昇華しました。安定路線を生きてきた会計士の戯言 | もしも会計士が財務諸表から離れて世界一周をしたら&その後

もしも会計士が財務諸表から離れて世界一周をしたら&その後

仕事をやめて、世界一周の旅に出たときの記録と、その後の旅行の中で日々感じたことをつづってゆきます。
たまに旅人お役立ち情報があったり、なかったり。

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《5/1/2016》《 360日目》 チリ サンペドロ•デ•アタカマ



アタカマツアーで仲良くなったスイス人マークと仲良くなっていろーーーんな話をしました。

印象に残った話を書き残しときます。パート2。



**



マークはね、小さい頃はいかに学校に行かないかを考えて過ごしてたんだって。

何かを学ぶということは、どこか自分とは違う場所に立っている人間がやることだと思い込んでいたらしい。


あの口ぶりだと、きっとお母さんは相当手を焼いたんだろうな。


義務教育を終えて仕事を転々として、自分で仕事をはじめて、結果がでなかったり、やれるだけやったけど、どこにも行きつけなかったり、単純な人生じゃなかった。

それでも必要と感じたことを学んで、試行錯誤して、無駄があれば改善して、

そうして、悪ガキからは想像のつかない知識豊富で、生きる術も趣味もたくさん持つ大人になった。

聞いていると、自営独身貴族の最終形態のような暮らしをしてた。



もちろん彼みたいな人は一握りなわけで。




安全路線を歩いてきた私が、安定を求めた人生はつらまないと思っていたと言ったら、



安全じゃない人生だって必ずしも楽しいわけじゃない、とマークは言った。


楽しくもなく、安定もなく、悲惨さしかない、そんな人をたくさん知ってるとマークは言った。



*****




ブログタイトルにもある通り、私は会計士という資格を持ってます。

公認会計士というやつで、国家資格の一つです。

企業の決算書チェックしたり、作ったり、税務申告したり、節税考えたり、会計やら内部統制やらコンサルしたり、企業買収のお手伝いしたり、色んなことしてる人がいます。

私は決算書のチェックをする監査人というものをやってました。


高校の頃にひょんなことから簿記を習い始めて、
大学でもそれが続いて、その延長で会計士の資格勉強を始めて、
学生現役合格を目指すも逃し、卒業一年後に合格しました。


ちなみに大学付属の高校に行ったのでセンター試験も知らないし、会計士の就活は基本面接とちょっとした小論文だけなので、SPIもやったことないです。





なんかね


安全路線をトントン(現役合格逃してちょっとだけ停滞したけど)上がってきて、


つまんない人生だなぁ



なんて



贅沢すぎる戯言で胸いっぱいだった時期があるんですよ。



仕事をはじめて3年経った後くらいからですかね。



勉強しなくちゃいけないのにダラけてしまう自分を乗り越えて、
毎日毎日机に文字通りかじりついて、


普通の頭しか持ってない自分が努力で手にした資格だったはずなのに、


浪人中、まだ社会に出てない自分がみじめみじめで働きたくてしょうがなくて、やっと就いた仕事なのに、


いつの間にかその輝きは失われて、


どんな志で、資格を取ろうとしたのかもよくわからなくなった。


あぁ、そういえばお父さんが小さい頃から手に職をつけろと何度も何度も言ってた。


あぁ、親の敷いたレールってこういうやつのことも言うのかな。


と、自分が歩いてきた道が、実は自分のものじゃなかったような、よくわらなくなって、自己肯定感が消え失せてた。


貯金好きな性格と仕事の忙しさもあって増えていく貯金が、時間もお金も生殺しにしてるように思えて、


あぁ、このお金で私は墓石とか買うのかな。って本気で考えてた。


なんか、、病んでましたね(苦笑)




*****



時は流れて、現在住所不定無職旅人でございな私。

浮世を離れて1年がたちました。




今はね、受験も、仕事も、貯金も、頑張って良かったって思うんですよ。



旅に出て、1年も経って、ようやくそんな風に思えるようになったんですよ。



この先自分ひとり食べて行くお金は何とか作れるだろう。


っていう基盤が今の私にはある。
資格と、4年間死ぬ気で働いた経験。


それがなかったら、こんな一年もフラフラ遊び歩くなんて、心配しいな私には不可能だった。


お金だってなかったら旅もできなかった。


あの鬱々とした日々が、やってみたかったことをやってみたっていいじゃんって背中を押してくれた。



資格は万能薬ではないけど、いざというときの術になる。



向き合って頑張ってきたことなら、自分の中に何かが残る。



その事実はずっとそこにあったのに、時間がたって、ようやく私のものになった。



術を身につけても生かす意思のない自分を責めていた、かつての私に、そんなことないよって言ってあげたい。



旅に出て
価値観が変わったというより、
憑き物が落ちたという感覚。






小さい頃から、手に職をと言っていたお父さん。

私に学ぶきっかけと、時間と、資金を与えてくれたお父さん。

受験中も、仕事をはじめてからも、生活を全面的にサポートしてくれたお母さん。


なんか、結婚式の手紙みたいになってしまったけど、


私は学べる環境があって、それはすごく恵まれていて、幸運なことでした。


本当にありがとう。



冒頭の写真は私の母校。


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