ホテルになる前、
ここは何だった?

旅人を迎える前、
そこには別の人が出入りしていました。

お金を預ける銀行。

糸を紡ぎ、布をつくる工場。

遠くの声をつなぐ電話局。

酒を仕込み、町へ送り出す蔵元。

子どもが学び、地域の人が集まる学校。

客室とベッドを入れれば、
建物はホテルになります。

けれど、今回見たいのは、
ホテルへ変わったあとも、
建物の以前の「仕事」が残っているか。


古い外観だけでなく、
人の動きや、町との関係まで引き継ぐ宿を訪ねます。

THE BUILDING HAD A JOB BEFORE IT HAD GUESTS

建物を残すだけではなく、
かつての役割に泊まる。

リノベーションホテルの魅力として、古い煉瓦、太い梁、高い天井、木造の廊下などがよく紹介されます。

たしかに、失われずに残った素材や形は美しいものです。

ただ、建物の記憶は、目に見える意匠だけに宿るのでしょうか。

銀行なら、町の信用や復興を支えた役割。
工場なら、人が働き、地域の産業を育てた時間。
学校なら、学びと交流のために町へひらかれていた性格。

以前の役割を、現代の宿泊へどう読み替えたのか。

そこまで見てみると、リノベーションは、
古い建物をおしゃれにすることとは少し違って見えてきます。

画像はテーマをもとに作成したイメージビジュアルです。実際の建物、外観、客室、家具、料理、設備、人物、周辺景観とは異なる場合があります。

EDITOR’S NOTE

古い窓を残せば、
建物の記憶を継いだことになるのか。

古い煉瓦や梁は、ホテルの魅力を分かりやすく伝えてくれます。

けれど、以前の用途を示す意匠だけが切り取られ、写真を撮るための背景になれば、建物の歴史は単なる雰囲気として消費されるかもしれません。

反対に、昔と同じ使い方へ戻すことだけが、正しい保存とも限りません。

使われなければ、建物を維持するための費用も、人が訪れる理由も失われていきます。

何を残し、何を変えるのか。
誰のために、もう一度ひらくのか。


保存と再利用の間にある判断まで含めて、
6つの宿を読み解いてみます。

FOUR LAYERS OF MEMORY

建物の記憶を読む、4つの層

01

外壁、窓、柱、梁、廊下、天井、庭。以前の建物を目で確かめられる部分です。

02

動線

人がどこから入り、どこへ集まり、どう移動していたのか。建物の使われ方に残る記憶です。

03

役割

信用を預かる、ものをつくる、情報を送る、学ぶ。建物が町の中で果たしていた仕事です。

04

関係

地域の人にひらかれているか。新しい仕事や交流が生まれたか。ホテルになったあと、町とどうつながっているかを見ます。

HOW TO READ EACH BUILDING

それぞれの宿を、4つの問いで見る

BEFORE 以前の仕事 誰が
何のために
使ったのか
TRACE 残ったもの 形、素材
動線や
空間の癖
CHANGE 変わった役割 ホテルとして
何を新しく
加えたのか
QUESTION 残る問い 保存か演出か
地域へ何が
戻ったのか

SIX BUILDINGS, SIX AFTERLIVES

以前の仕事が異なる、6つの宿

 
01 TOYOOKA1925
02 倉敷アイビースクエア
03 エースホテル京都
04 風の ならまち
05 オーベルジュ オーフ
06 河辺ふるさとの宿

01 / BANK & RECOVERY

TOYOOKA1925

兵庫・豊岡 旧銀行 震災復興建築

信用を預かる建物から、
町の復興を語る宿へ。

TOYOOKA1925の建物は、1934年に兵庫縣農工銀行豊岡支店として建てられました。

その背景には、1925年に豊岡の町を襲った北但大震災があります。

大きな被害を受けた町では、火災や地震に備えた建築が次々と建てられました。この旧銀行も、復興期の豊岡を伝える建物の一つです。

現在は、旧銀行の構造や意匠を生かした、全6室の小さなホテルとして使われています。

銀行が扱っていたのは、お金だけではありません。

復興の途中にある町で、人が将来を信じ、商いを続けるための信用を支える場所でもありました。ホテルになったいま、この建物は、豊岡の復興を旅人へ伝える役割を担っています。

BEFORE|以前は何をする建物だった?

町の産業や暮らしを金融面から支える銀行。震災後の豊岡に建てられた、復興期の近代建築です。

TRACE|今も残っているもの

旧銀行の堅牢な構造、窓や装飾、中央の広い空間。建物のつくりそのものが、昭和初期の町の再建を伝えています。

CHANGE|ホテルになって変わったこと

お金を預ける閉じた場所から、町を訪れる人を迎え、食事や滞在を通して豊岡の背景を知る場所へ変わりました。

QUESTION|残る問い

レトロな銀行建築として楽しむだけでなく、なぜこの建物が震災後の町に必要だったのかまで伝えられるか。名前の「1925」は、その問いを現在へ残しています。

 

 

02 / FACTORY & PUBLIC SQUARE

倉敷アイビースクエア

岡山・倉敷 旧紡績工場 複合文化施設

ものをつくる工場から、
文化が集まる広場へ。

倉敷アイビースクエアは、1889年に建設された倉敷紡績所の本社工場を再開発した複合文化施設です。

赤煉瓦の外壁や工場の基本構造を残しながら、ホテル、レストラン、歴史館、体験工房、ショップなどが置かれています。

中央には大きな中庭があり、宿泊者だけでなく、美観地区を歩く人や地域の人も立ち寄ります。

工場時代、この場所には、多くの働く人と原料、製品が集まりました。

現在、糸や布を大量につくる機能はありません。

それでも、人やものが集まり、倉敷の産業と文化を町の外へ伝えるという性格は、ホテルと文化施設の中へ形を変えて残っています。

BEFORE|以前は何をする建物だった?

原料を運び込み、糸を紡ぎ、製品を生み出す紡績工場。倉敷の近代産業を支えた場所でした。

TRACE|今も残っているもの

赤煉瓦の外観、工場の基本構造、広い敷地。旧原綿倉庫は、紡績産業の歴史を伝える記念館として使われています。

CHANGE|ホテルになって変わったこと

製造のための場所から、泊まり、食べ、学び、買い物をする複合施設へ。閉じた工場敷地が、町を訪れる人の広場になりました。

QUESTION|残る問い

蔦と赤煉瓦の美しさだけが前に出ると、工場で働いた人や地域産業の歴史は見えにくくなります。記念館や体験施設が、建物の背景を滞在へ戻しています。

 

 

03 / TELEPHONE OFFICE & EXCHANGE

エースホテル京都

京都・烏丸御池 旧電話局 アート・音楽・交流

声を送る電話局から、
文化を交換するホテルへ。

エースホテル京都が入る新風館には、1926年に竣工した旧京都中央電話局の建物が保存されています。

かつてここでは、遠く離れた人同士の声や情報をつなぐ仕事が行われていました。

現在は、保存された旧建物と新築部分が、中庭や通路を介してつながっています。

ホテルのロビー、カフェ、レストラン、ギャラリーやイベントの場には、宿泊者だけでなく、京都で暮らす人や働く人も訪れます。

電話交換という技術的な仕事は終わりました。

けれど、人と人、京都と海外、工芸と現代の表現を結ぶという役割は、別の形で建物の中に戻っています。

BEFORE|以前は何をする建物だった?

京都の近代化を支え、人の声や情報を遠くへ届ける中央電話局でした。

TRACE|今も残っているもの

旧電話局の外観や歴史的な建物部分。客室の一部も、保存された旧建物の中に設けられています。

CHANGE|ホテルになって変わったこと

通信を管理する施設から、宿泊、食、音楽、アートを通して人が自由に交流する場所へ。敷地内には町を通り抜ける動線もつくられています。

QUESTION|残る問い

「電話局から文化交流の場へ」という物語は魅力的です。ただの言葉遊びで終わらず、地域の人が日常的に利用できる場所であり続けるかが、新しい公共性を決めます。

 

 

FROM WORKPLACE TO MEETING PLACE

仕事をする場所から、人が交わる場所へ。

以前の用途は違っても、
3つの建物には人やものを集める力がありました。

銀行|TOYOOKA1925

町の信用を支えた建物が、復興の記憶を旅人へ伝える。

工場|倉敷アイビースクエア

ものを生産した場所が、文化と人の流れを生み出す広場になる。

電話局|エースホテル京都

声を交換した建物が、表現や文化を交換する場所へ変わる。

04 / SAKE BREWER & TASTE

風の ならまち

奈良・ならまち 蔵元旧邸宅 日本酒・食

酒をつくる家から、
酒の背景を味わう宿へ。

風の ならまちは、奈良豊澤酒造の蔵元旧邸宅や、酒造りに使われていた建物を再生した全8室のホテルです。

2026年6月、旧称「NIPPONIA HOTEL 奈良 ならまち」から、現在の名称へ変わりました。

高い天井、梁、床の間、欄間、蔵や茶室など、蔵元の暮らしと仕事を感じる空間が客室として使われています。

かつてここでは、日本酒そのものがつくられていました。

現在、宿の中で中心になるのは、日本酒と奈良の食材を組み合わせる食事や、日本酒の多様な味わいを知る時間です。

製造の場所から、味わい方を伝える場所へ。酒造りの仕事は、食と滞在の中へ翻訳されています。

BEFORE|以前は何をする建物だった?

蔵元が暮らし、日本酒を仕込み、地域へ送り出していた邸宅と酒造関連の建物です。

TRACE|今も残っているもの

蔵や茶室、梁、床の間、欄間など、蔵元の仕事と暮らしが同じ敷地にあったことを伝える空間です。

CHANGE|ホテルになって変わったこと

酒を生産する場所から、日本酒と奈良の食を味わい、酒造りの文化を知る宿へ。つくる仕事が、伝える体験へ変わりました。

QUESTION|残る問い

蔵の雰囲気と日本酒を組み合わせるだけでなく、米、水、発酵、蔵人の仕事まで想像できるか。食事が、建物の以前の仕事へ戻る入口になります。

 

 

05 / SCHOOL & GASTRONOMY

オーベルジュ オーフ

石川・観音下 廃校 里山・美食

教室から、
里山の素材を学ぶ食卓へ。

石川県小松市の観音下にあるオーベルジュ オーフは、過疎化によって廃校となった小学校を再生した宿です。

校舎の面影を残す空間に、客室、レストラン、アートが加えられています。

滞在の中心にあるのは、この土地でとれる食材を使った料理です。

学校では、地域の子どもたちが、言葉や数字、社会や自然について学びました。

現在は、旅行者が料理を通して、土地の気候、農産物、海と山、つくる人の仕事を知ります。

学ぶ対象は変わっても、知らなかった世界へ出会う場所という性格は、校舎の中に残っています。

BEFORE|以前は何をする建物だった?

地域の子どもが学び、行事や日々の交流を通して、集落の時間を共有する小学校でした。

TRACE|今も残っているもの

校舎の輪郭や廊下、教室の記憶。学校だった建物の中に、現代のアートや客室が重ねられています。

CHANGE|ホテルになって変わったこと

地域の子どもが通う学校から、料理を目的に国内外から人が訪れるオーベルジュへ。里山の素材と感性が出会う場所になりました。

QUESTION|残る問い

高価格帯の美食宿が、かつて地域へひらかれた学校の公共性をどう受け継ぐのか。外から人を呼ぶことと、地域の日常との関係が問われます。

 

 

06 / SCHOOL & HOMECOMING

河辺ふるさとの宿

愛媛・大洲 旧大伍小学校 山里・郷土料理

学ぶ場所から、
帰ってくる場所へ。

河辺ふるさとの宿の本館は、かつての大伍小学校を活用した宿泊施設です。

木造校舎の外観や懐かしい雰囲気を残し、客室や食事処として使っています。

周囲には川、山、星空があり、食事には地域の山菜、野菜、川魚などが取り入れられます。

洗練されたデザインホテルというより、昔の学校や山里へ戻ったような感覚を大切にする宿です。

学校は、子どもが勉強する場所であると同時に、地域の人が集まり、顔を合わせる場所でもありました。

現在も「ふるさとに帰る」ように人を迎えることで、校舎が持っていた親しみや公共性を、新しい宿泊の中へ残しています。

BEFORE|以前は何をする建物だった?

地域の子どもが通い、行事や交流を通して、山里の暮らしをつないでいた小学校でした。

TRACE|今も残っているもの

木造校舎の外観や、学校らしい空間の雰囲気。過度に整えすぎず、懐かしさを宿の個性として残しています。

CHANGE|ホテルになって変わったこと

毎日子どもが通う学校から、山里の自然や食を体験する宿へ。地域外の人も、この場所へ一時的に帰ってこられるようになりました。

QUESTION|残る問い

豪華さや新しさを加えない再生は、建物を古いまま使うこととも隣り合わせです。快適さを更新しながら、校舎の素朴さをどこまで守れるかが課題になります。

 

 

ONE FORMER USE, TWO FUTURES

同じ元学校でも、残し方は違う。

校舎を残すことと、
学校の役割を残すことは同じではありません。

オーベルジュ オーフ

学校を、里山の食と現代の感性が出会う目的地へ。

地域の外から新しい人や評価を呼び込み、料理を通じて土地の価値を伝える再生です。

河辺ふるさとの宿

学校を、山里へ帰ってこられる素朴な宿へ。

校舎の親しみや地域の食を残し、以前の公共性に近い感覚を引き継ぐ再生です。

WHAT WAS REALLY PRESERVED?

6つの宿が残したもの

町の記憶

TOYOOKA1925|震災後の復興と近代化を伝える建築

産業の歴史

倉敷アイビースクエア|紡績工場と繊維の町の歩み

人をつなぐ性格

エースホテル京都|通信施設から文化交流の場所へ

仕事の味

風の ならまち|酒造りの空間と日本酒を味わう体験

学ぶという機能

オーベルジュ オーフ|教室から土地を知る食卓へ

地域へひらかれた親しみ

河辺ふるさとの宿|学校から、帰ってこられる宿へ