プラハは、20年以上前でしょうか、当時現役外交官が書いた『プラハの春』と言う本(後に宝塚でも上演)を読み、絶対にプラハに一度は行くぞと決めました
日本では、革命というものはほとんどなく、明治維新も一部の下級武士達の倒幕から近代化に向けての運動で、一般庶民は殆どさ参加していませんが、ヨーロッパにおける革命は、一般の人々も革命に参加しており、今で言う歴女(今はもう言わないのかも知れませんが)だった私としては、外交官である著者がプラハの春の民主化運動の現場にいたのが、ワクワク・ドキドキとなんとも言えない思いを感じさせ、絶対にカレル橋やヴァーツラフ広場を訪れようと決めていました(笑)
カレル橋
カレル橋から見た旧市街
そして20数年後に願いが叶いプラハを訪問することが出来ました
初めての訪問の際は、長女がウィーンにいた時だったので、次女と2人で日本を出発し、ウィーン経由で先にプラハ入りした長女と待ち合わせをしました。
ところが、日本出発から飛行機が遅れており(オーストリア航空利用)、ウィーンにつく時も乗り換え時間がギリギリだったのでですが、機内アナウンスではプラハ行きは、この飛行機の到着を待っているので大丈夫と言っていたのですが、結局はプラハ行きが欠航… 欠航の理由もインフォメーションもなく、あちこちのインフォメーションカウンターも夕方でもう閉まっており、やっと見つけたカウンターで聞くと、荷物はもう明日の早朝のプラハ行きの便に載せたとの事
ヨーロッパではよくある事とは言え、長女はもうプラハ…
空港隣接のホテルはとってくれていたのですが… 仕方なく長女にプラハのホテルへの伝言を頼み、何も宿泊の用意をしていない私達は、空港のドラッグストア『BIPA』で化粧落としや、化粧水などをドイツ語翻訳を使って(これがなかなか難しい 😂)購入し、なんとか一泊して、早朝プラハへ🛩
次回からは、必ず一泊分は手持ちのバッグに入れることにしました
やっと着いたプラハ
この時は、JTBで飛行機とホテルだけを予約(五つ星ホテルを選んだのに、なぜかこの時は格安で行けましたが、その後はバンと値段がアップ
)
普段は、全て自分で手配していくのですが、この時はJTBを利用して大正解
なぜなら、飛行機の出発遅れが決まった時(成田)にすぐにJTBの担当者から、TELがあり、万が一乗り換えに遅れた際のホテルの手配もお願いした事もあり、殆ど混乱なくウィーンでもスムーズに動け、帰国後はお見舞金もでたので、まいっかと言う感じでした(笑)
プラハ城から見た市街
プラハ空港からは、タクシーを利用しました。
プラハのタクシーは観光客に過剰請求をすることで悪評が高いとの事だったので、定額料金での送迎サービスのタクシー会社を予約しました。空港に着くと私の名前を書いたカードを掲げていたのですぐにわかりました。
また、英語を喋る運転手さんだったので(2回目の時は、英語が苦手だと言う運転手さんでした)
お互いに、そんなに得意ではない英語で喋るのですが、意外に話が弾み、私がスメタナの『モルダヴ』をハミングすると、ますます盛り上がり(笑)
運転手さんも禅ミュージックをよく聴く(禅ミュージックとは何だろうと思いつつも)と日本から来た私たちにサービストークをしてくれました