「人生80年時代」の到来とともに生活習慣病がふえています。
この生活習慣病を予防するには、食事・運動・休養など身近な生活習慣を上手にコントロールすることが大切です。
健康はかけがえのない財産。毎日のちょっとした心がけで、健康な明日をつくりましょう。
あの山の向こうには何があるのだろうか。この海の向こうはどんな世界が広がっているのだろうか。
一度そんな思いにかられて旅をするとさらに、次はどうなっているのかと、違う場所も求めたくなってくるものです。
知らないものを求めて前に進むことにより、振り返るきっかけをつくってくれるのが旅、そしてそこから新しい発見をすることができるのが旅。
そんな自分の世界を広げることができる旅は非常に魅力的である。
【チャモロ人の起源】
グアムの先住民は、チャモロ人と呼ばれる人々です。その起源については、考古学、人類学、歴史学のいずれも、いまだ納得のいく解答を得られずにいます。ただし、紀元前1500年頃に遡る考古学的資料からは、古代チャモロ人は東南アジアの諸島から移住してきたインドマラヤ系民族であると推測され、言語および文化的な類似点からもマレーシアやインドネシア、フィリピンとのつながりがうかがえるところをみるとフィリピン、インドネシアを経由して渡来してきたと考えられます。

【古代チャモロ人の生活と文化】
古代のチャモロ人は漁師としても職人としても優れ、自分たちの生活環境に適した独特の住居やカヌーを造り、また複雑な織物や手の込んだ陶器の製作にも通じていました。 また強固な母系社会を形成しており、女性の権力と特権によってチャモロ文化の大部分、言語・音楽・舞踊・伝統などが守り伝えられてきたのです。


【ラッテ時代と先ラッテ時代】
古代チャモロ時代は「ラッテストーン」と呼ばれる石柱が作られていた「ラッテ期(9~15)世紀」と、それ以前の「先ラッテ時代」に分けられます。 ラッテストーンはハリギと呼ばれる高さ1.5~2メートルの石柱の上に、タサと呼ばれる頭石(キャップストーン)がのっているのが特徴で、こけし状の形をしています。宗教的な意味合いを持つとも、高床式建物の土台とも言われていますが、その実体については、まだ解明されていません。

【マゼラン上陸】
グアム島が初めてヨーロッパと接したのは1521年3月6日とされています。それは世界一周の航海の途にあったマゼランがグアム島を発見し、ウマタックに上陸したことがきっかけでした。マゼランはスペイン国王の命による世界一周の航海中、3隻の船団を修理するために3日間、グアム島に立ち寄ったのです。そこで新鮮な果物や野菜や水を島から調達したマゼランはその対価として鉄を島民に与えました。まだ新石器時代のような暮らしをしていたチャモロ人にとって、鉄は大きな値打ちを持っていたのでした。

【スペイン統治の始まり】
マゼランがグアム島を発見した後、1565年スペインのコンキスタドール(征服者)であるミゲル・ロペス・デ・レガスピがグアム島に到達し、スペイン国王がグアム島およびその他のマリアナ諸島の領有権を正式に宣言しました。この時333年にも続くスペインの統治時代が始まったのです。


【キリスト教の布教】
その時から100年余り後の1668年、神父ディエゴ・ルイス・デ・サンビトレス率いるイエズス会の宣教師団が、ヨーロッパ文明、つまりキリスト教や交易などをこの地に確立するためにやって来ました。それまでグアム島は、航路の中継地としての領土でしたが、これを機に本格的にスペインに征服されることになるのです。宣教師たちはチャモロ人に「メイズ」(トウモロコシ)の栽培を教えたり、家畜を持ちこみ、その飼育法や皮のなめし方などを教えたりしたほか、衣服も西洋風に変えさせました。キリスト教が定着すると、村々ではカトリック教会が活動の中心となったのです。


【米西戦争】
1898年スペイン軍によるアメリカ戦艦の沈没をきっかけに米西戦争が勃発しました。スペイン領であったグアム島もアメリカ海軍の砲撃を受け、同年アメリカによって占領されることになります。大敗を喫したスペインは多くの植民地を失い、同年パリ条約によってグアムもアメリカの領地となりました。 アメリカ海軍による統治は農業、保健衛生、教育、土地管理、税制、公共事業などに数々の変革や改善をもたらしました。グアム島はアメリカ海軍の石炭補給および通信連絡の拠点として使用されていましたが、1941年、真珠湾攻撃後間もなく侵攻してきた日本軍の手に落ちることになるのです。

【日本占領時代】
1941年、日本は真珠湾攻撃による太平洋戦争勃発を機にグアムを占領します。 その後31ヶ月間にわたった日本の占領時代にグアム島民は日本の生活習慣を強要されることになりました。日本軍はグアム島を「大宮島(偉大なる神のいる島)」と、ハガニア(アガニア)は「明石」と改名されました。 この日本軍占領時代を、チャモロ語では「日本の時代」を意味する「テイエイポン・チャパネス」と呼んでいます。

日本軍は歴代の統治者と同様に、島民に日本語を使用することを強制しましたが、チャモロ人がアメリカに対して抱き続けていた忠誠心から、日本語が使えたチャモロ人はほんのひと握りだったと言われています。またチャモロ人の住居の自由は保証され、住みたい場所に住むことができました。


【アメリカ時代への回帰】
アメリカ軍がマリアナ諸島に向かって反撃を強めるに従い、チャモロ人に対する日本人の態度は日毎に厳しくなっていきました。島民たちは強制労働をさせられ、島の東部にあるキャンプに集められます。この意図はわかっていませんが、結果として、この移動が大多数のチャモロ人の命をアメリカ軍の艦砲射撃から救うことになりました。 1944年、アメリカ軍がグアム島に上陸。数千人ものチャモロ人、米兵、日本兵の命を奪った3週間に及ぶ激戦の末、グアム島は平静を取り戻し、再びアメリカの統治下に入りました。 1950年にアメリカの自治属領(準州)となり、今日までアメリカ軍の太平洋戦略上の基地として活用されています。


【近年】
1967年、パンアメリカン航空が日本から航空路の運航を開始し、これによりグアムに近代的な観光産業がもたらされました、以来、グアムでは経済の多様化と拡大が続いています。軍需、観光、および関連産業(建設、小売、銀行、金融サービスなど)の拡大に加え、経済改革もまた島民の雇用に重要な役割を果たすとともに、グアムという世界市民的な社会が期待するビジネスの選択肢も広がりつつあります。 グアムの豊かな歴史的遺産こそが、グアム島の今後の発展の拠り所とすべき枠組みとなっているのです。
日本人の食生活は経済成長とともに欧米化が進み子供でも成人病になる時代なったと言われています。
もともと欧米のように肉食でなかった日本人には、ファーストフードなど高カロリーを食べれる体質ではないのです。
長い年月をかけて穀物、野菜、魚などから必要な栄養素をとる体質をつくってきました。
正しい食事、日本人に不足している栄養素をサプリメントで正しく補い方などわかりやすく掲載しています。

旅は精神を若返らせリフレッシュします。日常は、同じことの繰り返しだから刺激が少ない。刺激がなければ、精神は活性されません。
新鮮な物に出遭ったり 懐かしい物に触れたりワクワクすることが多いので 心は満たされ感情が豊かになります。
見るもの、聞くもの、味わうもの、総てが新鮮であって、印象として強く心に刻まれて行きます。
遠い旅に出なくても 家事や雑事に 煩わさない近距離でも随分と癒されるものです。