町名 大野(越前大野)
キャッチフレーズ 天空の城
所在地 福井県大野市城町
最寄駅 JR越美北線越前大野駅
訪問 2022年5月
江戸時代末期の大名は土井氏、四万石、譜代

福井を根城に、日帰りで大野へ行きました。

鉄道はバスより一時間遅く出発し、一時間早く戻り便が出るので止めました。ただし往路で線路が見晴らしの良いところを走るのがわかるにつれ「乗りたい」気持ちもむくむく沸きました。大野が早く済めば帰りは乗ってやろうかとも。またバスは普通の大きさなのに途中で田舎の隘路、「えっ、こんなところも行くの?」泣けてくるところを通ります。運転手さんは大変です。(写真はありませんけど)
バスは福井鉄道同様ICカードが使えませんが、お金投入口はセンサーがあり整理券を読み取り、お金も読み取り、運賃と支払い金額が表示されます。途中の停留所で310円と表示されたのに180円しか払わないおじさんが居て運転手さんに文句言われていました。とはいえバスの乗り降りものんびりしていますから全然問題ありません。

城の北側、武家屋敷ゾーンだった水落町にはほとんどそれらしい建物は見当たりません。敷地の大きなハローワーク・税務署・幼稚園といつもの施設が並んでいます(そのなかでも上の写真は塀に心惹かれるものがありました)。雨も降るし、めぼしい観光施設もなさそうだし(城・町人ゾーンの方には行かないことを決めていた)と思いつつ城に近づいていきました。

壊れた家の軒下に観光案内の看板が。家の裏手は城山で、この道は三の丸通りというそうです。

少し進んだところに武家屋敷田村家住宅があります。

田舎の百姓家を買い取り、移築したものだそうで、なるほど武家屋敷らしくない。門がもう少し立派なはずですが、たぶん後の世に建て替えたのをそのまま展示しているのでしょう。


田村家の隣も武家屋敷っぽい感じだったし、突き当たりの角の家も新築しているのだろうが雰囲気が残っています。下の写真の奥は城山です。

次に行ったのは『武家屋敷内山家』。家老にまでなったというから家敷地が大きい。あそこに入ったとき時間があったのと、置いてある説明文を読んでやろうという気になったのも何かのお導きでしょう。

百間堀のすぐ前にあります。

幕末の財政改革といえば注目しないわけにいきません。まさに出会いです。このため図書館や歴史資料館に行って時間を食ってしまいました。
八十石の藩士内山良休は天保年間に「御手山面谷銅山」の頭取として増産と品質向上を行いました。安政二年には大坂に『大野屋』を開設し、銅のほか刻み煙草・生糸の販売も始め、それらは順調に成果を上げていきました。その際、彼は名前を七郎右衛門から七兵衛と改め、商人風体となり店主と心を一つにし営業に専念したそうです。

箱館・横浜・岐阜・尾張・神戸などに出店し明治以後は東京にも出店しました。
弟の隆佐は藩の軍制改革を行い、藩が幕府から請け負った蝦夷地開拓を任され自ら現地を探検し大活躍しました。大野藩は山国なのに洋式帆船「大野丸」を持っていたのはそのためです。
内山兄弟は小身から加増を重ね家老となりましたが、その前提として、蘭学に傾倒し合理性・実利性を重んじた藩主土井利忠が人材登用を行ったことも忘れてはなりません。