00前には自然と目が覚めた。目覚めはすっきりだった。いつもなら目覚ましをかけてないと10:00前まで寝てしまい、目が覚めても小一時間は床から出られないのに、だ。健康的だ。
朝食まで時間があるので、散歩に出かけた。
昨日は夕方から曇り出した所為もあるけど、与路に到着してすぐに民宿に向かい、それから民宿の敷地内にしかいなかったから、ここでようやく与路島の一番の特徴だと謳われている昔ながらのサンゴの石垣が日常にある風景を目の当たりにした。ハブ撃退用の棒(その名も「ハブ棒」。そのまんま。)もたくさん見た。
それから、ヤギを飼育している風景も。ヤギは野生のものもたくさんいて、昨日船の中から池地のおじさんに「あそこに野生のヤギがいる」と指を指された先にヤギを見た時はとても珍しいものを見た気持ちになったけど、ヤギは野生にも家庭にもたくさんいた。
空家も少なからずあり、半壊している部分から見えた室内には、親戚の連絡先が大きく壁に貼ってある様子が伺えた。
血縁を大切にする土地柄を感じると同時に、東京の地名が多い事と朽ちた家屋の様相に、虚しさも感じた。

戻って来てから、「今だ。」と思い、宿泊している室内の写真を撮った。

昨晩、部屋に踏み入れた瞬間に、亜熱帯の生活感が滲んだ室内に感激したんだけど、暗くてまともに写真に写ってくれなかったのだった。
左の壁に貼ってあるのは、お孫さんの名前。
部屋の窓にはテラスがあり、屋根があるところが、シンガポールで泊まったゲストハウスを思い出した。
それから、居間で朝食を頂いた。
通常の朝食+昨晩の残りがあるので、朝からお腹いっぱいになる量だった。
朝食を食べながら、民宿のおばさんが「今日は古仁屋で海上タクシーの仕事をしている息子が来るから〜」とお話していて、ふーん、と思った矢先に息子さんが居間に入ってきて驚いた。こんな朝っぱらではなく、お昼か午後か、もっと後になって来るのかと思ったからだ。
息子さん曰く、昨日ウミガメの産卵があったそうだ。来る時に浜を見てわかったらしい。ウミガメはTVの中の生き物だと思っていたし、"浜を見てわかる"というのがピンと来ず、まだまだ自分が知らない事は沢山あるんだ、と思った。


息子さんが居間の窓際で朝食を食べはじめると、昨日の猫ちゃんがみゃーみゃーとしきりに鳴いて餌をねだり出した。座っていた位置からは姿は見えなかったが、鳴き声は大音量で聞こえた。
息子さんは猫ちゃんにおこぼれをあげながら朝食を食べ、おばさんは「今日は姉ちゃん(自分のこと)の食べ残しもあるからねー」と声をかけていた。名前はミーちゃんらしい、という事を知る。
朝食を食べ終えたら、早速、食べ残した手羽先の皮の部分をあげに勝手口に向かった。皮は食べるけど、やはり触らせてくれない。掌に皮を乗せると、体は警戒しつつもしっかりと首を伸ばして皮をかじり、かじり取ったらさっと首を引っ込めて食べていた。
息子さんは「あとで島の反対側の桟橋に行こう。」と言い、どこかに行った。自分も部屋に戻り、歯を磨くなど、身支度を整えた。

どこへ行っても電話が圏外

それにしても、与路島に来てから携帯の電波が入らず、請島でお世話になる予定の知人の友人に連絡が取れず困っていた。
そこで、民宿の電話をお借りする事にした。事情を説明すると、「今は豚の世話からちょうど戻った頃じゃない?」という返事が返ってきた。隣島の人も含めて、近隣の人はみな知り合いという事のようだ。民宿からの電話は繋がらなかったけど、今度は息子さんの携帯電話から民宿に電話があり、折り返しが息子さんの携帯電話にかかってきた旨のご連絡を頂いた。
ついでに、港にいた息子さんから「面白いおじさんがいるから港においで〜」と言われ、港に向かった。

過疎の最先端。40代のおじさんの同級生が5人だった話など

港に行くと、息子さんの船の掃除を手伝っていたという面白いおじさんは、掃除のお礼のビールを片手にいい気分になっていた。

自分もビールを1缶もらい、しばし談話。

息子さん(41歳)、おじさん(45歳)で、幼馴染みだという事(そりゃそうだ)、
息子さんの小中学校の同級生は5人だという事、
今は約80人の人が住んでいるが、昔は1000人ほどの人口を擁していた事(後で民宿のおばさんから、おばさんが加計呂麻島から嫁いで来た際には人口400人台だったと聞く)、
今いる集落の山を挟んで反対側にも集落があった事、
しかしそれは息子さんやおじさんが生まれる前の事で伝え聞いた話だという事、
おじさんはとても優秀で、中卒で難関職の公務員試験に合格した事(酔っぱらいの勢い発言かと思ったけど、本当らしい。)、、、


などを聞く。
"人口減"が既に40年前に始まっていたとは一見驚きの出来事のように思えるけど、
それは"都市部への流出"と言えるものだろう。時代的に。今もそうだろうけど。。
"過疎化"という点では(語弊を恐れずに言うなら)最先端だと思った。


それから、息子さんと民宿に戻ってお昼御飯を食べた。
お昼は焼きそばで、量も普通だった。つまり、夜や朝ほど多くなかった。加減して下さったのか、いつもお昼は控えめなのかはわからない。
民宿のおばさん、おじさん、息子さん、自分。という、ホームステイ状態だった(勿論いい意味で)。

絶好のBBQスポットでウミガメの足跡を見る

お昼御飯を食べ終えてから、息子さんの軽トラで先出の桟橋に出かけた。
民宿がある集落の裏手には田圃があり、それからすぐに山に入る。草木が元気の盛りの時期だ。道幅は1車両分しかなく、離合はまず出来ないので、もし対向車に出くわしたら、どちらかがバックしなければならないそうだが、まず対向車に出くわす事がないそう。山道は険しいけど、山は割とすぐに越えられた。


坂を下るとすぐに浜があり、道は桟橋へと続いていた。
ここは緊急用の桟橋で、集落側の桟橋が時化などで使えない時に使うそう。
その他の使い道としては、ここでバーベキューをするのが最高なのだそう。いいなぁ。
ここでウミガメの足跡や産卵の跡の事を教えてもらった。ウミガメの進路は海中から浜のアダンの根の元までをブルドーザーのように残しており、アダンの根の元まで来たところにある砂山の下に卵が埋まっているそう。
卵は1.5メートルほど掘った穴の底に埋まっているそうなので、掘り起こして実物を見てみたい気持ちになったが、それは大変だ。
昔はウミガメを食べており、ウミガメが海から上陸して、産卵を終えたタイミングで殺すと、亀と卵の両方が食べれるという事や、卵がすごく美味しいという事を教えてもらった。
アダンの根の元では、民宿で見つけてびっくりしたサイズのヤドカリがいっぱいいた。
ヤドカリは熟れて落ちたアダンの実に集っていた。アダンの実は人間は食べないそうだけど、ヤドカリは大好きなようで、木に登って食べているものもいた。
夕方は一面の水平線に沈みゆく夕日が見れるそうで、夕日また連れて来てくれると言って頂き、ここを後にした。

海の恵みでアートを作るおじさん

それから集落に戻り、午前中のおじさんとは別の、"面白いおじさん"の家に連れて行ってもらった。

こちらのおじさんは、浜に流れ着いたゴミで色んなオブジェを作っており、戦史や琉球史が好きなようで、色々お話を聞かされた。
おじさんが履いていたサンダルも、海で拾ったものだという。
先程の浜でも色々なところから流れ着いたゴミが気になったのだけど、奄美の信仰に「海の向こうから色々な恵みが流れ着く」というものがあった事を思い出した。
海は外から色々な"もの"が流れ着く場所で、それが"ゴミ"と思うかどうかだ。今ほどに"もの"がなかった時代、よその"もの"が珍しかった時代があったのだ、という事を思い起こした。

ほとんどジャングルクルーズ・レベル1

それから、今度は集落の南外れの山道に連れて行って下さった。

GoogleMap上で島内の簡単な道順は認識にあったけど、地図を出ているような道が、まさか舗装されていない道だとは思わず、びっくりした。テレビなんかで見る、がっくんがっくんさせながらジャングルを車で行く、というやつだった。
これでも整備したてな方だそうだ。言われてみれば、確かに土が慣らされている。
ジャングルを抜けると、浜があった。家は全くない浜だけど、ここで奇跡的に携帯電話の電波が入り、色んな人から着信やメールが届いていた事を知り、片っ端から連絡した。
↓帰り道に見えた集落が一望出来る場所。今は鉄塔が建っているが、以前はここに秘密基地ノリでピクニックスポットを設けて、ここから暇をしている人影を見つけては、お誘いの電話をかけていたそう。島の情報網はインターネットよりも早い。。

加計呂麻島までドライブへ

それから、古仁屋に帰るという工事業者さんを加計呂麻島に送る仕事がある、という事で、港に戻った。与路島から古仁屋までは加計呂麻島の外海を回って行かなければいけないが、

与路島〜加計呂麻島の南側に上陸〜陸路で加計呂麻島の北側へ〜古仁屋
という裏技があるらしい。
「加計呂麻島までドライブに行くかい?」と言って、船に乗せてくれた。

オススメされるままに、船の先へ。ビールまでもらう。

加計呂麻島が見えてきたと同時に、人が立ち入れないような絶壁にヤギがうようよいるのが見えた。ここはヤギにとって住み良いところなのか?
それからやや大きめの集落が見えてきた。地図で確認すると、どうやらいつも福岡でお世話になっている加計呂麻島のTさんの出身集落だという事がわかった。
加計呂麻島には一瞬、桟橋にだけ上陸して、船は与路島へと向かった。
帰る途中でハミヤ島沖で少し停泊してくれた。
ハミヤ島にヤギの影が見えた。今にハミヤ島には雌のヤギが2頭いるそうだという事を教えてもらった。これは調査して得られた情報ではなく、"普段通る時に見てるから知っている"そうだ。

水平線に沈む夕日を見に桟橋へ

与路島に着く頃にはいい時間になっていて、再び集落の反対側の桟橋に連れて行って下さった。

水平線の先には遠くで操業する大型船の影や、もっと近くでは、ウミガメが海中からひょこっと頭を出す瞬間が何度か見られた。恐竜みたいだった。
日が沈んでからの空がきれいだ、という事で、夕日が沈んでからもしばらく景色を眺め続けた。
夕日を見ていたら、息子さんの携帯電話に電話がかかってきた。どうやら民宿のおばさんかららしく、「山の上から見た方がきれいじゃない?」と伝えてきたそうだ。
息子さんは「どっちから見るのが好きかは人それぞれじゃない?」といいつつ、山の上からも景色を見に行った。

珍植物のサガリバナを見物

日が暮れて民宿に戻ると、入り口にサガリバナが咲いていた。

サガリバナは夜に咲いて朝に散る花で、この時期しか見られないそう。こんな珍しいものを偶然見る事になるとは。
独特の甘い匂いがした。
この日も晩御飯がたくさん出たけど、最後の食事だから頑張って全部食べた。
1日お世話になった息子さんは、シャワーを浴びたらさっさと近所の人の家に飲みに行った。

ーーー3日目ーーー

奄美の朝

朝起きて早速サガリバナを見に行ったら、こんな事になっていた。

本当に散っていた。
朝は7:00発の船に乗るので、朝食は頂かず、お茶とお茶請けを頂いた。お茶請けは苦瓜と豚肉の島味噌漬けという、また何ともこちららしいものだった。
宿泊料のお支払いを済ませて、港に向かった。



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喜界島~到着

5:00に喜界島を出たフェリーは、2時間後の7:00には奄美大島の名瀬港に到着した。名瀬港には過去2回来たことがあるので、ミーハーな旅行者心理も薄れていて、接岸中は室内で寝て過ごした。

案の定、喜界島から乗り込んできた人たちのほとんどは名瀬で降りて、鹿児島港での乗船時は満員だった客室は、自分一人だけになった。

すっかり日が昇り、晴天の中、フェリーは次の目的地・奄美大島の南端の古仁屋港に向けて出向した。もう寝ている時間ではないので、身支度を整えて、ロビーの机と椅子で持ってきた宿題(仕事)をした。今までと違うのは、左手にずっと奄美大島の緑緑した島影が伝っていることだった。

フェリーが大島海峡に入ると、福岡でいつもお世話になっているTさんの地元で、一昨年訪れて色々と思い出ができた加計呂麻島が見えてちょっとテンションが上がった。

地図で見ると小さいけれど、実物は大きく感じた。結構、長いこと加計呂麻島の島影が続いたからだ。加計呂麻島の外周は、複雑に入り組んだ地形をしているので、加計呂麻島の岬なのか、手前に無人島があるのか、一見よくわからない景色が続いた。

島影を見飽きてきた頃に、Googleマップ上で古仁屋港到着が間近になったので、ミーハーな旅行者心理から、早速荷物をもって、港を見るべくデッキに出た。

9:40に古仁屋港に到着。確認できただけで、古仁屋港で降りた人は自分を含めて3人?ごくごく少ない人数が下船した(名瀬港を出てからごくごく少ない人数しか載っていなかったけど)。何人乗ってきたのかはわからないけれど、下船者よりもっと少ないはず。この先、フェリーは徳之島と沖伊良部島に行くみたいだけど、両島間の行き来は盛んなのか?それともほとんど貨物船状態になるのか?乗っていないからわからない。

加計呂麻島で黒糖を製造するNさんとの再会

フェリーを降りる直前に、一昨年加計呂麻島で通りすがりに製糖の様子を見せて頂いたNさんご夫婦のお砂糖を、請島でお世話になる予定の方の元へ持っていくことを思いついた。何もお土産は全て福岡の物でなければならない事はないのだ、という発想に今更至った。

Nさんのお砂糖は、名瀬にしか売っていないので、帰りに買っていく事は予定に入れていたけれど、古仁屋のお店には売っていないので、ダメ元でNさんに「実は今、古仁屋に来ていて、こういう理由で、直接売ってください」という電話をしたら、旦那さんがすぐに来てくださった。この日は旦那さんは腕の不調から家でゆっくりしており、加計呂麻の畑には奥さん1人で行っている、とのことだった。

古仁屋に寄るのだから、Nさんご夫婦に会いたいという気持ちはあったものの、ちょっと寄るだけなのに予定を調整させてしまうのが悪くて、事前に連絡はしていなかった。

パッケージングされたお砂糖の在庫はほとんど手元になかったそうで、自宅用にかろうじてあったジップロック入りのお砂糖を分けて下さった。

古仁屋を散策

「予定はあるの?」と聞かれたので、「郷土資料館に行ってみたい。」と言ったら、車で連れて行ってくれた。荷物を車に乗せるついでに、持っていた明太子の缶詰を1つNさんに渡した。車ではすぐだけど、歩くとちょっと遠い距離感だったので、とてもありがたかった。その上に、Nさんの解説付きで一緒に回ってくださった。

一部工事をしているブースを通り過ぎて、展示の2/3くらいを見ていたところで、学芸員さんが来て、実はその日は工事のため休館中であったことを知る。残りの展示を速足でまわって撤退。

古仁屋の市街地。家の門に七夕飾りを掲げている家庭が多いことが気になる。Nさんから、七夕飾りの跡に蝋燭を立てて、お盆のお迎えの準備をする、ということを教えてもらう。

こちらではお盆を旧暦(旧暦の7月13-15日/この年は新暦の8月16-18日)で行うことは知っていたけれど、七夕とお盆が連動していることは初めて知った。

市街地で役所の裏のハブが入っているというコンクリート固めの四角い物体を見せてもらう。物体には小さな勝手口風の扉が付けてあるだけで、覗き穴や窓のようなものはなく、中の様子は窺い知れなかったけれど、「チッチッ」という蛇の舌打ち?のような音が聞こえてきた。恐ろしい。。

市街地を抜けて、山道へ突入。

古仁屋の市街地の裏手にある山の上の展望台に連れて行ってくださった。とっっってもいい眺め!天気もよくて最高のタイミング。(たぶん)

歩くたびに尻尾が青光りしているトカゲが大量に脇に逃げていく。こんな奇抜な色のトカゲは初めて見たのだけど、地元ではお馴染みの存在のようだった。

山を下りて、今度は自宅を案内してくださった。1階が駐車場、2階が住居になっており、1階の駐車場に洗濯物に並んで干してあるバナナの房から、1本ちぎって頂いた。自分の普段の生活とは違う日常を見せてもらった気分。まだ黄緑色だけど、十分おいしいということを発見。

それから、2階でジュースを頂きながら、商売のお話しなどを聞いて、ちょっぴりご協力できそうなことがあったので、資料を頂く。

おすすめの昼食どころは「海の駅」とのことだったので、12:00前に海の駅のレストランまで送って頂き、お別れした。去り際に「帰ってラーメン食べよ。」と言っていたのを聞いて、わざわざ港まで送ってくださったこと(Nさんのご自宅から港(海の駅)までは結構近い)、突然来たのに色々と案内して頂いたこともあり、一瞬、「一緒にどうですか?」と言おうかと思ったけど、ひっこめて、そのままの流れでお別れして、一人で昼食を食べた。

日替わり定食は、普通の定食に小さなうどんかそばがついていて、800円だった。すごいコスパ。朝ご飯を食べていなかったから、お昼はたくさん食べなきゃと思っていたので、ちょうどよかったけど、やっぱり一度に量を食べるとお腹いっぱいになった。窓の外には14:00に乗る予定の与路島行きの船が真正面に見えた。

ご飯を食べて、付近のドラッグストアや生協を見物した。やはり本場はシェアが違う。

有人販売と無人販売との間くらいのお店。

壁の板材がすごい。散見する土嚢は一体何なのか?

船の出向の時間が迫ってきたので、港に向かった。


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鹿児島行きの高速バスに乗る

鹿児島港から17:30に出る船に乗るために、9:50天神発のバスに乗って、天文館に降りたのが15:00くらいだったと思う。お盆休みの前ということもあり、渋滞による遅れは予想していたけれど、やはり30分遅れて到着した。

①もし、遅れることがなければ、鹿児島の気になるお店でお昼を食べて、温泉に入って汗を流してから船に乗ろう。

②もし、遅れたら、鹿児島の気になるお店でお昼を食べて、船に乗ってからシャワーを浴びよう。

③もし、だいぶ遅れたら、そのまま船に乗って、売店か食堂で食事をとろう。

到着前にどうやら②になりそうな気配だったので、バスの中でGoogleマップ上でバス停-港間で気になるカフェを探したところ、『旅と食堂kiki』という名前のお店を発見し、「ここだ!」と思い、さっさと目的のお店を決めた。

天文館のイケてるカフェ

お店決定後、目的地に着くまでにお店のSNSやぐるなびなんかをダラダラ見ていたら、これ2週間前に仕事でちらっと鹿児島市内に来た時に、通りすがりにちらっと見えてめっちゃ気になってたお店やん!ということに気付く。野菜たっぷりの定食が朝から夕方まで食べれるということも知り、期待値と空腹感が上昇。

目的のお店のお向かいには、古い建物の砂糖問屋さんがあり、鹿児島らしさを感じる。

お店は八百屋さんを併設しているのか?と思ってしまう前に、『ヤオヤスムージー』という看板を見つけ、別業態なのか?と思いながらお店に入ってみると、店舗の場所は共有で、時間帯や曜日によってオーナー?さんが変わる、要するに別業態ということだった。訪れた時は、ちょうどスムージー屋さんの時間帯だった。

すぐにお腹が空きそうだけど、せっかく来たのだし、好物のパッションフルーツもあるし、パッションフルーツ+キウイ+パイン+トマトのオーダーメイドでスムージーを作ってもらった。これで2食分くらい貧相な食事をしても大丈夫だという貯金をしたつもりで頂いた。チアシードが乗っかていたのは、これからの空腹対策にとてもありがたかった。

お店は相当古い民家を改築したもので、時間帯によってオーナーさんとそれに伴い業態が違うこと、2Fには鹿屋の音響作家さんの仕事場があることなど、とても面白そうなところだった。また来ようと思った。

錦江湾から桜島や開聞岳を見る

お店をあとにして、10分くらい歩いて、途中で桜島行きのフェリー乗り場なんかも見学なんてしながら、奄美行きのフェリー乗り場に向かった。

奄美の名瀬港からのフェリーの利用は過去に2度あったので、慣れたつもりで行ったけど、そういえば鹿児島からフェリーに乗るのははじめてで、ちょっと新鮮な気持ちになった。

フェリーから桜島が見えたり、開聞岳が見える頃には夕日も一緒に見れたり、暗くなるまでデッキで一人キャッキャしてた(気持ち)。

船の食堂

船内に戻ると食堂は既に営業を終了しており、お茶のサーバーはあれど、お茶用のコップが引っ込められていたので、お茶をペットボトルで買ってもいいけど、歯磨きのことなど考えると水分が500mlで足りそうになかったので、昭和な出で立ちの自販機でカップラーメンを買って、食べ終えたカップをコップ代わりに翌朝まで重宝した。

一人暮らしで食事に気を遣っている方でもないけれど、カップラーメンはすごく久しぶりだった。見た目は貧相かもしれないけど、久しぶりだからすごくおいしく感じた。そして罪悪感を感じないのは、スムージーのおかげだった。

ひどく汚いわけではないけど、快適とまでは言えない環境でシャワーを浴びて、就寝した。ぐっすり寝れた。

喜界島は早朝から活発な人の往来がある

翌朝4:30、フェリーが喜界島に着いた。到着を予告するアナウンスで起こされて、いつもならしばらく布団から出ないテンションの中、ミーハーな観光客根性丸出しでデッキに出て、暗い海の中を進む風、のっぺりと現れる喜界島、暗闇の中で唯一の光を灯す港、接岸作業のため慌ただしく動くおじさんたち、下船のためわらわらと集まる人たち、それを迎える人、そして乗り込む人などを、順を追って確認した。

喜界島では大方の人が降りたけど、またたくさんの人たちが乗ってきた。鹿児島-喜界島、喜界島-名瀬間の人の行き来は盛んだということを知った。

鹿児島から乗船して喜界島で降りた人たちと、喜界島から乗船してきた人たちは、手足が長く顔が小さい人が多い印象を受けた。奄美の人はがっしりした体形をしているイメージだったけど、奄美群島それぞれに特徴があるのだということを再確認した。しかし、はっきりした顔立ちは他の奄美群島の人たちと共通していたように思う。

5:00になると、フェリーは喜界島を出て、奄美大島の名瀬に向かった。夜空はだんだんと明るくなり、喜界島ののっぺりした地形が徐々に露わになっていった。海のあちらを見れば朝日、そちらを見れば夜、という光景に、「大自然」を通り越して、「地球やーん!」と思った。


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5月にとある用事で急きょ鹿児島に行くことになり、高速バス代が高いプランしか選択できなかったことと、今後何度かバス代が高い8月の土日に鹿児島に通う見込みがあって、4枚つづりの回数券を購入していた。

だけど、見込みが外れて8月週末の鹿児島通いがなくなってしまい、残り2枚の回数券を8月16日までに使わなければならない状況になった。払い戻しの手数料を考えると、何としても使いたい!

そんなわけで、回数券消化のために以下のプランを考えた。

①鹿児島旅行。でも既にいろいろ巡ったことある。

②鹿児島から行けるところ旅行。

 ②-1 喜界島。

    奄美群島の中でもちょっと脇道にそれる位置だから、ピンポイントに行くならここ?

 ②-2 喜界航路のフェリーは奄美大島の南端・古仁屋に行くから、

    そこから与路島・請島は?

 ②-3 三島村。

    でも3島全ては行けないし、どこに行くか迷う。

となれば、②-2の与路島請島で決定だった。共に150未満の人口の島で(と思っていたけど、実際に行くとどちらも人口80人未満ということだった)、昔ながらのサンゴの石垣が今も現役である、という情報に加えて、地理的、交通事情的に秘境感がある。三島村3島を巡るのはちょっときついけど、2島ならじゅうぶん巡れそうだ。と思った。


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