戦争で壊された街@ナゴルノカラバフ シューシ | もしも会計士が財務諸表から離れて世界一周をしたら&その後

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仕事をやめて、世界一周の旅に出たときの記録と、その後の旅行の中で日々感じたことをつづってゆきます。
たまに旅人お役立ち情報があったり、なかったり。

《7/12/2015》《106日目》ナゴルノ=カラバフ シューシ


昨日はシューシの滝だけ見て、廃墟をあんまり見られなった。
今日は廃墟リベンジ。

アゼルバイジャンとアルメニアがカラバフの土地を巡って1988年から1992年にかけて争った’ナゴルノカラバフ戦争’。
シューシの街はその時に破壊されて、人の住めない廃墟になった。
今は人が住んでいるけれど、廃墟と化した家がそのまま残されている。

ちょうど私が生まれたの1988年。
ちっとも昔の話じゃない。

カラバフは昔からアルメニア人とアゼルバイジャン人、どちらの土地かで争われてきた場所。
数千年前の先住民が誰だったかまで、話は遡るらしい。

二つの民族が一つの場所に暮らしていて、それを「国」という単位で区切ろうとして
戦争が起こるってなんて悲しいことなんだろうね。

奪ったり奪われたりをずっと繰り返して、
数千年前に先に国を作ったのは自分たちだ!なんて主張したところで、もうわかんないよね・・・。


アルメニア人はキリスト教を信仰し、アゼルバイジャン人はイスラム教を信仰する。
一方、日本は単一国家民族だし、現代日本では宗教もお好きにどうぞというお国柄。
島の領有を巡って中国、韓国、ロシアと問題は抱えているけれど
東京でサラリーマン生活をしていた私にはテレビの中の出来事だった。

アルメニアとアゼルバイジャンはお互いに憎みあっているから、
話を聞いていると仲良くしなよ(´・ω・`)って思ってしまうけど、
そんなに簡単なわけないよね。
時間が、人の心を、街を早く癒していってほしい。


今もトルコがイラクを空爆したり、

シリアだったり、ガザ地区だったり、イエメンだったり、

平和とは言えない地域がたくさんある。


カラバフのことを考えたら、平和ボケができる国に生まれたことを、今一度かみしめた。




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今日は曇天で、気温が低かった。

寂しい風が街に吹いていて、廃墟がより寂しく見えました。




























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宿に戻ると宿の主、ノープロブレム親父が宴会してた。

カラバフの人も飲ませるのが大好き。

ウォッカ何倍飲んだかな。


プロブレム!って言ってるのに、ノープロブレム、ノープロブレムって言って

どんどんついでくる。


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おまけ。



ラチンの公園でみつけた看板。
何だか意味深。

最後まで読んで下さってありがとうございます。




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