大泉 潤
大泉 洋=中島久美子
|長女
大泉 洋(おおいずみ よう)
1973年〈昭和48年〉4月3日 -
俳優
タレント
歌手
シンガーソングライター
声優、ナレーター、
司会者、コメディアン
ものまねタレント
映画監督、著作家
演出家、脚本家
作詞家、作曲家
ラジオパーソナリティ、スーツアクター
愛称は、洋ちゃん
所属事務所はCREATIVE OFFICE CUE
業務提携先はアミューズ
所属レコード会社はA-Sketch
演劇ユニット・TEAM NACSのメンバー
音楽ユニット・FAN TANの元メンバー
北海道江別市大麻
同道札幌市南区真駒内出身
北海学園大学経済学部卒業
身長は178 cm
妻は元フジテレビ社員でドラマプロデューサーの中島久美子
実兄は函館市長の大泉潤
北海学園大学在学中に札幌で芸能活動を開始
北海道テレビ(HTB)のバラエティ番組「水曜どうでしょう」
演劇ユニットTEAM NACSの活動が人気を博し全国区となった。
東京進出後は俳優としての活躍が目覚ましく
数多くの映画・テレビドラマなどで主演を務める
演技力も高く評価されており
日本アカデミー賞
ブルーリボン賞など受賞歴も多い
俳優業やバラエティ出演にとどまらず
音楽番組の司会やアニメの声優、歌、
舞台の脚本・演出、エッセイの執筆なども多彩に手がける
経歴
北海道時代
北海道江別市の市立江別総合病院で産まれる
幼少期は同市大麻で過ごし
1980年に江別市立大麻東小学校に入学
小学5年生の時に札幌市南区真駒内へ引っ越し
札幌市立真駒内南小学校に転校
その後、札幌市立真駒内中学校にて
当時の担任から面談で「吉本に行け!」
と言われたことがある
北海道札幌藻岩高等学校を卒業後に2浪
代々木ゼミナール・サテライン予備校で学ぶ
浪人時代は、遊んでばかりだったという
1994年
北海学園大学経済学部経済学科に入学
本来、志望していた大学ではなく
母親から「もう死ぬんじゃないか」と
心配されるほど滅入っており当初は本人も
かなり落ち込んでいたが
「このまま腐った気持ちでいるのはまずい」と奮起し
演劇研究会に入る
そこで森崎博之、安田顕、佐藤重幸(現:戸次重幸)
音尾琢真の4人と仲良くなった
初舞台は同年夏、演劇研究会の道内地方公演での大林先生役
公演当時より独特のキャラクターが
際立っていた5人だったので
研究会で浮いていた。
1996年
大学を卒業する森崎・安田の卒業制作として公演を行うため
1回限りのユニットとして、上記の4人と「TEAM-NACS」
を結成。
森崎・安田の大学卒業と就職を機に解散したが
それぞれ退職し1997年8月に再結成する
1995年には
演劇研究会の先輩である森崎と戸次の薦めで
音尾と共に稲田博が主宰する劇団イナダ組に入団
2004年まで所属した
稲田は「初めて舞台の立ち方を教えてくれた方」として
今でも師とあおいでいる
大学在学中
1995年10月
北海道テレビ(HTB)の深夜番組『モザイクな夜V3』に
2代目「元気くん」として出演し、芸能活動を開始。
これは、初代「元気くん」・田中護の後任を探していた時に
演劇研究会の舞台を見た
劇団OOPARTS(鈴井貴之主宰)
の劇団員に認められ
当時鈴井の妻であった伊藤亜由美がディレクターの杉山順一に
大泉を紹介したことがきっかけであった
「元気くん」は、すすきののニュークラブを取材するというレポーターで
初出演の時には、レポート先で「緊張する人」を演じた
中島 久美子(なかじま くみこ)
1970年3月10日 -
本名:大泉 久美子
日本のテレビプロデューサー
元フジテレビジョン社員
同局で編成制作局ドラマ制作センター(副部長)
広報局で勤務[2]。夫は、俳優・タレントの大泉洋
義兄(洋の兄)は、函館市長の大泉潤。