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おはようございます。


本日から当分の間、午後出勤の流れなので、ブログアップが遅くなります。


今回は、宮城県内を走る、仙石東北ラインと、その仙石線沿線のお話しです。


仙石東北ラインとは、東北本線と仙石線が近くを並走する場所があり、その間で線路を繋ぐ事となり、この名前が付きました。


しかも、この事業は、震災後からとあり、開通したのは、去年の春先です。


この連絡線をつくるには、ある問題があった。


それは、電圧の問題。


この付近を走る東北本線は交流で、それに対し、仙石線は直流と、電圧も全然違う。


特に、震災以降は、電力を大切にする動きがあり、この区間は、非電化となった。


非電化の区間を走るには、ディーゼル車タイプでなければダメですが、今の技術開発はとても素晴らしく、エコハイブリッド車両を導入する事で、問題を解決できた。


この区間専用車両ボディーには、HYBRIDの文字が書かれており、この時私が乗車した車両は、HB-E212-2と言う車両でした。


本来ならば、東北本線から分かれる地点の写真を沢山撮影したかったのですが、私が居た真ん中は、カーテンを閉めされてしまい、仙石線に合流する場所(1枚目の写真)だけ撮影ができました。


写真を見て貰えばお分かりかと思いますが、右側の線路には架線がありますが、左側の連絡線には架線がありません。


また、今回私が乗車する区間は、震災後復旧してから初めて乗車する区間や、以前のルートとは離れてしまった区間も乗車し、旧ルートと新ルートは陸前大塚駅から陸前小野駅迄の区間で、以前より山側にルート変更されている。


陸前大塚駅を過ぎる(2枚目の写真)と、新しく高架橋に向かって走って行きますが、その分岐点の右側には、旧ルートの道床が残っていた。


新しいルートで途中下車したのは、野蒜駅。


この新しい野蒜駅の階段からは、旧野蒜駅周辺(3枚目の写真)が見えます。


写真の真ん中、緑色のフェンス辺りを横に直線に見えるのが、旧野蒜駅のホーム。


新しい野蒜駅周辺はまだ何も出来上がっていなく、駅前には全く何も無い(4枚目の写真)。


改札口から出て、駅舎を撮影しましたが、その写真が5枚目です。


ちなみに、旧ルートの駅と新しいルートの駅を航空写真で案内しているのが6枚目の写真です。


この新しい野蒜駅から旧野蒜駅に向かって歩くには、直線道路がまだ無く、相当回り道をしなければならず、駅員さんに訪ねてみたところ、「旧野蒜駅迄は、直線道路がまだ無いので、歩いて約25分位かかりますよ。しかも、坂道です。」と言われ、諦めかけたその時、目の前に地元のタクシーが到着。


私はすかさず、「旧野蒜駅を往復してください。次の列車は、13時55分発なので、それまでに帰って来たいのです。」と話すと、運転士さんは笑顔で、「はい、大丈夫ですよ。値段もそんなに高く無いので。」と説明してもらった。


車だと5分も掛からずに、旧野蒜駅に到着。


車から降り、目の前に見えたのが、先ほど野蒜駅の階段から見た旧野蒜駅のホーム。


あの震災直後からほとんど手を加えていない状態で残っており(7枚目の写真)、そのホームの仙台駅寄りは8枚目の写真。


旧野蒜駅の駅舎の前には、道路と橋があり、橋の上から見た旧野蒜駅駅舎が9枚目の写真。


今この建物は、ファミリーマートと、観光案内所が併設されており、この建物の右側には、津波到達した高さ、3.7メートルの場所にプレートが設置されている。


その建物右側に入ると見えて来たのが、先にも記載いたしましたが、震災後そのままの状態のホーム。


そちらが10枚目の写真。


一通り入れる場所迄は入りましたが、ホームがある場所には立ち入り禁止となっていた。


ちなみに、ホームの部分が立ち入り禁止になっていた理由は、実はこの旧野蒜駅ホーム、震災遺構としての保存が決定されており、その為に立ち入り禁止となっています。


この様な、当時のままの面影を残す事はとても重要。いつまでもありのままの姿で残って頂けたら幸いです。



私は新しい野蒜駅に戻るつもりでタクシーに戻ったのだが、その時タクシーの運転士さんからある提案を受けました。


それは、「この地域で亡くなった方の名前約500人分が二ヶ所の石碑に刻まれていて、そのうち一ヶ所であれば、次の列車に間に合うので、行ってみませんか?」と言うものであった。


私は、「間に合う範囲内であれば、お願いいたします。」と言い、少し観光する事となった。


次は、その途中の道のりと、亡くなられた方の名前が刻まれている石碑のご紹介を致します。


続く。